M-20 願望
強くなりたい――最初に思ったのはあの銀髪の人に負けた時だ。手も足も出なかった。胸を貫かれて血がいっぱい出た。
両親が残してくれたという悪魔の羽根の加護とリッドの助けがあったおかげで何とか生き延びる事が出来たけれど、次に会えばまた同じようにやられてしまうのは目に見えている。
それだけは絶対に嫌だ。
大切な物を作らず、ただミーナの傍にいて彼女を守ろうとするだけだった僕が、初めて強く願った事だった。
「強くなりたい、とな。それは敵を殺すためか? 命を奪い、打ち負かし、何になる? 古来から人間は闘争の果てに何を得た? 互いの命を削り、徒に奪っただけではないか」
確かにフォカロルの言う通りだ。力を持った挙句、起こるのはいつだって戦争。たくさんの人が傷つき、傷つけられ、命を落とす最悪の歴史の繰り返しだ。
僕が今から悪魔と契約してしようとすることは、同じことなのかもしれない。グリモワール王国を再建しようだなんて、誰の血も流さずに起こすことは不可能だってわかっている。
でも、違う。
僕の動機は、敵を倒すことにあるんじゃない。それだけは間違えちゃいけない。
「違う、僕は敵を殺す為に強くなりたいんじゃない」
「何が違う? 他に力を得て何が出来る?」
「僕は」
何も願わない僕の、たったひとつの願い。
「負けたくないんだ」
ミーナを守りたい、父さんたちと暮らしたい――確かにそれは間違いじゃないけど、僕の中の一番じゃない。
僕が一番願うのは、『負けない』という事。もう二度とあんなにも悔しい思いをしたくないって事。
するとフォカロルはふいに口角をあげた。
「何とも単純で純粋な、強い願いだな、黄金獅子。我はそのような願いを最も好む」
初めてフォカロルが笑った。細い眼をさらに細めて口角をあげる。声は出していなかったが、どこか嬉しそうだった。
「負けたくないとは、何と人間らしい願いか」
悪魔は、大きな鷲の翼を一振りして僕と同じ大地に降り立った。そしてふいに顔を近づけて、フォカロルは耳元に囁いた。
「契約を許そう」
「ほんと!」
嬉しくて思わず笑うと、フォカロルはこの近距離でもう一度だけ槍を一閃した。
今度も逃げなかった。そのまま突っ立っていたら当たるのは分かっていたんだけど、フォカロルから殺気が感じられなかったからだ。
槍の切っ先は、僕の篭手を切り裂いた。その隙間から、赤い割れ目が見えた。
「痛っ……」
「また避けなかったな。今度は見えたはずだが?」
「だから、フォカロルは殺気がないんだ。だから避ける必要がない」
そう言うと、フォカロルはもう一度笑った。
軽く切れてしまった僕の手の甲をとると、そこに軽く唇を寄せた。
その妖艶な仕草に図らずもどきりとしてしまった――この人は、悪魔なのに!
「血の契約を。力が欲しくば我の名を呼ぶがいい。お前が前世に作ったコインの契約の証として現世に馳せ参じよう」
「ありがとう、フォカロル!」
その時、何もない上空からコインが降ってきた。
それをしっかりと握りしめた時、また目の前を黒い霧が覆った。
「本当にありがとう!」
最後に叫んだ言葉がフォカロルに届いたかは分からないが、最後に見た彼は微笑んでいたように見えた。
目の前の霧が消えていく。
徐々に景色がもとの墓場に戻ってきた――と思うのだが、辺りは真っ暗だった。
「あれ?」
思わず素っ頓狂な声を出すと、暗闇からセイジの声がした。
「早かったな、マルコシアス……流石だ」
「ん? 何で真っ暗なの?」
しばらくすると目が慣れてきて、月明かりと星明かりで周囲の様子が見渡せた。
契約に行く直前と同じ、街はずれの墓地。すでにじぃ様の姿はなく、セイジ一人だけが暗闇に腰を落ち着けていた。
「あれ? 何で? 魔界に行く前は昼だったのに……」
「向こうとこちらでは時間の進み具合に差がある。向こうでどれだけ過ごしたかは知らないが、こちらではすでに丸一日以上たっている」
「ええっ?!」
びっくりした。
「作戦はこの夜が明けてすぐだ。急いでトロメオに帰るぞ、マルコシアス」
「あ、うん!」
その時僕は、掌にコインを強く握りしめている事に気付いた。最初と違ってコインが少し熱を帯びている気がする。
「フォカロルはどんな悪魔だった?」
「伝承どおりだった。最初は表情がなくて怖い人かなって思ったんだけど、僕が『誰にも負けたくないから力が欲しい』って言ったら、ちょっと笑ってた」
「……そうか。フォカロルが好むのは強い意志だと聞く。そのようなシンプルな願いで契約を欲したお前を気に入ったのだろう」
セイジはそう言って笑った。
「さあ、すぐに戻ろう」
コインをぎゅっと握りしめ、僕はこくりと頷いた。
早く戻らなくちゃ。父さんたちを助けるために。ミーナとの約束を守るために。