2人は何故付き合ってないの?
姫詩の本気の肉じゃがを食べてから明後日の水曜日。
例によって退屈な授業時間を終え、放課後がやって来る。
「悠雲ー。今日はどうする?」
放課後になると、千太郎がこちらにやって来る。
「料理部に顔出そうと思うけど、お前も行くか?」
「おう、行くいく。今日は何食えるのかな?」
「それは行ってみればわかる」
「つまんねー。当てっこでもしようぜ」
「……範囲が広すぎて当たらないだろ」
俺は呆れたようにため息をつく。
「そんな事ねえって。えーと、俺は……ケーキ!」
「じゃあ俺もお菓子にしておくか、クッキー」
「よっしゃ。当てた方は後日ジュース奢りな」
「わかったよ」
俺と千太郎は家庭科室へと向かった。
「ちはー」
「こんちはー」
「あら、ゆう君に竜堂君、いらっしゃ~い」
「秋野、竜堂、何しに来た?」
家庭科室に入るとほんわかした出迎えと、刺々しい出迎えにあう。
ゆづ姉と御影先輩も料理部に来ていた。
「葉室先輩。今日のメニューは?」
「今日はスコーンよ~」
その答えに千太郎は一瞬項垂れる。
「俺のクッキーの方が正解に近いと思うが、どうする?」
「どっちも外れだろ? あーあ、残念」
「ま、そうだな」
やりとりを聞いていたゆづ姉が不思議そうに首を傾げる。
「残念? スコーン、美味しいわよ~」
「いやゆづ姉。千太郎と今日のメニューを予想してたんだ。俺はクッキーで、千太郎はケーキ。結果は二人共ハズレ。それで残念ってわけ」
「あら、そうだったの~。それは残念ね~」
「珠季、お喋りはここまで。調理に戻ろう」
御影先輩がそう言って会話を遮る。
「そうね。じゃあ2人共。すぐできるからまっててね~」
ゆづ姉はそう言って調理に戻る。
「ああ、葉室先輩、いいなあ……」
千太郎がだらしなく鼻の下を伸ばしている。
「千太郎。お前誰に対してもそうなのな」
「そんな事はないぞ。言っておくが俺の理想は高い。その高さをも飛び越えるのが姫詩ちゃんや葉室先輩だ」
千太郎はそう言って胸を張る。
「……何も始まらなかったらその理想の意味も無いだろうに」
「う、うるさい! 貴様は恵まれすぎているんだ。姫詩ちゃんと葉室先輩と幼馴染なんて、リア充もいいところだろうが」
「別に幼馴染だからって何かあるわけではないよ」
「かーっ! この、羨ましい奴め。爆発しろ」
千太郎はそう言ってヘッドロックを仕掛けてくる。
「痛いって」
「うるさい! お前は少し痛い目に遭ったっていいんだ」
「2人共。騒いでいるとスコーン、あげないわよ」
気が付くと目の前に姫詩がいた。頬に小麦粉がはねている。
「く、栗生さん! ご、ごめんなさい。大人しくしてます」
千太郎がヘッドロックを解いて椅子に座る。
「よろしい。じゃあ悠雲、竜堂、できるまで待っててね」
「あ、ちょっとまって姫詩」
「悠雲、どうしたの?」
「小麦粉がはねているよ」
「え? どこ?」
「ほら、ここ」
俺は姫詩の頬についていた小麦粉を指で取ってやる。
「……あ、ありがと」
姫詩は恥ずかしそうに頬を染めながら調理へと戻っていった。
「悠雲ー。この、羨ましい奴め」
千太郎が肘で小突いてくる。
「何が羨ましいんだよ?」
「気付かんか? 普通、女子に下手に触ればセクハラだなんだ言われるご時世だぞ。そんな中お前は姫詩ちゃんに触れても何一つ文句は言われん」
「お前みたいに不純な動機じゃないからだと思うけど」
「違う。姫詩ちゃんはお前に気がある」
「只の幼馴染だからだと思うけどなあ」
「ほう。じゃあお前は姫詩ちゃんに他の男が迫っても良いと?」
