R-14 覚悟
一瞬でも気を許しかけたあたしが馬鹿だったわ!
セイジはあたしの体力などお構いなしに、出来る限りの速度で馬を駆っているようだった。とても他に何を考えている余裕もない。ずっと馬に乗っているから全身の疲労が酷い。
太陽が傾いて朱に染まっても、セイジは馬を止めなかった。
ずいぶん東までやってきた。今晩中走り続ければ、あたしたちの街まで戻れるくらいの速さだろう。それでもずっと周囲に広がるのはただの草原だから自分がいまいったいどこにいるのかなんて事も分からない。
少しは止まったり休んだりって事を知らないの?!
と、思っていたらセイジは少し速度をゆるめて、追っていたあたしの横に並んだ。
「太陽が落ちる前に少しだけ休もう。夜中は休まず走りたい」
「……分かったわ」
あたしも歩を緩めた。
疲労と眠気で体が傾きそうになる。が、この男に弱みを見せたくない、という一心で踏みとどまった――そんな事もきっと彼にはお見通しなんだろうけど。
美しく整った唇の端を少し上げて、馬の足を停めた。
「疲れたか?」
「疲れてなんていないわよ」
強がってはみたけれど、息の荒さを隠しようがない。それどころか、馬から降りると地面にがくりと膝をついてしまった。もう足が立たない。
ああもう、悔しい! こいつにこんな所見せたくない!
と、思っていたらぐいっと腕を掴まれて立たされた。リッドに支えられた時とは違う、強引な力に思わず頬を膨らますと、セイジはどこか楽しそうに笑って見下ろしていた。
「どうした、礼くらい言え」
「……」
ありがとうなんて言いたくない。目を逸らすと、押し殺したような笑い声が聞こえた。
思わず睨むと、セイジはさもおかしそうに笑っていた。
セイジから渡された水筒を手に、あたしは草原に座り込んだ。
彼は隣で佇み、周囲の様子を窺っている。
「ねえ、セイジ」
「何だ?」
「悪魔のコイン、見せて」
そう言うと、セイジは少し迷ったが、腰のベルトに括ってあったチェーンを外してこちらに寄越した。そのチェーンの先には掌で握ってしまえるサイズのコインが一枚括ってあった。銀の縁にはめ込んであるがコイン自体はくすんだ黄金色で、どこか禍々しい雰囲気があった。
「破壊の悪魔レラージュのコインだ。グリモワール王国時代に作られたもので、全部で72枚あるがいくらか失われている」
あたしが本で読んだ事が本当なら、レラージュは緑のフードをかぶった幼い姿の射手らしい。顔を見たことのある者がおらず、また使役したレメゲトンの人数も極端に少ない。その力はほとんど謎に包まれているという悪魔だった。その矢に中ると、傷口が腐り落ちるという噂もある。
「これ、どうしたの? どこで手に入れたの?」
「……業務秘密だ」
業務秘密? 怪しいものね。
あたしはコインをセイジに返して、体力回復を図るべく口を閉ざした。
するとセイジは、まるで世間話でもするようにさらりと言った。
「これからすぐトロメオに向かう。クラウドさんとダイアナさんは現在そこに監禁されているらしいからな。うまくいけばそこで救出、無理ならば旧国境のカーバンクルで待ち伏せする」
ん? いまとても重要な事を言ったような?
あたしは思わずとてつもなく上の方にある彼の顔を見た。夕日の赤に照らされた横顔は端正で、ため息が出るほど美しい――セイジにはきっと赤が似合う。燃え盛る炎のような紅蓮。
「はっきり言って人手が足りない。この状況で動けるのが俺とアキレア、それにアキレア配下のダリア。主要戦力が3人、後は最初から入り込んでいるブラシカが動けるか動けないか……何より、俺達は裏部隊だからあまり派手な行動は出来ない。残念ながらお前達を全面に押し出すしか誤魔化す方法はなさそうだ。せいぜい働いてもらう」
「何の話をしてるの?」
思わず聞き返すと、セイジはちらりとあたしを見下ろして、また視線を草原に戻した。
「作戦は先にブラシカが練っているはずだ。合流地点は旧東都トロメオ正門跡、そこでブラシカと落ち合う事になっている。他のメンバーもトロメオに集う」
「ブラシカ、ていうのも同僚なの?」
ところがセイジはまたもあたしの言葉を完全無視して続けた。
「アキレアはお前達を使うと知れば確実に反対するだろうからな。どうにもあいつは甘い」
「ねえ、何のことよ! あたしを無視しないで!」
立ち上がってセイジの正面に回ると、藍色の瞳をまっすぐに見つめた。
彼は一瞬驚いた様子を呈したが、すぐにまた唇に笑みを湛えて視線をずらした。
「その瞳でこっちを見るな。その顔を俺に向けるな。どうにも……落ち着かん」
「……!」
口元は笑っているが、目は笑っていなかった。それどころか、声がひどく苦しそうで胸をキュッと締め付けた。
いったいもう……何なのよ。
あたしは叫ぶ気もなくして口を噤んだ。
「……ラスティミナ」
ふいに名を呼ばれて、顔をあげる。
すると、辛苦を映じた藍色の瞳があたしを見下ろしていた。
「覚悟はあるか?」
いったい何の覚悟だろう。
そんなあたしの気持ちが通じたのか、セイジは滔々と語った。
「お前はまだクラウドさんたちの事をよく知らないはずだ。俺達のような隠密部隊を抱えていた事すらも知らなかったのだからな……それをすべて、知る覚悟はあるか? 受け入れて、ついて来る覚悟はあるか?」
「あるわよ」
考える前に即答していた。
「知る覚悟も何も……あたしたちには知る権利があるはずよ。今みたいに知らないままでいて危険な目に遭ったりするのはもうたくさん。どんな事であろうと、事実を教えて欲しい。もうあたし、何も分からない子供じゃないのよ? 本当の両親があたしたちを捨てたのが『幼かったから』っていう理由一つなら、もうそんな言い訳は通用しないわ」
だって、知らなかった。父さんたちが、今は亡きグリモワール王国の重要人物だったなんて。本当の両親が第一級のお尋ね者だったなんて。こんな風にセフィロト国から追われる日が来るなんて――知ろうとしていなかった。
あたしたちはきっとそうやって育てられた。何も知らないように、幸せな時を刻んでいけるようにとたくさんの人たちが守ってくれていた。
じゃあ、今度はあたしが父さんたちを守ろうとしてもいい番じゃない?
そのために、力が欲しい。
「あたしは父さんや母さんやマルコと一緒にいたいだけよ。それ以外、望んだ事はないわ」
セイジは、しかしながら、それ以上何も言わなかった。
ただ分かったのは、いまあたしたちが向かうべきは旧東都トロメオで、そこで仲間の『ブラシカ』という人と合流するのだという事。そこで父さんたちの状況が報告され、救出作戦が練られるとの事。
要するに今は、トロメオへ向かうしかないということだ。
でも、あたしはやっぱり知らなかった。
旧東都トロメオで、もう後戻りできないような大きな運命の渦に巻き込まれて行くのだという事を――




