M-14 合流
ミーナがいなくなってから、リッドの顔からは完全に笑顔が消えていた。
朝から晩まで馬を駆るけれど、ミーナとセイジに追い付ける気配は全くなかった。それなのに、もう目の前には旧東都トロメオが迫っていた。
僕らが住んでいた街からほんの少し南に下った場所にあるこの都市は、もともと堅固な城壁を持つ城塞都市であったらしい。18年前の戦争で城壁も門もすべてが破壊されてしまったため、今でもその瓦礫が外堀を埋めたままになっている。
遠くから見てもその大きさが分かる。
グライアル平原のほぼ中央に佇むそれは、まるで今は亡きグリモワール王国の墓標のようだった。
「……とうとう来ちゃったな」
ぽつり、とリッドが呟く。
セイジがこの旧東都トロメオで仲間と落ち合う手はずになっている、というのは道すがらリッドが教えてくれた事だ――ミーナもきっとこの辺りにいるに違いない。
「ねえ、マルコ。もしも、もしもだよ? クラウドさんが、君たち兄弟に内緒でとんでもない事を企んでたって分かったら、どうする? 協力する? それとも……」
リッドはそこで口を閉じた。
なんだかよく分からない。でも、リッドやセイジのいる部隊を全く僕らに気付かせなかった父さんの事だから、他にもいろいろやっていたっておかしくはない。何しろ僕らは父さんと母さんが元グリモワールの貴族だってことすら知らなかったんだから。
「分かんないよ、リッド。だって僕は何も知らない。いったい父さんが、リッド達が何をしているのか知らないのに協力するかなんて分かんないよ」
「うん、そうだね……そうだよね」
そう言って笑ったリッドは、とても辛そうだった。
いったい何が彼をそうさせているのか僕には分からなかったけれど、これだけは分かっていた。
きっともう、僕もミーナも日常には戻れない。父さんと母さんを無事に助け出せたとしても、僕らの存在はセフィロト国に知れてしまった。
僕はミーナより少しだけ状況を理解しているつもりだ。
国に追われるのがいったいどういうことか――敵を迎撃し続けるか、国外逃亡するか、おそらくその二つしか選択肢はない。
「とりあえずブラシカと合流してしまおうか。きっとあの門の辺りで待ってるはずだ。おそらく、セイジやミーナと一緒に」
平原に取り残された戦の遺物。崩れ落ちた外壁と焦げた門跡。これからの僕らの進む未来を不安にさせるようなそれは、僕の瞼の裏にはっきりと焼きついた。
敵を倒し続けるか、逃げるか――その時に僕はまだ、3つ目の選択肢がある事に気付いていなかった。
そう。一番当たり前で、一番難しい、たったひとつの答え。父さんや母さんが、まだ見ぬ本当の両親が僕らに安寧を与えるためにずっとずっと追い求めていた結論がある事を、僕は見落としていたんだ。
それを知った時、もう後戻りできない状況に追い込まれているのだと気づいたんだ。
門に近付いて行くと、都市入口の両脇に聖騎士団がずらりと並んでいるのが見えた。
あれではトロメオに近付く事も出来ない。
「ま、予想はしてたけどね」
リッドはそう言うと、一度馬を停めた。
石畳の街道は西に近付くにつれてだんだんと損傷がひどくなっていき、トロメオへと続く道は完全に轍で出来た土の道と化していた。トロメオは王都ユダと違い、実際に戦場になった土地だ。そのため、昔は旧東都トロメオと旧王都ユダをつなぐ立派な街道だったものが破壊されたままになっているのだった。
佇んだ僕らの横を、荷馬車が何台も通過していった。
いったいどうするんだろう、と思っているとリッドはトロメオの門を越えず、崩れた城壁に沿って裏手に回っていった。
いくらか進むとそこは戦争で職を失った人々や孤児たちが屯するほぼ野ざらしの集落になっていた。棒を何本か立てて薄汚い布をかぶせただけ、夜露をしのぐために作られたのであろうテント状のものが林立している。それはあたかも一つの街のように中心を貫く街道に沿って並んでいるのだった。
そんな中を馬に乗って歩いたのでは酷く目立ってしまう。
と、思っていたらそのテントの一つから小さな影が飛び出してきた。
「アキレアさんっ!」
幼い声。短い手足をぱたぱたとさせて駆けてきたのは、まだ幼い少年だった。歳は10にも満たないだろう。顔も手も土に汚れて真黒だが、大きな琥珀色の目がきらきらと輝いている。
「アンバ、久しぶりだね」
馬から降りたリッドは、駆け寄ってきた少年を軽々と抱き上げた。少年は嬉しそうに歓声を上げてリッドの首に手を回す。
「セイジさんはもう来てますよ。一緒に来たお姉ちゃんがすぐに眠っちゃって……案内します」
幼い割にはきはきとしっかりした敬語が出てきた事に驚いた。
が、それより何より『セイジと一緒にいたお姉ちゃん』という単語にざわりと全身が総毛だった。
はやる気持ちを抑えて、リッドと二人、少年の案内で小さなテントの一角に入った。
入り込んだテントの中はひどく狭かった。僕もリッドも腰を曲げないと入れないくらいの天井――といってもただの薄汚れた布なのだが――からランプが一つ下がっている。面積だけなら大人が優に10人は座れるだろうが、いかんせん高さがない。
土埃の匂いが立ち込める中、麻を敷き詰めた簡素な床には見覚えのある黒髪が零れていた。
「ミーナっ」
彼女の瞼はしっかりと閉じられている。
慌てて駆け寄って頬に触れ、体温を感じてほっとした。呼吸も安定しているし、どうやら眠っているだけの様子だ。
「大丈夫、少し無理をしたせいで疲れて眠っているだけだ」
後ろからセイジの声がした。
はっと振り向くと、そこには燃えるような紅髪をした長身の美丈夫が立っていた。炎を思われるような紅蓮の髪、深い藍色の瞳、黒衣をまとう引き締まった体躯――女性が10人いたら10人とも振り返るだろう。
何しろ、同性の僕が見ても見とれてしまったくらいだ。
「それでも、文句ひとつ言わずについてきた。女の身で、大した奴だ」
ずっと頭に巻いていた布をとり、目立つ紅髪をあらわにしたセイジは、天井に当たらないようかがんだまま歩いてきて僕の隣に腰を落ちつけた。
びっくりしている僕の視線に気付いたのか、軽く首を傾げる。
「……綺麗な髪だね」
何とかそれだけ言うと、セイジはひどく微妙な表情をしてこう言った。
「それは……女に言うセリフだぞ、マルコシアス」