妄想大爆発
ゆづ姉のドジがあった次の日の火曜日。
「千太郎ー。料理部行く?」
放課後、俺は千太郎の席に近づいて行って聞く。
「悪い。今日用事があるからパス」
「わかった」
「じゃーなー」
「ああ、じゃあな」
千太郎は教室を出ていった。
俺は机の脇にかけてある鞄を手にして、家庭科室へと向かった。
家庭科室の戸を開けようとして、ふと手を止める。
中を見ると一番乗りと思われる姫詩が何やら一人で喋っている。
『悠雲、今日はハンバーグ作ったの。食べて食べて』
『お、美味そうだな。どれどれ……、うん、美味い』
『本当? よかった』
『こんなに美味しいものが作れるなんて、やっぱり俺には姫詩しかいないよ』
『まあ、そんな。恥ずかしいわ』
『姫詩』
『悠雲』
『二人は互いに見つめあい、そして熱い口づけを交わす』
『姫詩、ずっと考えていた事があるんだ』
『何? 悠雲』
『結婚しよう。俺達』
『悠雲……』
『姫詩。これからも大切にする。だから、結婚しよう』
『はい。悠雲、その言葉をずっと待ってた』
『姫詩』
『悠雲』
『二人は互いを強く抱きしめる。そして結婚式の日』
『綺麗だよ、姫詩』
『悠雲、カッコいいよ』
『両親、親戚、友人たちが見守る中、教会で式をあげる2人』
『病める時も健やかなる時も汝互いを愛し合うと誓いますか?』
『誓います』
『誓います』
『それでは指輪の交換を』
『互いに指輪を交換し、見つめあう2人』
『それでは誓いの口づけを』
『悠雲は花嫁のショールをあげ、その唇に唇を重ねる』
『姫詩。一生大切にするよ』
『あたしも。悠雲、愛しています』
『二人は皆に祝福されながら花道を歩いていき、車に乗ってハネムーンへ』
『そして結婚してからしばらくたち』
『ただいま、姫詩』
『おかえりなさい、あなた』
『今日も疲れたな。晩御飯は?』
『今日はガーリックチキンを作ってみたの。これでスタミナ付けて明日からも頑張って』
『おお。ありがとう。やっぱり姫詩は最高の嫁だな』
『も、もうあなたったら』
『それじゃいただきます』
『どうぞ』
『お、にんにくの香ばしい匂いと味に甘辛いソースがぴったりだ』
『そうでしょ? 自信作よ』
『姫詩の料理は最高だな』
『ありがとう、あなた』
「なーんてね。さーて、準備しよ」
「……」
あいつの妄想の中で俺は結婚して仲睦まじい夫婦になってる。
どうする? このまま中に入るべきか、入らざるべきか。
俺が家庭科室の戸の前で逡巡していると、背後から声をかけられる。
「秋野先輩?」
「! 何だ千恵ちゃんか」
「家庭科室の戸の前で何してるんですか?」
千恵ちゃんは不思議そうな顔をする。
「いや、皆揃ってなさそうだったからさ、ちょっと入るのに躊躇しちゃって」
「何だそんなことですか。気にせずに入ってください。秋野先輩はもう部員みたいなものじゃないですか」
「ありがとう、千恵ちゃん」
「じゃあ入りましょう。こんにちはー」
「こんちはー」
「あ、千恵に……悠雲。いらっしゃい」
「まだ皆さん集まってないんですね」
「ええ。千恵、道具とかの用意手伝って」
「はい」
2人は残りの部員を待ちながら、調理の準備を進める。
やがて他の部員達も集まり、料理部の活動が始まる。しかし、ゆづ姉がいない。
「姫詩、ゆづ姉は?」
「今日は用事があるんだって」
「秋野。珠季が居なくて寂しいか?」
御影先輩はそう言ってクククと笑う。
「ええ。そうですね。寂しいです」
「むー……。じゃあ悠雲。あたしが居なくても寂しい?」
不機嫌そうに頬を膨らませた姫詩が聞いてくる。
「そりゃ寂しいよ。やっぱり2人がいてこその料理部だからさ」
「そう、そうよね。ごめんね。変なこと聞いちゃって」
「いいさ。今日のメニューは?」
「ハンバーグよ」
「ぶほっ」
俺は思わず吹き出してしまう。
「どうしたの? 悠雲」
