R-12 追跡
あたしの睨んだとおり、真夜中に人の動く気配があった。
きっとセイジが出発するんだ。
そっと起きあがると、隣ではマルコが安らかな寝息を立てて眠っていた。
昨日マルコはきっとあたしに呆れたに違いない。ここまできてもまだカトランジェに行くことを頑なに拒否したんだから。危ない目に遭わせたくないって、あんなに心配してくれたのに。
「ごめんね、マルコ」
それでもあたしは自分の心に嘘をつく事は出来ない。
「先に行って待ってる」
この優しくて、ほんの少し臆病な双子の片割れを連れて行くには、多少無茶をしてもあたし自身が動くしかない。
きっとマルコならあたしの後を追ってきてくれるはず。
そして、リッドも。あたしがセイジにくっついて行けばきっとリッドも放っておけないはず。マルコを連れて、後からついてくるはずだ。まだ出会ってからほんの少ししか経っていないけれど、彼があたしを守るためならきっと遠くからでも飛んできてくれるだろうってことを期待していた。
どうしてだろう。彼の屈託ない笑顔が瞼の裏に焼き付いている。
「ごめん、リッド」
こっそりと闇に呟いて、あたしは寝床を離れた。
マルコほどうまくはないけれど、あたしだってそれなりに気配を消すことができる。
そっと繋いである馬に近寄った。眠っていた馬をそっと起こし、手綱を取る。
「少しだけ、あたしに力を貸してね」
ぽんぽん、と首を撫でると、その黒馬は分かった、と頷くように首を振った。その馬にひらりと乗って、息をひそめた。
ぼそぼそ、と小さな話し声がする。きっとリッドとセイジだ。何を言っているかは分からないけれど、きっと打ち合わせでもしているんだろう。
あたしはそっと馬を進めた。
あたしにもマルコみたいな視力があったらよかったのに――闇の中では目を凝らしてもほとんど何も見えなかった。
彼より先に街道につかなくちゃ。戻れないところまで先回りしなくちゃ意味がない。
「急いで」
野営地を少し離れてから、手綱をとって足を速める。
柔らかい草に覆われた地面を踏みしめる鈍い蹄の音と、草を蹴散らす音だけが響いている。周囲は一面の闇。握った手綱と頬を擦って行く風、それから全身に伝わる振動だけがあたしの感覚のすべてだった。
ふっと空を見上げて方角だけ確認する。
異国の王妃の名をとったカシオペア座を目印に、街道に突き当たるのを待った。
が、いくら駆けても街道が見えない――当たり前だ、だって周囲は闇に包まれていて何も見えないんだから。
やばい、このままじゃセイジを先回りするどころか……
あたしは一度馬を停めた。
すでにどっちから来たかも分からない。
心臓の音が耳元で響く。冷汗が背中を伝った感じがあった。
「……どうしよう」
瞬きしても視界が変わらない、恐ろしい闇があたしに迫ってくる。
それが怖くてギュッと目を閉じた。
そうすると肌が鋭敏になってひやりとした空気の流れが感じられた。風に揺れる草木の音があたしを包み込んで駆け抜けていく。耳元で響いていた自分の心臓の音は遠ざかって行って、呼吸が穏やかになる。
まるで自分が宙に浮いてしまったかのような感覚にあたしは酔いしれた。
そしてその時、あたしの感覚に触れるものがあった。
視覚とも嗅覚とも聴覚とも違う、全く別のもので掴んだその感覚は、確実にあたしの中に入り込んできた。何も見えないことが逆にあたしの感覚を最大限にまで広げている。
「何だろう、この感じ……」
それは、ある方向から少しずつ『何か』が近づいてくる気配だった。
どこか懐かしいような、不思議な感覚。
それだけでなく、その気配はあたしの腰のあたりからも感じ取れる。
その感覚を頼りに手を伸ばすと、腰のベルトに差した羽根が手に触れた。極上の手触りが指の先をくすぐり、少なからずあたしの心を落ちつけた。
そうすると、ある一つの気配が感覚の中で収束した。
「人じゃないものの気配だ……」
実際に目の当たりにしたセイジの力――全力で走っていた馬と同じ速さで地を駆け、乗っていたあたしを馬から引き剥がして、さらに手綱を人間らしからぬ力でもって無理やり引いて止めてしまった事――を考えると、悪魔のコインを持つ、というのはどうやら嘘ではないらしい。
マルコとリッド、セイジの話から推測すると、悪魔の『加護』を受けると身体能力が向上したり、怪我を治癒出来たりと、悪魔の力の一端が使えるようになるのではないかと予想できる。
きっとこの羽根は、その加護の一部。
それと同じ、でももっと強い気配が近づいているという事は、コインを持ったセイジの気配に相違ないだろう。
それも、この気配は一度気付いてしまえばもう拭えないほどに深く、あたしの中に入り込んできた。
「見つけた」
この力があればあたしは距離を置いてセイジを追いかける事が出来る。
もう一度目を開けて闇を確認し、手綱をとった。
明日からまた多忙な期間に入るため、ストック分をここ数日ですべて更新しました。おそらくいったん更新をお休みすることになると思います。
復活時期は分かりませんが、できる限り早く戻ってきます(最長で7月初旬まで無理、ということになりますが……汗)
次に更新した時も、よろしくお願いします。
08 5.15 早村友裕