料理部
6月。初夏の香りを醸し出すある日。
俺は自室のベッドで眠っていた。
「……きろー」
誰かの声がする。
「……起きろー! 悠雲!」
「!」
俺は驚いて飛び起きる。すると、そこには隣の家に住む幼馴染の栗生姫詩が立っていた。
「悠雲。起きた? 急がないと遅刻よ」
「ふぁ……。あ、本当だ」
俺は時計を見る。7時40分。そろそろ急がないといけない時間だ。
「何が『あ、本当だ』よ。ほら、早く準備する」
ショートボブの髪型に切れ長のつり目、低めの鼻にぽっちゃりとした唇。見た目は奇麗というようり可愛らしいという形容が合っている俺の幼馴染は目をつり上げてぷりぷり怒っている。
「あの、姫詩」
「何よ?」
「姫詩がいると着替えられないんだけど」
姫詩は意外そうな顔をする。
「何よ。昔は一緒にお風呂入ったりしたじゃない」
「いつの話だ! とにかく、外で待っててくれ」
「わかったわよ。早く準備してね」
姫詩は部屋を出て行く。
俺はパジャマを脱ぎ、ワイシャツを着て、ブレザーの制服に着替える。
ネクタイを適当に巻いて部屋を出ると廊下に姫詩が立っていた。
「早いじゃない。あ、でもネクタイ曲がってるわよ」
姫詩はそう言って俺のネクタイの曲がりを修正する。
「ありがとう」
「ほら、早く顔洗って歯を磨く!」
「は、はい」
俺は急いで階段を下り、洗面台の前に立つ。
顔を洗い、歯を磨き始める。
「悠雲。準備出来た―?」
姫詩が洗面台の所にやってくる。
「まふぁふぁふぃふぁいふぇる」
「早く磨きなさいよ!」
「ふぁ、ふぁい」
俺は急いで歯を磨く。
「ふう……」
「『ふう』じゃない! ほら、行くわよ」
姫詩は俺をグイグイと引っ張り、玄関へと連れ出す。
「悠雲、朝ごはんは?」
母さんが食堂から顔を出す。
「ごめん、今日はパス」
「そう。いってらっしゃい。姫詩ちゃんも」
「おばさん、行ってきます」
「行ってきます」
俺達は家を出て、早歩きで学校へ向かう。
「ゆづ姉、もう行ってるかしら?」
「どうだろう。案外待ってるかも」
「そうね。あんたに負けず劣らずのんびりしているから、待っているかもね」
「俺がのんびりしているんじゃなくて姫詩がせっかちなだけだと……」
「何か言った?」
姫詩が切れ長の目をつり上げる。
「何でもないです……」
「まったく……。あ、ゆづ姉だ。おーい、ゆづ姉ー」
ゆづ姉と呼ばれた少女はこちらを振り返る。
ゆづ姉こと葉室珠季は俺のもう一人の幼馴染だ。
毛先にウェーブのかかった背中まで伸びた長髪に垂れ目、整った鼻梁に薄い唇。姫詩とは違い、奇麗という形容がぴったり合う。
「あら、ゆう君にひなちゃん。おはよう」
「おはよう、ゆづ姉」
「おはよ、ゆづ姉。ごめんねー、ゆうが寝坊して」
「寝坊って言う程じゃないだろ」
「立派に寝坊よ!」
「あらあら、今日も2人は仲良しね~」
ゆづ姉はそう言ってニコニコ笑う。
――やっぱりいいな、ゆづ姉の笑顔。
「悠雲。何ボサッとしてるのよ。行くわよ」
「あ、ああ」
「ゆう君。急ぎましょう」
俺達は学校への道のりを早歩きで進む。
俺達の通う羽ケ崎高校は俺の家から徒歩で25分程の所にある小高い丘の上に立った学校だ。
丘を登るつづら折りの道が名物となっている。
進学校を謳っており、毎年最高学府の大学に合格者も出している名門校である。
「そういえば悠雲。今日は料理部来る?」
「行こうかな。千太郎も誘っていい?」
千太郎とは、俺の友人である竜堂千太郎の事だ。常にリア充がどうこう言っている変な奴だが、悪いやつではない。
「いいわよ。じゃあ放課後待ってるわね」
「ああ」
「ゆづ姉。今日はハンバーグで良かったわよね?」
「ええ、そうよ」
「ゆづ姉のハンバーグ。期待しているよ」
