M-10 獲捕
ミーナと目配せしてから、ゆっくりとリッドに歩み寄っていくと、少しずつ話の内容が聞こえてきた。
「じゃあ、やっぱり……」
「とりあえず救出を急ぐべきだな。一刻の猶予もない。すぐ動ける者は何人いるか分かるか?」
「オレが無理だから残ってるのはランプとブラシカ、それに……ダリア」
リッドとぼそぼそと話している人は、どうやらやっぱり知り合いらしい。
近くで見るとかなり背の高い人だった。リッドが見上げているという事は僕や父さんよりもずっと上だ。黒いマントを羽織っているために服は分からなかったけれど、彼から受ける威圧はとても一般人とは思えなかった。薄汚れた布を頭に巻いていて髪色はよく分からなかったけれど、まるで舞台俳優のような端正に整った顔立ちで、藍色の瞳が強い意志を持って輝いている。年は30前くらいだろうが、年齢を感じさせない凛とした空気を纏った男性だった。
いったい何者だろう――いや、それを言うならリッドの素性だって父さんの二番弟子だという以外はよく分かっていないのだけれど。
「旧セフィロト国領に入ってしまえば手が出し難くなる。その前に……ん?」
うまく気配を消して隠れていたと思ったのだが、リッドと話していた長身の男性はふいに僕が隠れている草むらを藍色の瞳で射抜いた。
あっちゃあ、ばれちゃった。
それにつられてリッドもこちらを見て、大きくため息をつく。
「マルコ、出てきて。そこで何やってるの?」
もう隠れても仕方がない。僕は草むらから立ち上がって二人のところへ向かった。
が、長身の男性は大きく目を見開いて僕の顔を凝視した……そんなに変な顔してるかな?
長身の男性は藍色の瞳をいっぱいに大きくして呆然と呟いた。
「……ウォル先輩」
「ね、そっくりでしょ」
リッドが肩をすくめる。
ウォル先輩って言うのも僕の父親の名前なのかなあ? アレイに店長にウォル先輩――僕の父親はいったいいくつの名前を持っていたんだろう?
それにしても会う人会う人、みんな僕を本当の父親だって人と勘違いしすぎだよ。そんなに似てるの?
「この人、リッドの知り合い?」
「仕事仲間だよ。彼も君たちの両親の事はどちらもよく知ってる」
長身の男性はじっと僕を見降ろした後、複雑そうな表情のまま口を開いた。
「俺はセイジだ。そうか、お前がマルコシアスか」
「僕を知ってるの?」
「噂にはな」
セイジ、と名乗った男性を近くで見ると、その体躯のよさと隠しきれない闘気に威圧された。
この人もリッドと同じ、おそらく凄腕の剣士だ。もしかすると同じように父さんの弟子なのかもしれない。リッドは二番弟子、といったからセイジが一番弟子なんだろうか?
それよりも、さっき二人が話していた事の方が気になった。
「ねえ、さっきの話……救出するとか言ってたけど、何のこと?」
そう言うと、あからさまに二人の表情が強張った。
こんな時、僕の勘はよく働く――それがいいことか悪いことかは分からないけれど。
「もしかして、捕まったの? 父さんと母さん」
いまや滅びたグリモワール王国の騎士団長だったという父さんなら、セフィロト国から手配をかけられていないはずがない。加えて母さんも地位の高い貴族だったという。
二人の沈黙が何より雄弁な肯定だった。
心臓が早鐘のように鳴り響いている。全身の血がざぁっとひいた。とっさに声が出せなかった。
どうしよう。これがミーナに知られたら……
そう思った時、背後で何かが動く気配がした。
ああ、どうしてこんな嫌な予感ばかりが当たるんだろう。
振り向けば、強い意志を秘めた紫水晶でもってこちらを見つめる双子の相方の姿がそこにあった。
彼女はくるりと踵を返すと、馬を繋ぎとめてある木の方に向かって駆けだした。
「待って、ミーナ!」
慌てて追いかけるけれど、もう遅い。
ミーナは小太刀で馬を繋いだ革紐を切断すると、ひらりと馬に飛び乗った。
「ミーナ!」
僕も慌てて馬の紐を解いてその背に飛び乗った。
揺れるポニーテールを追いかけるけれど、馬の選択を間違ってしまったらしく全然追い付けない。
草原を颯の如く駆けていくミーナ。
もう追いつくのは無理かと思った時だった。
「レラージュ!」
後ろから鋭い声が飛んだ。
刹那、僕が駆っていた馬の隣をふいに何かが通り過ぎて行った感覚があった。
そして呆れたような声がした。
「まったく、とんでもない娘だな……いったいどっちに似たんだ?」
「……!」
僕は目を疑った。同時に慌てて馬を止める。
高い嘶きと共に僕の乗っていた馬はその場に立ち止まった。
「放してよ! 何するのよ!」
嘘だろう?
さっきまでずっと後ろにいたはずのセイジが僕の目の前にいて、ミーナの襟首を捕まえて掲げているのだ。しかもミーナが乗っていた馬の手綱を反対の手で握っている。馬が逃げようとすごい力で引っ張っているはずなのに、セイジは全く動じていなかった。それどころか強く引きつけて落ち着かせてしまった。
先ほどまでとは段違いの不思議なオーラが彼を取り巻いているのが分かる。その圧倒的な力は、まるで陽炎のようにセイジの全身から立ち上っている。
それに、レラージュって言う名前。
「破壊の悪魔」
僕がぽつりと呟いたのに気付いて、セイジは口角を上げた。
思ったよりも幼い感じのする、明るい笑顔だった。