「い、いや何でもない」
「そう? すぐできるから待っててね」
姫詩、今日作るもので妄想してたのか……。
姫詩の組と御影先輩の組に分かれて調理が進む。
互いに玉ねぎをみじん切りにしている。が、姫詩のみじん切りは相当荒く、それに対して御影先輩は細かく丁寧に刻んでいる。
「姫詩、もっと丁寧に刻めよ」
「炒めて縮むんだからこれで大丈夫よ」
「そういう問題じゃないだろ。そんな大雑把だったら火の通りが均一にならないぞ」
「うるさいわねー。大人しくしていて」
姫詩は聞く耳をもたない。俺はその態度にカチンときた。
「こんなに美味しいものが作れるなんて、やっぱり俺には姫詩しかいないよ」
「!」
姫詩は驚愕の表情を浮かべてこちらを見る。
俺は勝ち誇った表情で姫詩を見やる。
俺の言葉に料理部員達は色めき立つ。
「秋野先輩。告白ですか?」
「やっぱ2人ってそういう関係だったんだー」
「栗生先輩、おめでとうございます」
「栗生、秋野はダメだ。絶対に」
「みんな、ほら作業に集中!」
色めき立つ部員を諌めるように姫詩が大声で言う。
料理部員達はその言葉に従う。
「悠雲、余計な事言わないでくれる?」
「余計な事って? 二人は互いに見つめあい、そして熱い口づけを交わす?」
姫詩の顔が見る見るうちに赤くなる。
「悠雲。聞いてたの?」
姫詩は切れ長の目を見開く。
「ああ。一部始終をな。おお。ありがとう。やっぱり姫詩は最高の嫁だな」
「……」
姫詩は顔を真っ赤にしながらわなわなと震えている。
「……て行け」
「ん?」
「出て行けー! 覗きなんて最低よー!」
姫詩の絶叫が木霊する。
「はいはい」
俺は席を立ち、家庭科室を出た。
「あーあ、食べ損ねたな、ハンバーグ」
俺はそう独り言ちると、玄関の方へ歩いていく。
その途中で見知った影を発見する。毛先にウェーブのかかった背中まで伸びた長髪。ゆづ姉だ。
「おーい、ゆづ姉」
「あ、ゆう君。今帰り?」
ゆづ姉はにこやかに聞いてくる。
「そうだよ。ゆづ姉も今帰り?」
「ええ」
「じゃあ一緒に帰らない?」
「いいわよ~」
ゆづ姉は形の良い垂れ目を細めながら答える。
俺達は玄関を出ると、並んで歩く。
「ゆう君。今日は料理部に行ったんじゃないの?」
「行ったよ。だけど追い出されちゃった」
「追い出された? 何をしたの、ゆう君」
ゆづ姉は不思議そうな顔をする。
俺は姫詩の妄想劇場を見ていたこと、そしてそれをバラして追い出された事をゆづ姉に話す。
「ゆう君。意地が悪いわね」
「ははは……面白くて、つい、ね」
「それにしても、ひなちゃんも相変わらずね~」
ゆづ姉はそう言って苦笑する。
「あいつの妄想逞しい所はホントに凄い」
「ゆう君。それだけひなちゃんは真剣なのよ。ちゃんと応えてあげないと」
「ゆづ姉。いつもそれだね。俺はゆづ姉が好きなんだよ。だから、姫詩の想いには答えられない」
「ダメよゆう君。ひなちゃんを大切にしないと」
ゆづ姉は困ったように言う。
「いつもそれだね。ゆづ姉は」
「だって、お姉ちゃんとしては弟と妹がいがみ合っている状況は嫌だもの」
「……弟、か」
「どうしたの? ゆう君」
「いや、何でもない。ゆづ姉、用事ってなんなの?」
「ああ、お母さんに夕飯の買い物頼まれて。部活終わりだと遅いから、休ませてもらったの」
「そうなんだ。ねえ、俺もついてってもいいかな?」
「いいわよ~。男手は大歓迎」
「よし、じゃあ商店街に行こうか」
俺達は駅前の商店街に向かった。
「は~。沢山買ったわ~」
ゆづ姉は満足そうに伸びをする。
「……」
俺の両手にはゆづ姉が買ったものがズシリとのしかかる。
「ゆう君。ありがとう。ゆう君がいるおかげで普段買えない重い物も買えたわ~」
「それは何より」
「それじゃ、帰りましょう」
「……うん」
それから俺達はゆづ姉の家に向かった。