俺の言葉に姫詩が不満気な声をあげる。
「ふーん。あたしのは期待してないんだ」
「い、いや。姫詩のも期待してるよ」
「『姫詩のも』ねえ……」
「あらあら、2人共、喧嘩はだめよ~」
ゆづ姉がニコニコ笑いながら場を収める。
そんなやりとりをしていると、校門の前まで辿り着いていた。
玄関に入り、靴を上履きに替える。
それから3人で階段を上る。
校舎は4階建てで1年生の教室が1階、2年生が2階、3年生が3階、4階は音楽室などの特別教室が集まっている。
2階まで登ってきた所で、俺と姫詩はゆづ姉と別れる。
「じゃあゆづ姉。放課後にね」
「ええ。じゃあね」
ゆづ姉は3階へと登って行く。
「悠雲。行くわよ」
「はーい」
俺と姫詩は同じクラスである。A組の教室に入る。
「おはよー」
「おはよう、姫詩。今日も夫婦で登校?」
「いやねー。夫婦だなんて」
姫詩は友人たちに挨拶して、囃し立てられてる。
俺は姫詩と別れ、自分の席につく。
「よう」
そこに1人の青年がやって来る。竜堂千太郎だ。常にリア充を目指して行動している妙な奴だ。
「おはよう、千太郎」
「朝からリア充感満点で羨ましい限りだな」
千太郎はそう言って三白眼を向けてくる。
「そう思うならお前も彼女の1人でも作れよ」
「ぐ……できるならそうしてるわ!」
「お前も見た目は悪くないんだから、見た目は」
千太郎は180cmある長身であり、茶色く染めた短髪に三白眼、高めの鼻に薄い唇の意外に整った顔立ちである。黙っていれば彼女の一つ簡単に出来そうなものである。しかし、「黙っていれば」という条件がつくのが残念である。
「まるで見た目以外はダメという言い草ではないか」
「いや、流石にリア充リア充連呼している時点でダメだろ」
「う、うるさいやい! うわああああん! 悠雲なんてホオジロザメに食べられればいいんだー」
千太郎はよくわからない捨て台詞を吐いて教室を出て行った。
「あ、放課後料理部行くか聞くの忘れた」
まあ、予鈴が鳴ると戻ってくるだろう。
それから予鈴が鳴り、教室の中の生徒達も慌ただしく自分の席に移動する。
千太郎も戻ってきた。千太郎は俺の隣の席に座る。
「千太郎」
「何だリア充」
「今日、料理部行くか?」
千太郎の三白眼が輝き出す。
「もちろん行くぞ。今日のメニューは何だ?」
「ハンバーグらしい」
「ほう。それは楽しみだ」
「ゆづ姉がいるからな。美味しいのが食べられそうだぞ」
「確かに葉室先輩の料理は最高だからな」
「じゃあ放課後にな」
「ああ」
本鈴が鳴り、担任の加藤先生が入ってくる。
「きりーつ、礼」
号令係の指示に従い、立って礼をする。
加藤先生は今日の連絡事項を手短に言うと、教室を出て行った。
そして退屈な授業が始まる。
1~4時限目の授業を一応真面目に聞き、昼休みに入る。
昼休み入ると千太郎が声をかけてくる。
「悠雲。学食行くか?」
「行く」
「よっしゃ。行こうぜ」
千太郎と学食へ行くと、流石の混雑ぶりを見せていた。
券売機の前に立ち、何にするか考える。
「悠雲。早く決めろよ」
「わかったよ」
俺はカレーを選んで食券と釣り銭を取り出す。
そしてカウンターに並ぶ。しばらく並んで俺の番が来る。
俺は食券を学食のおばさんに渡して、品物を受け取る。
俺はトレイに載ったカレーを持って、どこか空いている席が無いか探す。
――あ、ゆづ姉だ。
空いている席を探している所、ゆづ姉の座っている席が空いている事に気が付いた。
俺は早速近づいて行く。
「ゆづ姉」
「あら、ゆう君。どうしたの?」
「席、いいかな?」
「いいわよ~」
俺はゆづ姉の対面に座る。
「ゆづ姉が学食なんて珍しいね。いつもお弁当なのに」
「今日は寝坊しちゃったのよ~」
