R-9 叱咤
マルコが大口を開けて固まっている。
仕方ないとはいえ、その間抜けな表情をやめなさい! せっかく綺麗な顔してるのに……勿体ない。
昨日まで付けていなかったマントを羽織っている双子の相方をちらりと見てから、もう一度リッドに視線を戻した。
「今、なんて……?」
リッドも栗色の瞳を真ん丸にしてこっちを見ている。驚きに声も出ない、といった風体だ。
でも、あたしはもう決めていた。
「カトランジェには行かないって言ったの」
もう一度そう言うと、マルコもリッドも愕然となった。
うん、なかなか面白い光景ね! 切れ長の目の端正な顔をした少年と、童顔で柔らかな笑みを湛える青年。女の子がいたらどっちが好み?って話題になること間違いなしの二人が、揃いも揃って目の前で口をあんぐり開けてるのだ。
幸いな事に早朝で周囲に人は見当たらないが、こんな街道のど真ん中で3人が問答していれば目立つことこの上ないだろう。
リッドは何とかあたしとマルコを促して街道を外れ、草原にぽつぽつと生える木の根元に馬を落ちつけた。
落ち着いてすぐ、あたしは追い討ちをかけるように言い繋いだ。
「街に、戻りましょう。カトランジェに行っても何も変わらないわ」
「ちょ、ちょっと待ってミーナ。それがどういうことか分かってるの?」
慌てたリッドに、あたしはもう一度、にこりと笑う。
街を出てから、もうたくさん泣いた。弱音も吐いたし、こんなにも遠くまで逃げてきた。怖い思いをして、命の危険も乗り切って。
そうしたら、全部がすっきりして未来への道筋がはっきりと見えた。
「分かっているつもりよ。その代わり、カトランジェに逃げるのがどういう事かも分かってるつもり」
栗色の瞳をまっすぐに見つめて。その隣の金の瞳に笑いかけて。
あたしはゆっくりと言葉を紡いでいった。
「カトランジェに逃げてどうなるの? これからずっと国から隠れて暮らすの? 父さんも母さんももういないのに……そんなの、あたしは嫌よ。父さんも母さんもいないなんて、何の悪い事もしていないのに堂々と暮らせないなんて」
昨日の夜、一人馬を進めながらずっと考えていた。
逃げているのはあたしらしくない――前に進むのにそれ以上の理由なんていらなかった。
「あたしの、あたしたちの人生はあたしが決めるわ。国なんかに決めさせない。もちろん、父さんと母さんだって国に渡したりしない。ましてや、処刑なんて……」
さすがに言葉に出せなくて、いったん口を噤んだ。
声も出せずにいたリッドの栗色の瞳を見上げて、あたしは宣言した。
「あたしは、自分が望まない事なんてしたくないわ。父さんたちとも、マルコとも離れない。逃げない。もしそれを国が邪魔をするのなら、説得でも迎撃でもなんでもいい、あたしの人生なんだから納得させてみせる!」
言葉にしたら、覚悟が出来た。
命を惜しんで逃げ隠れていたら、それはあたしにとって死んでいるのと同じだ。それならあたしは、命を賭けて自分の居場所を勝ち取りたい。
ただし相手は『セフィロト国』というその大きさすらも分からないほど強大なものだ。生半可な事では無理だろうし、今の時点でいったい何から始めたらいいのかも分からない。追手の騎士を撃退し続けるとか、王様に会って説得するとか、無茶な上に全く効果のなさそうなことしか思いつかなかったけれど。
案の定マルコは同じ事を思ったようで、首を傾げて、言った。
「でもさ、街に戻っていったいどうするの?」
「父さんと母さんに会うわ。そして、今度こそ傍を離れたりしない。あたしたちだけ逃がそうなんて、許さないんだから」
「でも僕らが戻っても何もできないよ? だから……」
分かっている。そんな事、分かっている。
昨日だってあたしがリッドを助けるなんて言って戻ったからマルコが危ない目に遭った。
「でも嫌なのっ!」
ここまでくるとほとんどあたしの我儘だった。
「あたしには何も出来ないかもしれない、足手纏いになるかもしれない……それでも、あたしは……」
マルコは困ったように切れ長の目を歪めた。ミーナは言い出したら聞かないからな、という心の中が丸見えだ。
代わりに、リッドがこれまでのような笑顔ではなく、ひどく真剣な目をしてあたしを覗き込んだ。
「ミーナ、我儘はいい加減にするんだ。もう何度も言ったように、カトランジェにいったん身を隠して。クラウドさんとダイアナさんもそれを望んでいる。君たちを守るにはそれが一番いいんだ」
これまでにないきっぱりとした口調。優しい面影はどこかへ影を潜めている。
馬上で微笑みかけられた時のように、あたしは一瞬どきりとした。
「もうそれは何度も聞いたわ」
「じゃあ分かってくれるまで何度も言うよ。君たちは、セフィロト国から追われてる。それは、君たちの両親が18年前の戦争でセフィロト軍に多大な被害をもたらしたからだ。それも、二人とも両親に生き写しだから言い逃れできない」
「それも聞いたわ」
「君が納得するまで何度だって言うよ、ミーナ。君が剣術大会で優勝して、国家騎士団から勧誘がきた。その時、セフィロト国に気づかれてしまったんだ。君たちが、そして君たちの両親が生きているってことが」
「それも聞いたわよ」
頑固に言い張ると、リッドは大きな眼をちょっと細めた。
マルコはその隣でじっと押し黙っている。
「じゃあこれは知ってる? 昨日の夜オレたちを襲った銀髪の人がいただろう?」
「ええ、いたわ」
「彼は『セフィラ』と呼ばれる、この国に10人しかいない天使を召喚する神官の一人だ。とても、君たちが敵う相手じゃないんだよ」