ドジっ子?
ビーフシチューをご馳走になった次の日。
俺は放課後になるといつもの様に料理部に顔を出した。ちなみに千太郎は用事があるため不在だ。
「ちわーす」
俺は家庭科室の戸を開ける。
「あ、いらっしゃい。悠雲」
「ゆう君。いらっしゃい」
「秋野。今日は1人か? うるさいのが居なくて助かるな」
3人が迎えてくれる。
「今日は甘い匂いがするな。何作るの?」
「クッキーよ」
「ひなちゃんと話して、色々なクッキーを作ってみることにしたの」
「へえ、それは楽しみだな」
俺は調理台の前にある椅子に座る。
「秋野先輩。お茶いかがですか?」
サイドポニーを揺らしながら千恵ちゃんがティーポットとカップをトレイに乗せて持って来る。
「お、頂くよ」
「はい、どうぞ」
千恵ちゃんはカップにお茶を注ぐ。
俺は注がれたお茶を一口啜る。
「あれ? 紅茶でもないし、日本茶でもない。何茶?」
「ハーブティーです」
「へえ、これはこれで美味しいね」
「クッキーの方が仕上がるまで、待っていてくださいね」
千恵ちゃんはそう言って調理台の方へと戻って行く。
調理台では姫詩とゆづ姉達が談笑しながら生地を練っている。
姫詩達は出来た生地を平たく延ばし、型で様々な形のクッキーを作っていく。
一方ゆづ姉は冷蔵庫から棒状の生地を取り出し、輪切りにしていく。
そしてさらに、別の生地を天板に2~3cmの大きさに並べている。
御影先輩は生地を渦の形にしていく。
姫詩の方はメレンゲを天板に並べている。
「何か、色々できそうだなあ」
「悠雲。いい出来になりそうだから期待していて」
「ゆう君。あとは焼くだけだから待っててね」
「秋野。今日もいいのが出来そうだ。楽しみにしていろ」
「はーい」
3人はオーブンに天板を入れて焼き始める。
「秋野先輩。皆さん、お茶でも飲んで待ちましょう」
「いいわね~。頂きましょう」
ゆづ姉が駆け寄ってくる。
「ゆづ姉、足元」
遅かった。
ゆづ姉は足元にあった椅子にぶつかり、そのまま派手に転んでしまった。
スカートがめくれ上がり、下着が露わになる。
「ゆづ姉。スカート」
「え? あ……きゃああ!」
ゆづ姉は慌ててスカートを元に戻す。
――薄い水色。
「悠雲。見た?」
「ミ、ミテナイヨ」
「ゆう君……」
ゆづ姉は恨めしそうな目で俺を見やる。
「ごめんなさい。見ました」
「……まあ、仕方ないわね。私がドジだっただけだし」
ゆづ姉は立ち上がる。
「痛……」
ゆづ姉は右の足首を気にする。
「ゆづ姉。大丈夫」
「珠季、大丈夫か?」
姫詩と御影先輩が駆け寄る。
「だ、大丈夫よ。ちょっと捻っただけだから。痛!」
「ゆづ姉。無理しない方が良いわよ」
「珠季。保健室に行ったほうがいい。秋野!」
御影先輩が俺を呼ぶ。
「はい」
「珠季を保健室まで運んでくれ」
「はい。わかりました。じゃあ失礼して」
「え? ゆう君?」
俺はゆづ姉を横抱えする。所謂お姫様抱っこの形だ。
「じゃあ、行こうか」
「え? え?」
「わかってるじゃないか。秋野」
御影先輩はウンウンと頷いている。
俺は家庭科室を出て保健室に向かう。
「ゆ、ゆう君。大丈夫よ。歩けるから」
「まあまあ。たまにはいいじゃない。こういうのも」
「……」
ゆづ姉は頬を染めて、小さくなっている。
俺は保健室の戸を足で開ける。
「野々山先生―」
保健室はしんと静まり返っている。
「あれ? 先生いないな」
「ゆ、ゆう君。もういいわ。下ろして」
「うん。よっと」
ゆづ姉を丸いすに座らせる。
「えーと、湿布と包帯は……あ、あった」
俺は棚から湿布と包帯を取り出し、ゆづ姉の下に行く。
「ゆづ姉。靴と靴下脱いで」
「え、ええ」
ゆづ姉は右足の靴と靴下を脱ぐ。
くるぶしが腫れている。捻挫の可能性もありそうだ。
「じゃあ湿布貼るよ」
「ええ」
俺は湿布を取り出し、透明なビニールを剥がして、患部にピッタリと貼る。
「ん……」
ゆづ姉は湿布の冷たさに声を震わせる。
「じゃあ包帯巻いていくね」
俺はゆづ姉の右足を取り、包帯を丁寧に巻いていく。
「ゆう君。ごめんなさいね~」
「ん? 何が?」
「その……私がドジ踏んだばかりに、こんなことさせて」
「はは……俺は気にしてないよ。それに役得もあったしね」
「役得?」
「ゆづ姉をお姫様抱っこ出来たこと」
「あ……」
ゆづ姉は真っ赤になる。
「お、重くなかった?」
「全然。軽いくらいだったよ」
「そう……」
「はい、巻けたよ。歩ける?」