そう言ってゆづ姉はきつねうどんを啜る。
「何だ、寝坊したのって俺だけじゃなかったんだね」
俺はカレーを口に運びながら言う。
「そうよ~、ゆう君とひなちゃんが来た時、ちょうど家を出た所だったんだから」
「ははは……。ゆづ姉も寝坊するんだね」
「私は結構するわよ~。びっくりして飛び起きるなんてしょっちゅうよ」
「そうなの? 何かいつも時間通りに来ているからそうでもないと思ってたんだけど」
「時間通りに出るようにするのに結構苦労しているのよ~」
ゆづ姉はそう言ってため息をつく。
「寝坊した時は時間通りに出るの諦めればいいのに」
「それはできないわ」
ゆづ姉が強い口調で言う。
「え? 何で?」
「そ、それは……ゆう君に会えなくなっちゃうし」
「へ? 俺? 学校でも会えるじゃない」
「学年が違うと昼休みとかしか会えないじゃない」
「まあ確かにね」
「だから、朝は貴重な時間なのよ~。可愛い弟に会えるね」
ゆづ姉はそう言って微笑む。
――奇麗だ。
「ゆづ姉。ありがとう」
「別にお礼を言われるような事はしてないわよ~」
「いや、俺と会う時間を大切にしてくれて」
「あ、あらあら~」
ゆづ姉は照れて真っ赤になる。
「ゆづ姉。うどん延びるよ」
「え? あ、そうね~。早く食べないと」
ゆづ姉は恥ずかしさを誤魔化すように一心不乱にうどんを啜る。
俺も無言でカレーを食べる。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
ゆづ姉と共に立ち上がり、空になった食器を下げる。
「じゃあゆう君。放課後にね」
「うん。じゃあね」
ゆづ姉は学食を去っていった。
ゆづ姉の後ろ姿を見送っていると、いつの間にか背後に千太郎の姿があった。
「悠雲ー。随分と楽しそうだったなあ」
恨めしそうな声で千太郎は言う。
「あ、千太郎。すまん、すっかり存在を忘れていた」
「いいもん! 悠雲なんてカンガルーにボコボコにされればいいんだもん!」
「千太郎。不貞腐れるなって。俺が悪かった」
「ところで悠雲。葉室先輩と何話してたんだ?」
いきなり千太郎は我に返り問うてくる。
「へ? いやあ、朝は結構寝坊するよねーとか、そんな話」
「何だもう少し色気のある話をすればいいじゃないか」
「色気って何だよ?」
「例えば、色恋沙汰の話とかだ。お前、気にならないのか? 葉室先輩に好きな人がいないか、とか」
「それは……。気になるけど」
「だったらそれを本人の口から聞きたいと思わないか?」
千太郎はそう言ってニンマリと笑う。
「それができたら苦労しないよ」
「ま、そうだな。というわけで、俺に任せてみないか?」
「え? お前に?」
「そうだ。俺が葉室先輩から好きな人を聞き出してやる」
千太郎は自信満々に言う。
「随分自信ありげだけど、何か策でもあるのか?」
「そんなものはない。当たって砕けろだ」
千太郎はそう言って胸を張る。
「え?」
「まあ任せておけ。放課後の料理部が楽しみだな」
千太郎はさっさと教室へ戻っていった。
――何する気だ? アイツ。
俺は一抹の不安を抱えながら、教室に戻った。
そして
キーンコーンカーンコーン。
退屈な授業の終わりを告げる鐘がなる。
担任の加藤先生が入って来てSHRが始まる。
加藤先生は短く連絡事項を伝え、SHRが終わる。
「きりーつ、礼」
号令に従い、礼をする。
待ちに待った放課後がやって来て、にわかに教室が騒がしくなる。
「悠雲ー。料理部行こうぜ―」
千太郎が席から立ち上がりながら言う。
「ああ、行こうか」
俺は姫詩の席に目をやる。姫詩は既に姿がない。どうやらもう家庭科室へ向かったらしい。
俺は席を立ち、千太郎と教室を出る。
