M-4 追手
部屋を出ると隣からミーナが顔を出した。
もう眠るところだったらしく、装備を解いてベルトも外し、髪を下ろしていた。
「うるさいわね、寝られないじゃない!」
睡眠を妨害された彼女はひどく不機嫌だった。
こんな時のミーナは危険だ。何をしでかすか分からない。刺激しないように後ろについて静かに階段を下りていった。
宿の受付で騒いでいたのは、昨日の昼に道場を訪ねてきた人と同じ服を着た男たちだった。腰には剣、白地に金の模様が描かれた胸当てをして白いマントを羽織っている。
肩につけた紋章はセフィロト国王家のものだった。
やばい、あれは……。
「何よ、うるさいわね! 静かにしてよ!」
ええええ!
びっくりして声が出なかった。
なんと隣のミーナが腰に手を当てて男たちを指差したのだ。挑発するような行動を止められず、隣でうろたえる結果となってしまった。
「眠れないじゃないの。あなた達にあたしの睡眠を妨害する権利、あるのっ?」
「ミ、ミーナ……」
やばいって。あれはどう見てもセフィロト国の追っ手じゃないか!
白マントの男たちはひそひそと何か呟きあうと、いったん外に出て行った。
宿の主人はほっとしたように扉に鍵をかけた。
「すみませんね、お客さん。どうやらお尋ね者を探しているようで、こんな夜遅くに無理やり入ってきたんですよ。何でも18年前の戦争でセフィロト国に甚大な被害をもたらした者たちがこの辺りにいるそうだ」
やっぱりだ!
僕はミーナの手を掴んですぐ部屋に戻った。
逃げなくちゃ。
「ミーナ、すぐ準備して。逃げるよ!」
「は?」
未だ寝ぼけ眼のミーナは不機嫌そうに首をかしげた。
もう、何でこんな時に!
「さっきのはどう考えたって追っ手だよ。もうここまで来てるんだ。捕まっちゃったら父さんに申し訳が立たないよ!」
父さん、という言葉にミーナは敏感に反応した。
やっと目が覚めたようだ。
紫の瞳をパッチリと開いた。
「あたしたち本当に国に追われるようになっちゃったのね」
「悠長なこと言ってる場合じゃないよ! 早く!」
いつもと立場が逆だ。普段は僕がミーナにせっつかれているっていうのに今は僕が主導で動かなくちゃいけない。
荷物をまとめようとした時、階下がまた騒がしくなった。
もう時間がない!
荷物はほとんど捨てて、剣だけ腰に差した。父さんがくれた羽根は篭手の裏に貼り付けてすぐ部屋を飛び出した。
完全に覚醒したミーナも同じことを思ったようで、最小限の装備品を身につけた状態で廊下に飛び出してきた。ベルトに羽根が二本刺さっていた。
「裏口に回るわよ、マルコ!」
いつもの調子が戻ってきたミーナは強い口調でそう指示した。
裏に続く階段を駆け下りようとした時、後ろから抑揚のない青年の声が追いかけてきた。
「どこ行くの? 二人とも」
が、振り向く勇気がなかった。声の主が追っ手だという事だけは間違いない。それも、僕の勘からするととても勝てそうにない敵だ。
ミーナと二人視線を交わすと、ほとんど飛ぶように階段を駆け下りた。
裏口を飛び出すとすぐそこには茶髪のお兄さんが馬車を用意していた。
僕らが駆け降りてくるのを予測していたのか、後ろの扉を開けてある。
「早く乗って!」
「ありがとう!」
僕らが乗り込むと馬車はすぐ走り出した。そのまますごい速度で街中を駆け抜けていく。
「このままカトランジェへの道を進もう。西へ向かってグライアル草原を抜けて、ラッセル山を越えればすぐカトランジェの街だ」
お兄さんはがたがた鳴く車輪の音に負けぬ張りのある声で言った。
「オレが囮になる。もう少ししたら沼地を通るから、二人とも隙を見て飛び降るんだ。怪我、しないようにね!」
「えっ?」
驚いて聞き返したが、お兄さんはそれ以上答えようとしなかった。覚悟を決めた人の守る沈黙はそれだけで人を黙らせてしまう空気を持つ。
はっとして後ろを見ると追っ手の馬が迫っていた。
「待って、お兄さんはどうするの?」
「大丈夫、オレは追われる身じゃないから」
お兄さんはにこりと笑った。
車輪の音がうるさい。
「お兄さん、どうして僕らを守ってくれるの? 昨日会ったばかりだっていうのに!」
「……」
僕の言葉にお兄さんの瞳が揺らいだ。
聞き取れるか聞き取れないかそんな小さな声で青年はぽつりと口にした。
「君たちが店長とグレイスの子だからだよ。オレが大好きだった二人の、誰よりも大切な君たちだから。そしてオレに生きがいをくれたクラウドさんとダイアナさんが、誰からも傷つけられないようにと育てた君たちだから」
「店長とグレイスって、あたしたちの親だっていう人のこと? あなたは何者なの?」
「マルコシアスのご加護を。さあ、もう行って!」
お兄さんはそれ以上続けずに僕らを促した。
追手の馬はもうすぐそこまで迫っていた。もう一刻の猶予もない。
「ありがとう、お兄さん。必ずカトランジェで会おう」
まだ何か聞きたそうなミーナを抱えて僕は馬車から飛び降りた。