「うん、ちょっと待って」
ゆづ姉は恐る恐る立ち上がると、すたすたと歩き出す。
「大丈夫みたいだね。だけど捻挫している可能性もあるから、明日は病院行ってね」
「ええ。ありがとう、ゆう君」
「じゃあ戻ろうか」
俺はゆづ姉を再び横抱えする。
「ゆ、ゆう君。自分で歩けるから」
「まあまあ。折角だし」
「……ゆう君」
「じゃあ、行くよ」
保健室を出て、2人で家庭科室へと向かった。
「ゆづ姉。軽いね」
「そうかしら~? これでも肉付いている方だと思うんだけど」
俺はゆづ姉の胸の方に視線を巡らせる。
「まあ、必要な所に肉が付いているだけだから」
「ゆう君のエッチ」
ゆづ姉は俺の頬をつねる。
「いひゃひゃ。ひゅづねえ」
「おしおき~」
ゆづ姉はそう言って更に頬をつねってくる。
「ひゅづねえ。ひゃるかったって」
「……ふう、これに懲りてエッチな事は言わないこと」
「りょ。了解」
2人して家庭科室へ戻る。
「悠雲。ゆづ姉、そんなに重症なの?」
姫詩が俺達の様子を見て慌てたように言う。
「いや、多分捻挫か足を挫いただけ。明日病院に行けば大丈夫」
「そう。良かった。帰りもお姫様抱っこしてきたから、心配したじゃない」
「それは悪かった。よっと」
ゆづ姉を下ろす。
「ありがとう。ゆう君」
「なーに、礼には及ばないさ」
「珠季、役得だな。堪能したか?」
御影先輩はゆづ姉を見てクククと笑いながら言う。
「恭子!」
「おお怖い」
御影先輩がわざとらしく肩を竦める。
「さ、クッキー、そろそろ出来ているんだろ?」
「あと5分よ」
「そっか。楽しみだなー」
「秋野先輩。お茶でも飲みながらゆっくり待ちましょう」
そう言って千恵ちゃんが俺のカップにハーブティを注いでくれる。
「ありがとう。頂くよ」
一口すすると、ハーブの香りが口の中いっぱいに広がる。
「俺、このお茶好きになりそう」
「悠雲。このハーブティ。ウチで出しているの」
「へえ。姫詩の家の味か。今度飲みに行こうかな?」
「うん! 是非来て!」
そんなやり取りをしているとオーブンの終了を告げる音がなる。
「あ、第一陣が出来たみたいね」
姫詩と料理部員たちはオーブンの方へと向かう。
オーブンの中から香ばしく甘い匂いが立ち込める。
皿に並べられたクッキーが並べられる。
そして第二陣をオーブンに入れて焼き始める。
「さあ、食べましょう」
姫詩が皿を持って来て差し出す。
そこには普通のバタークッキー、チョコチップ、白いクッキー、大きめの輪切りにされたクッキーが並んでいた。
「じゃあこの白いクッキーから」
俺は白いクッキーを口に運ぶ。外はさっくりと、中はフワフワとした食感がする。
「これ何? フワフワして美味しいんだけど」
「それはね。メレンゲをクッキーにしたの」
「メレンゲって、卵白から作るクリームみたいなやつ?」
「そう。いけるでしょ?」
「うん。美味しい」
「ゆう君。この輪切りのクッキーも食べてみて」
ゆづ姉はそう言ってクッキーを手に取る。
「ゆづ姉?」
「あーん」
俺は逡巡しながら、口を開ける。サクサクとした食感に紅茶の味わいが口の中に広がる。
「これ、紅茶の味がする」
「紅茶シロップで味付けしたクッキーなの~。どう? 美味しい?」
「美味しい。癖になりそう」
「うふふ、気に入ってもらってよかったわ~」
「秋野このクッキーも食べてみろ」
皆でクッキーを食べ合い、気が付くと第一陣の皿は空になっていた。
「美味しかったわねー」
「そろそろ第二陣も出来るかしら~」
オーブンの終了を告げる音がなる。
料理部員たちは再びオーブンの周りに集まり、天板を取り出し、クッキーを皿に並べる。
「はーい、第二陣」
第二陣はゴロゴロとしたクッキーと、ナッツの入ったクッキー、そしてソフトクッキーだった。
「このゴロゴロとしたやつ、頂くよ」
「どうぞ」
俺はゴロゴロとしたクッキーを口に運ぶ。外はカリカリ、中はふわっとした食感のクッキーはほんのりレモンの味がする。
「うん。レモンの味がさっぱりさせて美味しい」
「本当? やった」
「次はこのソフトクッキーを頂こうかな」
「どうぞ~」
俺はソフトクッキーを口を運ぶ。口の中にバナナの味とシナモンと何かの香りがする。
――この味。まさか……。
俺はゆづ姉を見る。
ゆづ姉はニコニコと笑っている。
「ゆづ姉、これって……」
「ええ。久しぶりに作ったんだけど、上手く出来ていたかしら~?」
「うん。上手く出来ているよ。あの時以来だな。美味しいよ」
