M-24 未来
その晩、なかなか寝付けなかった僕はそっとベッドを抜け出した。
外に出ると満天の星空が視界を埋め尽くす。初めて悪魔の加護を受けた時に見た星空と同じだ。自分が本当にここにいるのか不安になるくらいの解放感。
それを満喫したくて、僕は家の屋根に上った。石造りの家は案外とっかかりが多くて、すぐに上る事が出来た。
登り終えた僕の耳に、意外な声がかかる。
「マルコ」
双子の相方だった。
彼女も眠れなかったんだろうか、髪を下ろした状態で屋根の上に座り込んでいた。
「やっぱりここに来たのね。待ってたのよ?」
「えっ?」
驚いていると、ミーナは僕の隣に移動してきて、腰を下ろした。シャンプーの匂いがふわりと尾行をくすぐって、なんだか落ち着かなかった。今日のミーナは、なんだかいつもと違うようだ。
「大変な事になっちゃったわね」
「……うん、そうだね」
あの日、剣術大会でミーナが優勝してから、怒涛のような日々だった。
毎日が驚きと戦闘の連続で、とてもこんなにゆっくりしている余裕はなかったから。
「後悔してない? ……しないわよね、マルコだもの」
「ミーナはしてるの?」
「してないわ。でもこれから先、この決断を絶対に後悔しない、なんて言いきれない」
ミーナの紫水晶は星空を映していた。
「でも、マルコが一緒なら大丈夫よ。あたしは何度くじけたって立ち直れるわ。絶対に前を向いて歩いて行けるって信じてる」
「うん、僕もだよ。ミーナと一緒なら、大丈夫だ」
嬉しくて僕は笑った。
生まれた時から一緒で、離れる事なんて考えた事もない。隣にいるのが当たり前、目を閉じても思い出せる顔、声。
どこにいたって駆けつけるよ。だってミーナの涙は見たくない。
「あたしたちの居場所はあたしたちが作るの。ねえ、そうでしょう?」
「うん」
「それだけじゃないわ。今度の事であたし、思ったの。本当に天使は誰にでも平等に施しを与えているのかしら、って」
それは僕も思った事だった。
悪魔を信じたじぃ様。父さんたち、それに悪魔を使うセイジ。
それだけじゃない、悪魔を慕っている人々はその比にならないくらいに多いはずだ。だって、天使の国に生まれ育った僕でさえ、こんなにも悪魔が大好きなんだから。
「父さんたちの時代は、当たり前に悪魔を信仰していたわ。それを、突然に『変えなさい』って言われて、ほいほいと天使に乗り換えられるなんて嘘だと思わない? もちろんあたしは天使も悪魔も好きだけれど、もしどっちでもない新しい信仰に移りなさい! って言われたら、絶対に嫌よ」
ミーナの言う通りだった。
きっと、もともとグリモワール王国があったこの土地には、まだまだこっそりと悪魔を信仰している人が多いはずだ。
「もう戦争が終わってから18年――悪魔崇拝を禁止するという国の制度自体を変えようという働きがなかったはずはない。それでも変わっていないってことは、国が耳を貸していないってことよね」
「うん、きっとそうだろうね」
隣に座ったミーナの横顔は、やっぱ凛と輝いていた。
うん、ミーナにはこの強気な笑顔が一番似合うと思うよ!
「よし、それじゃ、明日はリッドに……」
「リッドがどうかしたの?」
きょとん、として聞くと、ミーナははっとしてぶんぶんと首を振った。
「あ、いいの! いいのよ! 気にしないでっ」
慌ててそう言うと、ミーナはぱっと立ちあがった。
「がんばりましょう、マルコ。父さんたちと一緒に」
「うん」
にこりと笑った紫水晶に、悲しみの色はなかった。
よかった。ミーナが笑っている。それだけで、こんなにも嬉しい。今はそれだけでいいや。この先僕らの未来に横たわるものが酷く困難なものだったとしても。
僕は満たされた気持ちで星空を見上げた。
まだ見ぬ本当の両親が、僕らに残そうとしたもの。
それは羽根じゃなく、名前でもなく、『未来』という名の平穏だった。僕らの事を愛して愛してやまなかった彼らは、僕たちに生きるべき場所を与えてくれたのだ。
父さんと母さんが、本当の両親がくれたものはこんなにも大きい。
そして、それは大きな大きな愛の証。
僕らは、たくさんの人の愛の中に生きている。
それに気付いた時、僕らは一歩を踏み出した。
まだ見ぬ明日へ。でも、きっと希望に満ちあふれている未来へと向かって。