家庭科室は3階にあるので、2人して階段を上り、3階の廊下に着く。
「あら? ゆう君、に竜堂君」
「秋野、竜堂、何の用だ?」
ゆづ姉と御影先輩と鉢合わせる。
「こんにちは」
「ちはーっす」
「こんにちは。家庭科室に行くの?」
「うん。ゆづ姉ももう行くの?」
「ええ」
「じゃあ一緒に行こう」
「む……お前たちも来るのか?」
御影先輩は細く切れ長のつり目を更につり上げて苦々しそうに言う。
――もう少し柔らかい顔してくれればモテそうなのに。
俺は御影先輩を見てそう思う。少し高い鼻に薄い唇。切れ長の細い目を銀縁眼鏡の奥にたたえる先輩は美人かそうでないかの二択で言えば間違いなく美人の部類に入る。しかし、その性格のキツさで浮いた話の一つもない。
「ところで葉室先輩」
「何? 竜堂君」
「葉室先輩は好きな人、いないんですか?」
「え?」
「何?」
――行きよった。あのバカ。
「……ええと、そういう人はいないわね~」
「じゃ、じゃあ俺立候補していいっすか?」
「千太郎」
俺は千太郎の腕を取り、関節を極める。
「い、痛だだだだだだ! やめろ! 悠雲」
「くだらん戯言を言わないと約束するか?」
俺は凄みを効かせて千太郎に言う。
「わ、わかった。俺が悪かった」
「わかればよろしい」
千太郎の腕を離してやる。
「痛たたたた……。まったく、手加減しろよ」
「お前がくだらん事を言うからだ」
「あらあら。2人共仲がいいわね~」
その様子を見ていたゆづ姉はニコニコ笑っている。
「竜堂。秋野の言うとおり、今度くだらんことを言ったら私が制裁を加える」
御影先輩が千太郎を睨みつける。
「ねえ、俺そんなに悪い事した? なあ悠雲?」
千太郎は御影先輩の視線にガクガクブルブル震えながら言う。
「したから睨まれてるんだ。千太郎、迂闊だったな」
「お、俺が悪かった。許してくれ」
「謝るなら、ゆづ姉にだ」
「は、葉室先輩。くだらない事言って悪かったっす。すみません!」
「あらあら~。竜堂君。いいのよ~。気にしないで」
ゆづ姉はそう言って笑う。
「葉室先輩。やっぱり先輩は天使っす。俺と付き合……」
「千太郎」
「竜堂」
「な、何でもないっす。じゃあ先輩、家庭科室に行きましょう」
そう言って千太郎は家庭科室へと走って行く。
「竜堂君。意外とせっかちね~」
「まあアイツは放っておいて、行こう、ゆづ姉。御影先輩」
「ええ」
「ふむ」
俺達は3人で並んで歩き、家庭科室の戸を開ける。
「ちはー」
「こんにちはー」
「こんにちは」
「あ、葉室先輩、御影先輩、こんにちは。秋野先輩ようこそ」
1年生の小沢千恵ちゃんが出迎えてくれる。
小柄な体にサイドポニー、クリっとした目に低い鼻、ぷっくりとした唇が可愛らしい娘だ。
「千恵ちゃん、恭子(きょうこ)はひなちゃんのグループに入ればいいのかしら?」
「あ、はい。御影先輩はウチのグループに入ってください」
「わかった」
ゆづ姉、御影先輩の2人は早速エプロン姿になり、姫詩のグループに入る。
料理部は1年生が2人、2年生が4人、3年生が2人の計8人で活動している。
部長はゆづ姉。副部長が姫詩だ。
副部長は自動的に部長になるため、2年生がなるのがこの部のしきたりだそうだ。
「そういえば、千太郎は?」
「竜堂先輩ならそこに」
千恵ちゃんの指差す方向には、魂の抜けきった顔をした千太郎がいた。
「千恵ちゃん、何したの?」
「入ってくるなり『栗生さーん、好きだ―』って言って姫詩先輩に寄って行ったら、『失せろ! ナマモノ!』って姫詩先輩のパンチが炸裂しまして……」
「あー……。姫詩結構馬鹿力だからなあ……」
「そのあと、『あんたみたいな変態に言い寄られてこっちは迷惑よ』って止めを刺されて」
