M-7 加護
痛い、と言う声も出ないほどの焼け付く激痛に支配された。
やばい。
喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。耐えきれず、咳と共に真っ赤な血を吐いた。それはそのまま地面に流れ出て、視界の隅が赤く染まった。
指一本動かせないままに倒れ伏した僕の頭の上から、低く、よく通る声が降ってきた。
「あーあ、やっぱり、弱い」
「……っ!」
その言葉で傷の痛みとは違う熱さが胸の内を焦がす。
弱い? 僕は、弱い……。
――イヤダ
全身が、その言葉を拒絶した。弱い、という言葉を。
大粒の涙を流したミーナの姿が脳裏を過る。そして、誓った言葉。
全身が煮え滾っているようだ。躰以上に心が痛い。そして熱い。
「まだ……」
心の痛みは熱いエネルギーとなって僕の中を駆け巡った。
「終わってない……っ!」
初めての感覚だった。
手も足も出せずに負けたことが、弱いと言われたことが、僕の中の何かを呼び覚ました。
――負けたくない
こんなにも強く思ったのは初めてだった。
動かない、と思ったはずの手足に力が入る。胸のあたりは焼け付くように痛いし喉の奥から熱い血が湧き出していたけれど。
ぽた、ぽたと地面に赤い雫が落ちる。
「あれ?」
不思議そうな声がする。
崩れ落ちそうになる膝を支えて、その声の主を睨みつけた。
「おかしいな、ちゃんと刺したはずなんだけど」
銀髪のヒトの右篭手から飛び出した刃は血に濡れている。彼はそれを確認して、もう一度僕の方を見た。
負けたくない。
その気持ちだけが僕を支えていた。
「仕方ないな、もう一回……」
血を吸った刃がランプの明かりで暗闇の中にゆらりと浮き上がった。
対する僕は、もう体の感覚なんてない。今立っているのが不思議なくらいだ。
でも。それでも。
ミーナを守るって誓ったから。
「強く……なりたい」
よく考えると、こんなにも自分のことで願ったのは初めてだったかもしれない。
そして芽生えたその感情に、応えるものがあった。
「負けないっ!」
そう叫んだ瞬間、僕の左手の篭手から光が溢れた。
かすむ視界、薄れゆく意識の中に優しい声が流れ込んできた。
「お願いだ。この子に……この子たちに、ありったけの加護と、平穏を」
誰の声だろう。とても優しい女の人の声がする。
それに、とても温かい。目の前に銀色の光が溢れている。
傷の痛みがどんどん遠ざかっていく。それに伴って、意識もはっきりしてきた。
視界を覆っていた銀の光が霧散するように消えた時、目の前には刃を構えた銀髪の人の姿だけがあった。
傷の痛みがない事を訝しみ、腹に手をやると確かに血でべっとりと濡れてはいたが傷は見当たらなかった。
おかしいな、確かに死にそうな傷だったと思ったんだけど。頭の中に響いた優しい声といい、温かくて柔らかな銀色の光といい、よく分からないことだらけだ。
いずれにせよ、先ほどのダメージからは完全に回復していた。
剣をまっすぐに銀髪の人へと向ける。
「負けない」
その言葉をもう一度、口に出して。
するとその銀髪の人は目を半分閉じたままで口角を上げた。
「ああ、なるほど……君はもしかして、あの二人の子供なんだ」
あの二人。どの二人を指しているのかは分からなかったけれど、この話の流れで行くと僕とミーナの両親の事だろう。
「そうかもしれない」
「リュシフェルの加護、マルコシアスの名……間違いないね」
銀髪の人は嬉しそうに笑った。
「もう一度、消してあげるよ。羽根の加護は……一つだけだろう? もうやり直しは利かないよ」
羽根の加護。
ああそうか、さっきの銀色の光は僕らの本当の両親だという人たちが名前と共に僕らに唯一残したのだと父さんが言っていた。
銀色の光とあの優しい声は、もしかすると……
「ありがとう」
まだ見ぬ、そしてこれからもきっと出会う事がないだろう本当の両親に向けて、こっそりと呟く。
僕の命を救ってくれた。
そして薄明かりの中、銀髪の人をまっすぐに睨みつけた。
手にした剣には先ほどの銀の光の残滓がまとわりついていた。
何故だろう――体が軽い。
細胞の一つ一つが歓喜するような高揚感を抱え、地を蹴った。




