珍しくスカート
夏休みが終わって最初の土曜日。
俺は部屋で惰眠を貪っていた。
そこにコンコンと音が響く。
「……んー」
俺は気にせずに眠る。
コンコン
「……後5分」
ガンガン
「!」
俺は異音に目を覚ます。
音がした方を見るとそれは窓だった。
「……」
カーテンを開け、窓を開け放つ。
「おはよう」
隣の家の住人が同じように窓を開け放ってニッコリ笑っていた。
「ふぁ……おはよ。で、何の用?」
「悠雲。映画行きましょ」
「映画?」
「そう。今面白そうなのやってるの」
これと言って姫詩は映画館の上映予定表を渡してくる。
「届かない声?」
「そ。耳が聞こえない主人公と、耳が聞こえるヒロインとの恋愛もの。きっと感動モノよ」
姫詩は薄い胸を張る。
「それで、2人で観に行きたいと?」
「うん。ダメ……かな?」
姫詩は上目遣いで聞いてくる。
「……いいよ。今すぐ行くか?」
「うん! じゃあ準備して玄関前ね」
「おう」
俺達は互いの窓を閉じ、外出の準備を始める。
俺はパジャマを脱いでTシャツにチノパン姿になると、1階の洗面台に向かう。
その途中で母さんに会う。
「悠雲。おはよう。ご飯、出来てるわよ」
「ごめん、出かけてくるからご飯はパス」
「出かけるって?」
「姫詩と映画見に行ってくる」
「あらそう。悠雲、頑張ってきなさいよ」
母さんはそう言ってギュッと握りこぶしを胸の前で作る。
「はーい……」
俺はつれない返事をして洗面台に向かう。
寝ぐせを整え、念入りに歯を磨き、最後に顔を洗う。
「よし……」
鏡の前の自分を見て問題がないことを確認すると、玄関へ向かう。
「それじゃ、行ってくる」
「いってらっしゃーい」
家を出て門をくぐる。
まだ姫詩は出てきていなかった。
――まあ姫詩も女の子だしな。準備には時間がかかるんだろう。
そんな事を考えながら10分ほど待つと、隣の家から姫詩が出てきた。
「ごめんなさい。悠雲、待ったでしょ?」
軽く息を切らしながら、姫詩が言う。
「いや、全然。今来たところだし」
「そう?」
「そう」
「ふーん、まあいいわ。ね、悠雲、私を見て何か思わない?」
そう言って姫詩はクルリとその場で一回転する。
Tシャツに紺のミニスカートの出で立ちは姫詩の快活さを表すようだった。
「あ、スカート」
「正解! どう? 似合う?」
姫詩は期待に満ちた眼差しでこちらを見る。
スカート姿は制服で見慣れているが、私服では久しぶりだ。いつもと違う感じを受ける。
「似合ってるよ。姫詩、これからも出かける時はスカート姿な」
「え? そ、そう。悠雲がそう言うなら……」
姫詩は恥ずかしそうにモジモジする。
「じゃあ、行こうか」
「ええ。ねえ、悠雲、手、繋いでもいい?」
「ん? いいよ」
俺は右手を差し出す。姫詩は左手を差し出して、おずおずと手を握ってくる。
「悠雲の指。ほっそりしてしていて奇麗よね」
「ん? そうかな?」
「そうよ。あーあ、羨ましいなあ」
姫詩はそう言って指を絡めてくる。
「姫詩の指だって細くて、可愛らしいじゃないか」
「あたしのはダメよ。ちょっと節くれ立っているもの」
「気にしなくてもいいと思うけどなあ」
「女の子は気にするの」
姫詩はそう言って頬を膨らます。
それからは、これから見る映画の話をしながら映画館への道を行った。
映画館に入り、チケット売り場に並ぶ。
「結構いるわね」
「土曜日だからな。お、次の上映時間のチケット、空いてるな」
「本当? 良かったあ。ここまで来て待ち惚けってのもね」
姫詩はホッとした表情を浮かべる。
並ぶこと15分。俺達の番が来る。
「届かない声。大人2枚」
「はい。席はいかがなさいますか?」