「それはまた……」
「ゆ、悠雲……か?」
千太郎はうつろな目でこちらを見る。
「千太郎。安らかに眠ってくれ」
「……ああ、今は眠りたい気分だ。どうして、この世はここまで不公平なんだ?」
「さあな」
「……く、持たざるものの事など、持つものにはわかるはずもないか」
「いい加減目を覚ませ」
千太郎の脳天にチョップする。
「痛て! 何するんだ!」
千太郎は元に戻る。
「いつまでもお前のクサイ芝居に付き合いきれん」
「そうか? 結構面白いかと思ったんだが」
「どこがだ……」
俺は呆れてため息をつく。
「あー、ため息なんて吐くなよ。こちとら姫詩ちゃんに心も身体もボロボロにされたんだから」
「それはお前が悪い」
「た、確かに強引過ぎるのは認める。しかし、変態とは何だ変態とは!」
「事実じゃないか」
「いいや、俺は変態ではない! 変態紳士だ!」
「……結局変態じゃないか」
「う、うるさいやい! 悠雲なんてアリゲーターに喰われればいいんだ!」
そう言って家庭科室を出ていこうとする千太郎を止める。
「今出て行くと、ハンバーグが食えないぞ」
「……それは困る」
千太郎は大人しく椅子に座る。
「なあ悠雲よ」
「何?」
「制服にエプロン姿って何か良いよな?」
千太郎は目の前の調理台に広がる光景を見ながらほうっとため息をつく。
「うーん……エプロン姿は確かに良いとは思うけど」
「わかっていないな。悠雲。制服という日常見かける姿にエプロン姿という日常では見かけない姿が重なり合い、絶妙なハーモニーを奏でる。故にこれは至高の光景だ!」
千太郎の大声に、料理部の女子達の視線が突き刺さる。
「竜堂君。また妙なこと言ってるわよ」
「嫌よね。一体何しに来ているのかしら?」
「秋野君も同じなのかしら?」
「千太郎。お前のせいで俺の評判まで地に堕ちそうだ。少し黙れ」
「何ぃ? お前の評判が堕ちようが俺には関係がない。はぁ、いいなあ姫詩ちゃんのエプロン姿……」
「千太郎くーん?」
俺は千太郎の腕を取り肩関節を極める。
「い、痛だだだだだだ! やめろ! 悠雲!」
「やめたら、変態的な発言は控えると約束しろ」
「わ、わかった。やめる。大人しくしているから」
「よろしい」
「痛ててて……。容赦無いな。お前」
千太郎は肩をさすりながら言う。
「お前に容赦をしたらすぐ調子に乗るからな」
「へいへい私が悪うございました! ところで悠雲、お前はどっちのハンバーグが楽しみなんだ?」
「ん? どっちも楽しみだけど?」
「悠雲。そんな優等生な発言は要らないのだよ。正直に言え。どちらのハンバーグが楽しみだ?」
俺は少し考えた後に言う。
「……ゆづ姉のかな」
「ほう、葉室先輩のか。彼女の料理は良い。あっさりした味付けに奥深さがある」
「そうだな」
「お前、本命は葉室先輩なのか?」
「……秘密」
「教えてくれたっていいだろ?」
「だから秘密だ」
「悠雲くーん? 教えろよ―」
「できたわ!」
「できたわ~」
千太郎が食らいついて来たところ、割って入るように2人から出来上がりの声があがる。
「あ、出来たみたい。行こう」
俺は調理台の方に向かう。
「ち。逃したか」
千太郎は舌打ちをしながら調理台の方に来る。
俺と千太郎の目の前には2つのハンバーグが並べられる。1つはデミグラスソースのかかったオーソドックスなもの、もう一つは大根おろしと紫蘇の葉が乗っかっている。
「さあ食べてみて!」
姫詩が自信満々に言う。
「じゃあまずはこっちのデミグラスソースのかかったやつから」
ハンバーグを一切れ、口に運ぶ。ハンバーグの肉汁とデミグラスソースが混ざり合い、濃厚な味わいを作り出す。
「美味しい」
「う、美味い! 栗生さん、嫁になってくれ!」
