M-22 父親
その後は、実はちょっと大変だった。指令を出すはずのリッドが気を失ったままで、他にも動けないような怪我人が3人もいたのだ。
用意してあった馬車は4人乗りで、御者を合わせても乗れるのは5人までだった。縛り上げた騎士たちは天使と悪魔の凄まじい闘いに震えあがっていたからそのままにしたけれど。
とにかく3人の怪我人を優先、以前から決めてあったらしい役割分担に合わせてアメシェラという人が手綱を取り、残りの席に母さんが乗る事になった。
助け出されたばかりの父さんは、自分が入れられていた監獄を引く馬を外して跨った。
僕とミーナ、セイジも同じようにして馬を手に入れようとした、が、馬は残り2頭。体のサイズの関係で僕とミーナは同乗する事になった。
未だ開拓がほとんど進んでいない南の高地に向かって全員が全力で駆けた。
合流地点に着いた時には、日がとっぷりと暮れていた。
この先に待つのは未開の山地だ。グリモワール王国時代にも切り開かれなかったこの場所は、グライアル平原と隣国アールとを隔てている。この脈々と連なる山地のせいで、グリモワール王国は隣国アールとはほとんど交友関係がなかったらしい。何しろ、アール王国へ行くには天敵であるセフィロト国を越えるしか手段がなかったのだから。
もちろん百キロ以上も続く険しい山の中に道と呼ばれるものなどない。その代わり、高山に住む珍しい動植物が迎えてくれる。
その南端にあるサウゼストは、別名、最果ての街と呼ばれていた。
僕らが休んだのはその街だ。さすがにこの最果てに、聖騎士団の姿はなかった。
久しぶりに宿をとり、ベッドに倒れ込んだ僕はもう限界だった。父さんとも母さんともミーナとも、それにセイジやリッドともたくさん話したい事はあったけれど、幾許もなく眠りについてしまった。
それは、どうやらメンバー全員に共通していたようだ。
次の日は日が昇りきるまで誰も起きず、昼ごろになってようやく最初に目を覚ました父さんが、全員を起こしにかかったくらいだ。
眠い目をこすりながら、さらに馬を進めた。
平原は完全に抜け、すでに山岳地帯に入っている。
「よく眠れたかい、マルコ」
「うん。でもまだ眠いや」
隣を歩く父さんとそんな会話を交わしながら、僕らは旅路を急いだ。セイジは一足先に出立した母さんとリッドが乗る馬車を追って先に行ってしまった。
目的地がいったいどこなのか分からなかったが、父さんも母さんもミーナもいるなら別にどこでもよかった。
それに、僕には既に悪魔のコインがある。
第41番目の悪魔、フォカロル――僕に力を貸してくれると約束した、海の悪魔。
「マルコシアス、セイジから悪魔と契約したと聞いたが、それは本当か?」
「うん、本当だよ」
父さんの問いに、何の臆面もなく答えた。
「本当よ、父さん。マルコったらあたしにも言わないで勝手に決めるんだから! 本当に、信じられないわ」
ミーナはまだ僕が勝手に契約したことを怒っているみたいだ。さあ、どうやって機嫌を直してもらおうか?
そんな事を考えていると、父さんは嬉しそうな悲しそうな、複雑な顔をした。
「やはり……それは、血なのかな」
しみじみと呟いた父さんの翡翠は、遥か遠くを見つめていた。
「セイジが謝っていたよ。勝手な判断でいろいろと喋ってしまった事と、マルコとミーナを完全に巻き込んでしまった事をね」
「セイジは悪くないよ! 僕が聞いたんだ。それに、悪魔と契約したのも僕自身の意志だった」
「ああ、そうだね。彼には感謝してもし足りないくらいだ」
父さんは柔らかく微笑んだ。
「それに、アキレアにもね。彼は本当に、二人の恩人だ」
「うん」
僕はにこりと笑ったが、ミーナはおずおずと口を開いた。
「……ねえ、父さん」
「何かな?」
「リッドは……アキレアは、父さんたちを救出した後でも、ずっとあたしの傍にいてくれるかしら?」
ミーナの言葉を聞いて、父さんは目を丸くした。
それこそ酷く複雑そうな顔をして額に手を当てる。
「いや、まあ、その……頼んだら断らないと思うよ、彼は」
「本当に?」
ミーナの顔がぱっと輝く。反対に、父さんはなぜかショックを受けたようだった。
僕がこの時の二人の心情を知るのは、もう少し後の話になる。今は、少しだけ僕にとって早すぎたみたいだったから。