R-5 真実
ほんの数時間で準備を終えた。荷物はほとんどない。いつも持ち歩いている一振りの小太刀と少ない着替え、それと先ほどもらった二枚の羽根を鞄につめた。動きやすいようにショートパンツと短衣を着て遠出用のごつい皮ブーツを履いた。
マルコもいつもの7分丈のズボンにノースリーブ、お気に入りの黒い篭手をしていた。さすがにサンダルは履いていたが、それすら面倒だと思っているのはよく知っていた。
馬車に乗る前、父さんと母さんはそれぞれ頬と額にキスしてくれた。
「マルコシアスのご加護を」
決して人の前では言えない、悪魔への祈りも込めて。
その加護を受けてから、あたしとマルコは馬車に乗り込んだ。
「ねえ父さん」
マルコは馬車の窓を開けて父さんに問いかけた。
「本当の名前、教えて。父さんと母さんの。それと、まだ見たことない二人の名前も」
「……困った子だ」
父さんはやれやれとため息をついた。
「私の名はクラウド=フォーチュン。元グリモワール王国、漆黒星騎士団の団長だ。ダイアナはダイアナ=フォーチュン。彼女ももともと地位の高い貴族出身だ」
漆黒星騎士団の名は、いつだったかじぃ様の話に出てきた。それは王国で3本の指に入る屈強な騎士団の名だった。
既に滅びた王国ではあるが、それほどの騎士団の団長だったなんて……さらに父さんのことを誇りに思えた。
「だが、残念ながらお前たち両親の名は教えられない。すまないな」
マルコは父さんの言葉を聞いて少し悲しそうな顔で微笑んだ。端正な顔にその表情がとてもよく合っていて壊れそうに危うかった。
「私とダイアナの名も、決して人前で出してはいけないよ。できれば忘れてしまった方がいい」
「うんわかった、ありがとう。父さん、母さん……絶対忘れないよ」
見たことのないその表情に思わずどきりとした。
「行ってきます!」
母さんと父さんはいつもと変わらない笑顔であたしとマルコに手を振った。
あたしも馬車の窓を開けて大きく手を振り返していたのに、マルコは何か考えているような表情で座り込んでいた。
馬車が走り出してからもじっと黙り込んだままだった。
闇の中を走る馬車の中でランプの明かりが一つ揺れていた。マルコの頬には影が落ちていて、整った顔がさらに映えている。
「どうしたのよ、マルコ。眠いの?」
「違うよ」
「じゃあどうしてそんなに黙り込んでいるのよ」
そう言うとマルコの金の瞳が揺らいだ。言うべきか言わざるべきか迷っているのがありありと見て取れる。
沈黙の中で車輪の音だけがやけに耳についた。
苛々して思わず怒鳴ってしまった。
「何よ、はっきりしなさい!」
「わ、分かったよ」
マルコは俯いたままぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「僕の気のせいだといいんだけど……父さんと母さんにもう会えないような気がして」
「えっ?」
予想外の言葉に眉を寄せた。
「だって父さんはグリモワール王国の騎士団長だよ? 僕らの両親だっていうレメゲトンに負けず劣らずの第一級お尋ね者じゃないか!」
「あっ!」
気づかなかった。本当の両親のことを知らされたショックで、遠い町に移動しなければいけないという切迫感で。
先ほどからマルコが何か思索に耽っていたのはこれだったのだ。
「僕らより父さんと母さんの方がよっぽど危険だよ。それなのに、僕らを逃がしたのはきっともう逃げられないと悟って僕らだけでも……逃がそうと……だからこんな夜中にこっそり……」
マルコの声が消え入りそうに霞んでいった。
それと同時にあたしの顔から血がサーっと引くのが自分でも分かった。
何故気づかなかったんだろう。全くその通りじゃないか!
どうして散歩に出るような気楽さで家をでてきてしまったんだろう。王国に狙われるなんて人生を左右するような恐ろしい出来事だというのに。
あたしはそこでやっと事の重大さに気づいた。
王国の追っ手が落ち着いたら、なんてそんな甘い話じゃない。あたしはこの顔をしている限り永久にセフィロト国から追われるという事なのだ。人生全部をかけて逃げなくちゃいけないという事なのだ。
騎士になりたいなんて言っている場合じゃない。
急にすごく怖くなった。
父さんと母さんの元へ帰りたくなった。
「降ろして! お願い!」
馬車の前面の窓をどんどんと叩いた。
御者は全く反応する気配がなかった。それでも窓を叩き続けた。
車輪の音ががたがたと響いて、街ははるか後ろにまで遠ざかっていた。