「ごめんなさい」
「あふん」
「あ、これキノコが入っている」
「そう。キノコが肉汁を吸って、いい味に仕上がるのよ」
俺は2口目を口に運ぶ。肉と肉汁を吸ったキノコにデミグラスソースが絡み合い、一口目よりもより味わい深いものになっている。
「良く出来ているなあ。美味しい」
「これは店に出せるな」
「2人共ありがとう。喜んでもらえて何よりよ」
姫詩は嬉しそうに笑う。
「さて、次はこっちのおろしそハンバーグに行こうかな」
「食べてみて~」
ゆづ姉はニコニコしながら言う。
「どれどれ……」
ハンバーグを口に運ぶ。大根おろしとポン酢、紫蘇の風味が肉汁と混ざり合い、実にさっぱりと美味しく肉を食べさせてくれる。
「すごくさっぱりしてるんだけど、しっかり肉の味もして……最高」
「う、美味い! 葉室先輩、お母さんになってください!」
「ごめんなさいね~。竜堂君」
「はぶしっ」
「ゆづ姉。これ、いくらでも食べられそう。とっても美味しいよ」
「これも店に出せるな」
「ありがとう。さあ、皆も食べあっこしてみましょう」
ゆづ姉の指示に料理部員たちは互いに作ったハンバーグを食べ合う。
「うわ……。葉室先輩達の作ったハンバーグ美味しすぎ」
「姫詩達のも濃厚で美味しいわよ」
「キノコの味がたまらないわね。これ」
「葉室先輩のハンバーグ。いくらでも食べられちゃいそうです」
互いのハンバーグを食べあった部員たちは後片付けに入る。
「悠雲。俺達はお暇しようぜ」
「あ、悠雲。ちょっと待って。すぐ片付けるから、一緒に帰りましょ」
「ん? ああ。いいよ。千太郎も一緒でいい?」
「ええ、いいわよ」
「悠雲!」
千太郎は俺に向き直り肩を掴んでくる。
「な、なんだよ?」
「お前はやはり良い奴だな。こんな俺にも優しい」
「よ、よせよ」
「お礼に熱いベーゼを……ぷぎゃ」
俺は反射的に千太郎の鳩尾を殴っていた。
「お待たせー。じゃあ行きましょ」
「ゆづ姉達も一緒に行かない?」
「ええ、行きましょう」
「ふむ、いいだろう」
俺達5人は家庭科室を出て玄関へ向かい、校門を出る。
「悠雲。あたしのハンバーグ、どうだった?」
「美味しかったよ。姫詩らしい濃厚な味付けで」
「癖になるんだよなあ、栗生さんの味付け。俺も大好きだよ」
「あ、ありがと」
姫詩は照れ笑いを浮かべる。
「秋野。珠季の作ったハンバーグはどうだった?」
「ゆづ姉のは、あっさりしていて、それでいてしっかりした味がして、いくらでも食べられる感じでした。美味かったです」
「だ、そうだ。良かったな、珠季」
御影先輩はゆづ姉の方を見てクククと笑う。
「恭子!」
ゆづ姉は頬を染めながら友人に責めるような口調で言う。
「珠季、素直にならんと損をするぞ」
「もう……。ゆう君、ありがとう。美味しいって言ってもらえるのが何より嬉しいから」
ゆづ姉はそう言ってニコリと笑う。
――いいなあ。ゆづ姉の笑顔。
「何呆けてるんだよ」
千太郎が俺の頭にチョップをする。
「痛て。何するんだよ?」
「お前がだらしない顔をするからだ」
「そんなにだらしない顔してたか?」
「ああ。緩みきってたぞ」
千太郎はそう言って意地の悪い笑みを浮かべる。
「千太郎。余計なことは言うな」
「悠雲。お前も素直にならないと損するぞ」
「言ってろ」
「ねえ、ゆづ姉。明日は何作るんだっけ?」
「明日はクレープよ~」
「クレープか……。男子連中は明日も来る?」
「行く行く! なあ悠雲」
「悪い、俺明日バイト入ってるから」
「そう、残念ね」
姫詩は肩を落とす。
「俺の存在価値って……」
千太郎の言葉に皆が笑う。
「うーん……ゆう君のお友達?」
「秋野のおまけ」
「う、うわああああん! みんなカンガルーにボコボコにされればいいんだー」