「姫詩、どこがいい?」
「やっぱり真ん中でしょ」
「じゃあ、ここで」
俺は中央やや後ろよりの席を指差す。
「2600円になります」
俺は3000円を出す。
「3000円お預かりします。400円のお返しになります」
「悠雲。あたしの分、払うわよ」
そう言って姫詩が財布を出そうとするのを手で制する。
「いいよ。俺の奢りってことで」
「ありがとう。悠雲」
俺達はチケット売り場を離れる。
「ねえ、悠雲。ポップコーンとコーラ、買わない?」
「いいね。買ってくるからちょっと待ってて」
俺は姫詩を映写室への入り口付近に待たせて、売店の列に並ぶ。
……
まつこと20分、ようやく番が来る。
「いらっしゃいませー」
「コーラ2つと、ポップコーンキャラメル味で」
「はい。800円になります」
俺は1000円を支払う。
「200円のお返しになります。ありがとうございましたー」
俺は紙製のトレイにジュース2つとポップコーンを乗せて姫詩の下に向かう。
しかし、姫詩は見慣れない連中に囲まれていた。
「ねえ、彼女。俺達暇なんだよね。一緒に映画見てくれないかな?」
「そうそう。きっと楽しいよ」
「すみません。連れがいるので……」
「連れなんて放っておけばいいじゃん」
男の1人が姫詩の肩に手を伸ばす。
姫詩はその手をはたき落とす。
「いい加減にしてください」
「このアマ。下手に出ていたら調子に乗りやがって」
男は腕を振り下ろす。
俺はその腕を掴む。
「俺の連れに何か用ですか?」
男は俺の方を向いてつまらなそうな顔をする。
「けっ。本当に男連れかよ。行こうぜ」
もう一人の男とともに、男は歩いて行った。
「姫詩。大丈夫か? 何かされなかったか?」
「悠雲。大丈夫よ。もう、ジロジロ私の足を見て、最悪だったわ」
姫詩はぷりぷり怒っている。
「それは許せないな。姫詩の足を見ていいのは俺だけだ」
「え? 悠雲」
「違う?」
「ゆ……悠雲だったら、見てくれて構わないわよ」
「じゃあ遠慮無く」
俺は姫詩の足をじっと見る。引き締まった良い脚線美をしている。
「ゆ、悠雲。ふざけてないでもうすぐ上映時間だから行きましょ」
「あ、そうだった。じゃあ行こうか」
「ええ」
俺達は映写室への入り口に立っているスタッフにチケットを渡し、映写室へ向かう。
映写室へ入ると、俺達は中央の席に座る。
肘掛けの上にポップコーンを置き、片手にはコーラを持つ。
「悠雲。何でキャラメル味にしたの?」
「ん? 塩の方が良かった? 俺キャラメル味の方が好きなんだけど」
「そうなんだ。あたしは塩の方が好きなんだけど」
「2つとも買って来れば良かったかな?」
「いいわよ。あたし、キャラメル味も嫌いじゃないし」
そう言って姫詩はポップコーンを2つ3つと食べている。
「悪いね。気が利かなくて」
「そんな事、気にしなくてもいいわよ。あ、始まるみたい」
5分ほど他の映画の予告編が流れた後、本編が始まる。
話は耳の聞こえない主人公が高校に編入してくるところから始まる。
スケッチブック片手に筆談する主人公。
最初は興味本位で集まってきていた生徒達。
しかし、主人公は段々と孤立を深めて行き、ついにはいじめの対象になってしまう。
スケッチブックには罵詈雑言が書かれ、机には誹謗中傷する言葉が毎日のように書かれる。
そんな中、ヒロインの女生徒だけは主人公の味方に立つ。
主人公がいじめられそうになったら真っ先に庇い立ち、主人公へのいじめをやめるように訴えかける。
『なんで、そこまでして庇ってくれるのですか?』
主人公はスケッチブックにそう記す。
『耳が聞こえないだけでいじめられるなんて、おかしいでしょう?』
