R-21 共闘
逃げたくない――そう思った瞬間、腰のベルトに差してあった羽根がまばゆい光を放った。迸った真紅の閃光はあたしを取り巻き、まるで生きているかのように全身を覆いつくした。
温かい。
まるで誰かの腕に抱かれているかのようだ。
「体が軽いわ」
背中に翼が生えたみたい。指の先どころか、細胞一つ一つまであたしの思い通りに動かせそうなくらいだ。
この感覚に覚えはなかったけれど、包んでいる光は泣きそうになるくらい懐かしい香りがした。全身の血が沸騰しそうなくらいに歓喜を叫んでいる。
――ラスティミナ
「あたしを呼ぶのはだあれ?」
どこからか呼ぶ声がする。
耳に馴染むバリトン。とても優しくて温かい響き。
何故だろう、全身の感覚が鋭敏になっている。
頬に触れる風も、遠くに響いていた剣戟も、靄がかかっていた草原の向こうまで見渡せる気がした。そして、五感とは別にあたしの何かに触れる感覚――あの夜に感じた悪魔の気配が、今ははっきりと感じ取れた。
目の前の天使と似ていて、でも正反対の気配が二つこちらに向かって近づいて来る。
きっとマルコもセイジと同じように悪魔と契約したんだろう。
「早く来て、マルコ」
あたしに黙って勝手に、とか心配掛けて、とかいろいろと言いたい事はある。
でも、今はただ双子の相方に会いたかった。
「それまでにはあたしが倒してるかもね」
ゆっくりと腰の小太刀を抜く。
ここ何日かの戦闘と、先ほど連続して5人の騎士を倒したことで小太刀にもかなりの負担がかかっていた。何より殺生を避けて峯を使い過ぎたせいだろう、ほんの小さなものだがひびが入っていた。
ぎゅっとその柄を握り、アメシェエスの声を振り切った。
大きく両手を広げた美の天使ミカエルが銀髪セフィラの頭上で見守っている。
それに対するリッドは、ひどく小さく見えた。
銀のブレイドとリッドの剣が交差して、凄まじい金属音が波紋する。先ほどまで絶対に入れないと思っていたこの戦いに介入する隙が見えてきた。
リッドと共闘する場合、あたしは剣を使わない方がいいだろう。
小柄な体を生かして古武術で対応するのがベストだ。
天使の加護を受けたセフィラと、生身のリッドでは勝負は最初から見えているようなものだ。いかにリッドが強いと言っても相手は『天使』なのだ。
――天使
どくりと一つ、心臓が脈打った。
ああ、本当にあたしは天使に背くんだ。小さい頃からずっと身近だった、美しい天界に住まうという彼らに。人々を救い、導く白い翼を湛えた彼らに――
「こんな日が来るなんて思ってもみなかったわ」
胸を裂かれそうな想いが駆け抜ける。
あたしは熱狂的な天使崇拝者じゃないけれど、それでも、天使が大好きだったから。
でも、それでも、信仰なんかより大切なものは時に存在すると思う。
「ごめんなさい」
その信仰があたしから父さんと母さん、それにマルコを奪うのだとしたら、あたしはもうそれを崇拝する事なんて出来ない。もし天使達があたしに攻撃するのなら、あたしだってみすみすやられてしまうわけにはいかない。
苦渋の決断だった。
それでもあたしにはまだ『悪魔』という味方がいたからここに立っていられる。もし、天使だけを信じて止まない人があたしの立場に立たされていたら、と思うと胸が苦しくなる。
セフィロト国はそんな事をしていたりはしないのかしら。
余計な詮索はそこでやめにして、あたしは戦場へと身を投じた。
真紅の光があたしを包み込んで、力を与えてくれていた。これはきっと『悪魔の加護』と呼んでいたものだろう。
体が軽い。目も耳も、いつも以上に機能していた。
そのまま、人にはあり得ない速度で地を駆け、勢いを利用して銀髪のセフィラに攻撃を仕掛けた。死角からの足刀、避けた所にさらに連続突きのコンビネーション。
ところがセフィラはそのすべてを避け、リッドとあたしからいったん距離を置いた。
リッドは息を整えながら隣のあたしに向かって叫ぶ。
「ミーナっ! 逃げてって言ったじゃないか!」
すでに左腕には深い切り傷があるし、背も裂かれて赤いものが滲んでいた。
「そんなこと出来ないよ!」
そんなになるまであたしのことを守ろうとしてくれたヒトを置いて一人で逃げるなんて、そんな事はできない。リッドの援護として残っていたシランも既に地に伏している。彼は本当にたった一人で天使に立ち向かっていたのだ。
ふわふわとした淡い茶色の髪についた血を見て、胸が抉られるようだった。
何より、すぐそこに父さんたちがいるはずなのだ。ここでチャンスを逃したら、もう二度と会えないかもしれない。
「大丈夫よ、リッド。だって今のあたしには悪魔がついているもの。本当の両親が残してくれたっていう悪魔の加護があたしを守ってくれる……だから、お願い。一緒に闘わせて」
この加護がいったい何時までもつのか分からなかったが、微かに感じた悪魔の気配がセイジとマルコのものなら、あと少しすれば到着するはずだ。
彼らがいれば、もしかすると。
「あと少し、あと少しでセイジとマルコが戻ってくるわ。あたしじゃ無理かもしれないけど、きっとあの二人が帰ってきたら父さんたちを助けられるわ」
そう言うと、リッドは少し躊躇ったようだった。
が、すぐにいつもの優しい笑顔に戻った。
「……仕方ないな。ミーナは、オレが守るって言ったもんね。無茶だけはしないでね!」
「うん!」
あたしはリッドと目配せして、再びセフィラに飛びかかっていった。