M-23 主従
急な山の斜面をいくつも登り、そして何度も下った。日は昇り、そして落ち、山に入ってから2日目の昼。
僕らはようやく目的の場所にたどり着いた。
ここまで道らしい道なんて一つもなかった。案内がなければ辿り着く事は不可能だろう。
そこは、山の中をいくらか切り開いて作られた石造りの頑丈な家が建っていた。小屋というには大き過ぎ、さらにこの山の中にふさわしくないほどに立派なその家は、明らかに何人もの人が暮らしている気配があった。
「さあ、行こうか。マルコ、ミーナ。君たちに会いたがっている人がいるんだ」
「誰?」
「会ってからのお楽しみだ」
父さんはそう言って笑うと、僕とミーナを促してその家に足を踏み入れた。
外見以上に立派な内装が僕らを出迎えてくれた。真っ赤な絨毯、狭くはあるが整えられた真っ直ぐな廊下。らせん階段が玄関のすぐそばに伸びている。廊下の突き当りには魔界の王リュシフェルを象ったステンドグラスが煌めいていた。
面喰った僕らを連れて、父さんは二階へと上がる。
そして、漆黒の有翼獅子をモチーフにした紋章の付けられた分厚い木の扉をノックした。
「はい、どうぞ」
高くも低くもない、年齢も非常に分かりづらい声がして、父さんは重そうな扉を開いた。
「失礼します、殿下」
「やめてください、クラウド殿。もうその名はとうに捨てました」
「ですが、その名を再び戴く日はそう遠いものではありません。そのために私たちがいるのですから」
父さんに続いて部屋に足を踏み入れた僕らが出会ったのは、金のブロンドに灰色の瞳を持つ、30代くらいの男性だった。
ともすれば女性に見られそうな線の細いその人は、柔らかな雰囲気を湛えて僕らに微笑みかけた。
「初めまして、マルコシアス、ラスティミナ」
「え、えーと……はじめまして」
僕は思わずぺこりと頭を下げた。どうしても、そうしなくちゃいけない気がしたからだ。
この人は一体、何者だろう?
ミーナも同じようにして頭を下げると。
「よろしく、ラスティミナ」
その人は優雅な仕草でミーナの手を取ると、その手の甲に軽く口付けた。
ミーナがびっくりしてみるみる頬が赤くなっていくのが分かった――でも確かこれは、僕の記憶が確かなら、貴族の挨拶だったような気がする。
じゃあこの人は、父さんたちと同じように高位の貴族?
でも、確かさっき父さんは『殿下』って呼んだ。
「ミーナ、マルコ。こちらはグリモワール王国、第一王位継承者のサン=ミュレク=グリモワール殿下だ。ぜひともお前たちに会いたいとおっしゃってくださった」
「本当にそっくりですね、彼らに」
「……年をとるごとに似てきまして、今では瓜二つです」
父さんはにこにこと受け答えをしていたけれど、僕はその名を聞いて硬直した。
サン=ミュレク=グリモワールだって?!
その名が本当なら、この人は元グリモワールの王様の子供ってことになる。
「会いたいと願ったのは他でもない、君たちに頼みがあったからです」
元王子の灰色の瞳は、優しい中にも厳しさと強さを持つ、不思議な光を包有していた。一度見ると、目を離せなくなってしまう。
これが、王族の持つカリスマというやつなんだろうか。
隣のミーナも同じように、ぼんやりと彼の瞳を見つめていた。
「もし、よろしければ――革命軍に、参加しませんか?」
ああ、息がとまりそうだ。
僕たちはこの数日間で、信じられないくらいに多くの事を経験した。そして、以前にはあることすら知らなかったような世界を知ってしまった。
それは、『自分の居場所は自分で勝ち取る』というミーナの理念に少しも反しない、でも最も多くの困難と危険が横たわっている道でもある。逃げる、迎撃する……この二つ以外の最も有効な選択肢。
僕は逃げるつもりなんてない。だって、もう負けたくないと思ったから。それに、迎撃し続けるくらいなら……自分から、攻め込んでやる。
いったい何時からこんな過激な性格になったのかは分からないが、じっとしているよりも自分の力と、悪魔の能力を信じて前に進みたかった。何より、まだ使った事のないフォカロルの特殊能力を見てみたい、他のセフィラに会ってみたいという無謀な願いも芽生えていた。
僕はどうやら何かに目覚めてしまったようだ。
「はい、喜んで」
僕が返事をする前に、隣のミーナはそう言って膝を折った。
主君に対する従属の証。
一瞬父さんの方を見ると、にこりと微笑んでくれた――さあ、自分の好きにしなさい、と。
ありがとう、父さん。
心の中で感謝してから、僕も床に片膝をついた。
「御意」
生まれて初めて使う言葉。生まれて初めて誓う忠誠。
それは、とても心地よいものだった。