「あ、千太郎」
千太郎は意味不明な捨て台詞を残して走って行ってしまった。
「おやおや。虐めすぎたかな」
御影先輩が意地の悪い笑みを浮かべる。
「恭子。程々にしておいた方が良いわよ」
ゆづ姉が窘める。
「はいはい。でも珠季。邪魔者が排除できて良かったろう?」
「も、もう、恭子……」
「さて、私はこっちなのでここでお別れだな。じゃあ諸君、また明日」
「はい。お疲れ様でした」
「じゃあね。恭子」
「お疲れ様でーす」
俺達は御影先輩と別れ、3人で歩く。いつもの日常だ。
「悠雲。アルバイトっていつの間に始めたの?」
「先週から始めたんだ」
「何のバイトなの~?」
ゆづ姉は興味津々といった様子で聞いてくる。
「ん? 飲食店のバイト」
「どこのお店?」
姫詩も食いついてくる。
「……秘密」
「えー、何でよ」
姫詩は頬を膨らます。
「言うと絶対店に来てからかうだろ?」
「……そんな事しないわよ」
「そうよ~。ただ働いている姿を見に行くだけよ~」
「見られるのは嫌だ。だから秘密」
「ふん、いいわよ。絶対突き止めてやるんだから!」
「ゆう君。教えて~」
「甘い声で囁いてもダメです」
「意地悪~。ねえ、ゆう君、お願い」
ゆづ姉は上目遣いで言う。
――この目には弱い。
「……クオリア」
「え?」
「駅前のクオリアってお店だよ」
「そうなの~。じゃあ今度行くわね」
ゆづ姉はニコニコ笑う。
「あー、悠雲。ホントゆづ姉には甘いんだから」
姫詩は不満そうに唇を尖らせる。
「ほっとけ」
そんなやり取りをしているとゆづ姉の家の前にまで来ていた。
「じゃあひなちゃん、ゆう君。明日ね」
「じゃあね、ゆづ姉」
「ゆづ姉。また明日」
ゆづ姉と別れ、姫詩と2人で家路につく。
「クオリア……か」
「お前まさか来る気か?」
「ええ。絶対行くわ」
姫詩は鼻息荒く言う。
「……だから言うのは嫌だったんだ」
「そう言う割に、ゆづ姉にはあっさり白状したじゃない?」
「ゆづ姉のお願いには弱いんだよ」
「そういえばそうよね。あーあ、あたしのお願いは聞いてくれないのになあ」
姫詩はそう言って空を見上げる。
「そんな事はないよ。……多分」
「じゃあお願い。来週、買い物行かない?」
「買い物?」
「そう。来週セールなのよ」
「……わかった。行こう」
姫詩の顔がパッと明るくなる。
「やった。じゃあ来週の日曜日ね。絶対忘れないでね」
「了解」
気が付くと、俺達の家の前まで来ていた。
「じゃあ悠雲。明日ね」
「じゃあな」
俺達は別れの言葉を言うと、それぞれの家に入った。
「ただいまー」
俺の声に居間から母さんが出てくる。
「おかえり、悠雲」
「ご飯できたら呼んで、部屋にいるから」
「ええ」
俺は2階への階段を上り、自室に入る。
コンコンと窓がノックされる。
俺は鞄を置いて窓の方に向かう。
窓の向こうでは姫詩が自室の窓を開けてこちらに身を乗り出していた。
俺は窓を開ける。
「ねえ、悠雲。来週着ていく服なんだけど、どっちがいい?」
姫詩はそう言って、2つの服を手にする。
青色のTシャツととチェック模様のカットソー。
「カットソーで」
「あ、やっぱりこっちが良い? あたしもこっちかなと思ってたんだ」
姫詩はそう言って笑う。
「姫詩、来週だってのに張り切ってるな」
「え、だ……だって、悠雲とデートだし」
最期の方が小声で聞こえない。
「え、何だって?」
「な、何でもない。悠雲」
「ん?」
「あたし頑張るから」
「何を?」
「えっと……色々! じゃあね!」
姫詩は窓を閉め、カーテンを閉める。
俺も窓を閉め、カーテンを閉める。
「悠雲ー。ご飯できたわよー」
「今行くよー」
俺は部屋を出て食堂へ向かった。