「そう。良かったわ~」
「何々? 悠雲。このクッキー食べたことあるの?」
興味津々といった様子で姫詩が聞いてくる。
「うん。小学生の時、ゆづ姉が調理実習で作ったものを貰ったんだ」
「へえ、それはそれは。さぞ思い出深い品なんでしょうねえ」
姫詩の機嫌が悪くなる。
――俺、何かマズイ事言ったかな。
俺が考えていると御影先輩がニヤニヤしながら言う。
「珠季のクッキー。美味しいだろう? どうだ? 嫁に?」
「え、えーと……」
「恭子、ゆう君を困らせないで~」
「む、そんなつもりはなかったのだが……」
御影先輩は意外そうな顔をする。
――御影先輩って、ゆづ姉の事推してくるよな。
そんな事を考えながら次のクッキーを選ぶ。
「このナッツの入ったクッキー食べてみようかな」
「あ、それ自信作! 食べて食べて!」
クッキーを口に運ぶ。不思議な香りがする。食感も独特だ。
「姫詩。これ、おから?」
「そう! おからを使ったクッキーなの。美味しい?」
「美味しいよ」
「ホント? 良かったあ」
姫詩は先程までの機嫌の悪さはどこへやら。笑顔をみせて喜んでいる。
第二陣も料理部員たちの手によって、空になる。
「じゃあ悠雲。後片付けするから、ちょっと待ってね」
「一緒に帰りましょうね~」
「わかった」
料理部員たちはカップや皿を洗っていく。
全て片付くと、姫詩とゆづ姉、御影先輩は三角巾とエプロンを外す。
「さあ、帰りましょ」
「おう」
「行きましょう」
「行くか」
4人で家庭科室を出る。
「そういえば、悠雲」
「何?」
「ゆづ姉の作ったシナモンクッキー、小学生の時貰ったって言ってたけど」
「うん。調理実習で作ったやつな」
「あたしも悠雲にあげたクッキー、今日作った中にあったんだけどなあ」
俺はギクリとなる。
「え? えーと……そうだっけ?」
「ゆう君……ダメねえ」
ゆづ姉が溜息を付く。
「なーんてね」
「へ?」
「あたしが作ったクッキーはジンジャークッキーだから、今日の中には含まれていないわよ」
「そ、そうか。あはは……道理で初めての味ばかりだったわけだ」
「あーあ。あたしも作れば良かったかな」
姫詩が伸びをしながら言う。
「ひなちゃん。また今度作りましょうよ」
「そうね。その時は、ジンジャークッキー、作ってあげるね」
「楽しみにしているよ」
「あ、そういえばゆづ姉。足大丈夫?」
「そうだ。大丈夫か? 珠季」
御影先輩は心配そうに珠季を見る。
「そういえばそうだった。大丈夫?」
「あらあら~。3人共そんなに心配しなくても大丈夫よ。もう痛みは引いてるし」
「でも捻挫かもしれないから、明日絶対に病院に行ってくれよ」
「ええ。わかったわ~」
「む。ここでお別れか。では3人共、また明日」
御影先輩は丘の下に着くと俺達とは違う方向へ行く。
「はい、お疲れ様でした」
「じゃあね。恭子」
「先輩、お疲れ様でした」
御影先輩と別れ、3人で歩いて行く。
「悠雲。ジンジャークッキーの味、覚えてる?」
姫詩は期待に満ちた眼差しを向けてくる。
「え? あ、ああー。生姜の味がしたなあ」
「ジンジャーなんだから当たり前でしょ。さては、忘れてたな」
「……すまん」
「あーあ、結局悠雲はゆづ姉優先か」
「ゆう君、ひなちゃんとの思い出忘れているなんて、ダメねえ」
ゆづ姉がため息をつく。
「う……悪かったよ。姫詩」
「いいわよ。今度作った時嫌ってほど思い出してもらうから」
そう言って姫詩はニッコリ笑う。
「ひなちゃんのジンジャークッキー。美味しそうね~」
「ええ。ほっぺたが落ちるくらい美味しいわよ。今度絶対作ろうね。ゆづ姉」
「そうね~。あ、ひなちゃん、ゆう君。ここでね」
いつの間にかゆづ姉の家の前に辿り着いていた。
「じゃあね、ゆづ姉」
「じゃあ、ゆづ姉」
「また明日ね~」
姫詩と2人で同じ方向へ歩き出す。
「ねえ、悠雲」
「ん?」
「あたしがゆづ姉みたいに怪我したら、お姫様抱っこしてくれた?」
「そりゃまあ。しただろうな」
「ホント?」
姫詩の眼が輝く。
「ああ。姫詩も大切な幼馴染だからな」
「幼馴染だから、か」
姫詩は多少落胆した様子で小声で何か言う。
「ん? 何か言った?」
「何でもない何でもない」
「何でもないならいいけど……」
「あ、所で悠雲、今日のクッキー。どれが一番美味しかった?」
それからは今日出されたクッキーの話題で盛り上がった。
「悠雲。じゃあね」
「じゃあ」
俺達は互いの家に入った。