R-1 訪問
剣術大会から一夜明けた午後、道場に稽古に来た少年たちの話題は昨日優勝したあたしのことで持ちきりだった。十歳に満たない子供から二十歳近い青年まで様々な年齢の者たちがこぞって褒め称えたけれど……。
昨日から賛辞ばかりで辟易していたから、道場生を振り切って外に抜け出した。
外に出ると春の温かい風が出迎えてくれた。
思い切りその空気を吸い込んで、大きく伸びをする。
「ああ疲れた! みんな騒ぎすぎなのよ」
「でも楽しそうだったよ?」
誰もいないと思って腕を伸ばしたのに、上から声が降ってきて驚いた。
見ると道場の屋根に足をぶらぶらさせて座る黒髪金目の少年がこちらを見下ろして微笑んでいた。
靴も履かずに7分丈のズボンから裸足の足が飛び出している。身長は2年前に抜かれてから差をつけられるばかりだった。父さんの身長を抜いてしまうのももうすぐだろう。
さらさらの黒髪に黒猫のような金の瞳がおさまる切れ長の眼。背もすらりと伸びてきて顔立ちは端正と来ている。
惚けてるくせに見た目だけはいいんだから、街の女の子たちの注目の的になっていることを知らないのはマルコ本人だけだ。
「またそんなところに上って」
「へへ、ここ僕の特等席だから」
マルコの身の軽さは父さんの折り紙つきなのだが、いつも屋根や木や高いところを見ると上る癖があるようだった。
特に道場の屋根はお気に入りで、稽古をサボってはいつも特等席に座っていた。
そんな時のマルコは楽しそうで、あたしとは少し距離が出来たみたいに思えてあまり好きではなかった。それを父さんに言うと、『マルコにはきっと私たちには見えない何かが見えているんだよ』と優しく微笑んでくれた。
マルコの金の瞳に映る世界はどんな風に見えているんだろう?
あたしには一生分からない気がする。
「あ。誰か来たよ」
唐突にマルコが言って、家の前を通る道を指差した。
振り返ると見たことのない人が家の門の前に佇んでいた。あたしやマルコより少し年上だろう、美しいというよりは男前と言ったほうが通用するようなその顔立ちからは幼さが抜けており、完全に大人になった者の表情をしていた。
「こちらはフォーレス様のお宅でよろしいですか」
「ええ、そうですけど。父に用ですか?」
「いえ、先日剣術大会で優勝したミーナ=フォーレス様に用があって参りました。ご在宅でしょうか」
「ミーナはあたしですけど」
蒼水星のような瞳をしたその人の服は普段街の人が着ているものとは様相が違う。白地に金の模様が描かれた胸当てに銀の脛当て、腰には一般人が持たない剣を差している。白いマントが風に翻った。
そう、その姿はまるでトロメオで行われた祭りのパレードで見た騎士のように……
どきりとした。
屋根の上からマルコが降ってきた。数メートルはある高さから飛び降りたというのに、軽い音を立てて着地する。
それはいつものことだったが、その男性にとっては驚くべきことだったようだ。
蒼水星の瞳を少し大きくしてマルコを上から下まで観察した。
「君は? 剣術大会には出場していなかったようだが、ずいぶん身が軽いんだね」
「僕はミーナの兄弟だよ。マルコ=フォーレス。よろしくね!」
どんな時も自分のペースを貫けるマルコの性格は正直羨ましい。でも、もう16歳になったんだから敬語はいくらか覚えたほうがいいだろう。
「どうしたんだい、ミーナ、マルコ」
その時父さんが道場から顔を出した。
「初めまして、ミーナ=フォーレス様のお父様でいらっしゃいますか」
その男性を見た父さんの表情がはっきりと強張った。
父さんがこんな顔をしたのは覚えている限り最初で最後だった。
何かが始まろうとしている。きっとそれは父さんが望んでいないことなんだ。その時あたしに分かるのはそのくらいだった。
不安な気持ちを抱えてマルコを見ると、いつものように能天気に笑ってくれたせいで少し落ち着いた。だから、マルコが一緒にいればきっと大丈夫だ――そう何の根拠もなく安心する事が出来たのだ。
父さんは弟子たちを皆帰らせて、尋ねてきた男性と二人道場に閉じこもってしまった。
いったい何を話しているんだろう?
気になって仕方がなかったけれど母さんが、父さんに任せておきなさい、と言ったからマルコと二人でじぃ様の所へ出かけることにした。
じぃ様はうちからそう遠くない場所に独りで住む老人で、戦争の話だとか古い伝説だとか、いろんな事をよく知っていた。あたしたちの住む土地は昔、グリモワール王国が支配してらしいから、じぃ様は今でもグリモワール王国に思い入れがあるんだろう。18年前に滅んでしまったグリモワール王国について特によく話してくれた。
しかし今ではセフィロト国が支配する土地だ。あまりグリモワール王国のことはおおっぴらに話せない。天使崇拝が基本のセフィロト国で、それでもじぃ様はこっそりとあたしたちに悪魔の話をしてくれた――グリモワール王国が悪魔を崇拝していたから。
おかげで悪魔が野蛮で天使が至高の存在だという偏った一般常識に染まることだけは避けられたけれど、とても外で口に出すことは出来なかった。
そんなじぃ様は世間の人たちから疎ましがられていた。でも父さんや母さんはじぃ様ととても仲がよかったおかげであたしたちもよく遊びに行っていたのだった。