途中、荷物の重さに耐え切れなくなりそうになりながら、俺はゆづ姉の家までの道を踏破した。
「ありがとうゆう君。助かったわ~」
「じゃあ、ゆづ姉。お礼がほしいな」
「お礼? 何がほしいの?」
「ちょっと散歩がてら河川敷に行かない?」
「いいわよ~」
俺はゆづ姉を連れて、河川敷の方へと足を向ける。
「河川敷、なつかしいわね~。すっかり行かなくなったわ~」
「そうだな。昔はよく行ってたのに」
しばらく歩いて、河川敷に到着する。
「変わってないわね~。このグラウンド、ゆう君、覚えてる?」
「ああ。ここで良くサッカーしたっけ」
「私は運動音痴だから、よく転んだわ~。その度にゆう君が絆創膏を貼ってくれたのよね」
「あれ? そうだっけ?」
俺は首を傾げる。
「そうよ。ゆう君、あの頃から優しかったのよ~。そういえばゆう君。覚えてる?」
「何を?」
「ほら、ひなちゃんがボールを川まで蹴り込んじゃった事があったじゃない」
「あ、ああ。思い出した。俺、そのボールを追いかけて川に飛び込んだんだ」
「そうよ。ずぶ濡れになりながらボールを拾ってきたの」
「小さかったとはいえ、無茶したな、俺」
「そうよ~。一歩間違えていたら大変な事になったかもしれなかったわ~」
ゆづ姉はそう言って俺の頭を小突く。
「でもまあ、無事だったからいいじゃない」
「そうね。ゆう君、これからは無茶はしないでね~」
「うん。気を付ける」
「ゆう君、土手に座らない?」
「うん」
俺達は河川敷の土手に座り、川を眺める。
「風が気持ちいいわね~」
「そうだな。こうしていると昼寝したくなるな」
俺は河川敷に寝そべる。
「昼寝してもいいわよ。私が起こしてあげる」
「んじゃ。お言葉に甘えて……」
俺は目を瞑り、眠りの世界へと落ちていく。
「…う、ゆう」
「ん?」
「ゆう、おきてよ」
目を開けると姫詩がいた。
「ひなた?」
「ゆう、サッカー、やろ」
姫詩がボールを持って立っている。
「やるか。ゆづねえは?」
「やろ~」
既にゆづ姉はグラウンドに立っていた。
俺は土手を駆け下りる。
「ゆう」
姫詩はボールを蹴って俺にパスを渡す。
俺はボールをトラップして足の裏で止める。
「にたいいち、やろうか」
「うん」
「ええ」
俺はドリブルを開始すると姫詩がボールを奪いに詰め寄ってくる。
「えい」
姫詩はボールに足を延ばしてくるが俺はボールを足裏でコントロールして触れさせない。
そのままひなたを抜き去ってゆづ姉に迫る。
「それ」
ゆづ姉がボールに足を延ばそうとするが俺は腕でゆづ姉をブロックする。
するとゆづ姉がバランスを崩して転ぶ。
「いたいよー」
ゆづ姉が涙目になって膝を押さえている。膝からは血が出ている。
「ゆづねえ、だいじょうぶ?」
俺は慌てて駆け寄る。
「……」
「……ゆづねえ?」
「よくもやったな……」
ゆづ姉の口が大きく裂け、ニマァと笑う。
「ひ……」
「ゆ・る・さ・ん」
夜叉の形相でゆづ姉が迫る。
「うわあああああ!」
俺は飛び起きる。
「ゆ、ゆう君。どうしたの~?」
ゆづ姉が俺の顔を覗き込んでくる。
「うわ!」
俺は飛び退いてゆづ姉の顔をまじまじと見つめる。
口は裂けてない。いつもの見目麗しいゆづ姉がそこにいた。
「……夢、か」
「ゆう君、凄い汗よ~」
ゆづ姉がハンカチを出して額の汗を拭いてくれる。
「ありがとう、ゆづ姉。ちょっと怖い夢見た」
「どんな夢?」
「ゆづ姉が口裂け女になって襲い掛かってきた」
「え?」
ゆづ姉の可愛らしい垂れ目が点になる。
「怖かったー」
「ゆう君。まったくどんな夢見ているのよ~。こんなに可愛らしい私が口裂け女なんて」
ゆづ姉が軽く頭をポンポンと叩いてくる。
「それ、自分で言う?」
「ふふ……冗談よ」
ゆづ姉はニコリと微笑む。
「さて、そろそろ帰ろうか」
「そうね~」
俺たちは河川敷を後にした。