主人公は少し驚いた様子でスケッチブックに更に書く。
『でも、このままではあなたもいじめの対象になります』
『だからって、放ってはおけない』
主人公はヒロインを見やりながら、一言書く。
『ありがとう』
ヒロインはその言葉に満足気な笑みを浮かべる。
――何というか、甘い展開になりそうだな。
ふと、自分の手の上に何か乗せられている感覚を覚える。
肘掛けを見ると姫詩の手が乗せられている。
「……」
姫詩は目を潤ませながら映画を見ている。
――姫詩。感激屋なんだよな。
俺は映画そっちのけで、姫詩の顔を見ていた。
お笑いのシーンでは笑い、修羅場のシーンでは俺の手をギュッと掴んでハラハラした顔をする。
――面白い。
そうしているうちに、姫詩がこちらの視線に気づく。
「ゆ、悠雲。何であたしを見ているの?」
姫詩は頬を染めながら言う。
「だって、姫詩を見ていると面白いんだもの」
「……」
姫詩はミュールのかかとで思い切りこちらの足先を踏んでくる。
「!」
俺は館内で大声を出すわけにもいかず、悶絶する。
「ふん、人のことバカにした罰よ」
姫詩はぷりぷり怒って映画鑑賞に戻る。
俺は蹲って足の痛みが引くのを待った。
そうしているうちに映画はラストに入る。
卒業式の後、ヒロインは主人公を学校の裏山に呼び出す。
2人は手話で会話を始める。
『何か用ですか?』
『秀一君。制服の第2ボタンください』
主人公は意外そうな顔をしながらも第2ボタンを取って渡す。
『ありがとう。一生大切にします。それじゃ』
ヒロインは裏山から去ろうとする。
そのヒロインの後姿に主人公は叫ぶ。
『いりがやさんー。うきぃー!』
『え……?』
ヒロインが振り返る。
『ちゅき、だいちゅき』
主人公はヒロインを抱き寄せ、キスをする。
そこでエンディングロールが流れる。
隣にいる姫詩を見る。
「よかったねえ秀一。良かったね景子」
大泣きしていた。
「姫詩。大丈夫か?」
「えぐ……うん、大丈夫。行こ」
俺達は映写室を出てチケット売り場のあるホールまで戻る。
そこまで戻ると姫詩もすっかり泣き止んでいた。
「いやー、良かったわね」
「ああ」
「ん? 悠雲。何か不満でもあるの?」
「いや、お前のリアクション見ていて、映画の方に集中してなかった」
「……でしょうね。悠雲、そんなにあたし面白かった?」
「うん。なんだかわかりやすくて」
姫詩は再びミュールのかかとで思い切り足を踏もうとするが、俺はそれを躱す。
「ちっ。悠雲、帰るわよ」
「はーい」
映画館を出て、家路につく。
「悠雲、聞いても無駄だと思うけど、今日の映画面白かった?」
「うん。姫詩の面白い姿を見れたから面白かった」
「あたしは、ただ映画に感情移入していただけよ。それのどこが面白いの?」
「だって、シーンごとに子供みたいにコロコロ表情が変わるんだもの」
「むー……。それだけ純粋ってことよ」
姫詩はむくれ顔になる。
「そうだね。その純粋さは貴重かも。素直に感情移入出来るのも良いね」
「悠雲……」
「姫詩。姫詩は今のままで良いと思うよ」
「……めよ」
「ん?」
「今のままじゃダメよ! あたし、悠雲を振り向かせて見せるんだから!」
「姫詩?」
「悠雲。今に見てなさい。あたしにメロメロにしてあげるんだから!」
「ん? ああ。頑張れよ」
「むー……。何その態度。やっぱりゆづ姉が良いの?」
その言葉に俺は困ったように笑う。
「まあ、ね」
「あたし、ゆづ姉には絶対負けない! だから見てて悠雲」
「あ、ああ」
そんなやり取りをしているうちに、互いの家の前まで来ていた。
「じゃあね。悠雲」
「ああ、じゃあな」
互いの家に入った。