「姫詩が幸せなら別に文句はないよ」
「かー。理解できん。あれだけ可愛い娘と幼馴染なのに手の一つもださんとは」
千太郎は首を振る。
「前にも言っただろ。俺はゆづ姉に気があるって」
「ふん、そういえばそうだったな。『ゆう君?』なんて呼ばれて、この、羨ましい奴め」
千太郎が今度はスリーパーホールドを極めようと腕を伸ばしてくるが、必死に抵抗する。
「やめろって。大人しくしているように言われただろ?」
「うるさい。お前のようなラブルジョワは痛い目に遭わさんと気がすまん」
「いいかげんにしろ」
俺は千太郎の腕を取ると背中の方に回して関節を極める。
「い、いてててて! やめろ、悠雲」
「じゃあもう手は出してこないな?」
「や、約束する……」
「よろしい」
俺は千太郎の腕を離してやる。
「いてて……。マジになりやがって。そんなに惚れているのか、葉室先輩に」
「まあ、そんな所」
「そうかそうか。 爆発しろ」
千太郎は呪詛の言葉を発してくる。
「爆発も何も、まだ何も始まってない」
「『ゆう君』なんて呼ばれて、何も無いなんてことはないだろう?」
「それが何も始まってないんだ」
「……お前も大変なんだな」
「ああ」
2人でため息をついていると、
「できたわ~」
「できたー」
そこに出来上がりを告げる声が響く。
「お、出来たか。いこうぜ、悠雲」
「ああ」
千太郎と調理台の方へ向かう。
そこには歪な形のスコーンと、奇麗に揃った形のスコーンが出てきた。
「さ、食べて食べて」
「姫詩。形くらい整えろよ」
「う、うるさいわね。味はいいわよ」
姫詩は頬を膨らます。
「じゃあ早速頂きまーす」
千太郎はそう言って歪な形のスコーンに手をのばす。
「うーん。ジャムとスコーンの甘さがたまらん」
千太郎はそう言って美味しそうにスコーンを食べる。
俺は奇麗に揃った形のスコーンに手を伸ばす。
マーマレードがかかったそれは、さわやかな甘さと生地のサクサクした感触が絶妙にマッチしていた。
「美味い。最高」
「本当? よかったわ~」
「悠雲。今度はあたしの方も食べてみて」
姫詩に促されるまま、形の歪なスコーンを食べる。
ジャムと生地の濃厚な甘みが癖になりそうな逸品だった。
「これも美味い」
「良かった。さ、みんなも食べて食べて」
部員たちが互いに作ったスコーンを食べ合う。
「うわ、これオレンジの風味が効いてて美味しい」
「こっちはジャムの甘さがたまらないわね」
「確かにジャムの味とスコーンの甘さがよくあっているな」
姫詩とゆづ姉も互いの作ったスコーンを食べ合う。
「ゆづ姉の、マーマレードがとっても美味しい。スコーンによく合う」
「ひなちゃんのジャムもよくあっているわ~」
スコーンはあっという間に売り切れた。
「ふう。美味かった」
「ねえ、ゆう君」
食べ終わるとゆづ姉がこちらに近づいてくる。
「どうしたの?」
「スコーン、頬についているわよ」
「え? どこ?」
「ここよ」
ゆづ姉は俺の頬に手を伸ばすと、スコーンの食べかすをすくい上げ、そのまま自分の口に放り込む。
「……あ、ありがとう。ゆづ姉」
「どういたしまして」
「ねえ、珠季」
その様子を見ていた御影先輩がゆづ姉に声をかける。
「何? 恭子」
「あんた達って、付き合ってないのよね?」
「え? ええ……」
「はい」
俺達の答えに御影先輩は首をひねる。
「今のやりとり見ていたら、まるで付き合っているみたいよ」
「や、やあねえ。ゆう君は、ほら弟みたいなものだから」
「そ、そうです。ゆづ姉とは小さいころからの付き合いだから、本当の姉弟みたいに思っています」
俺は自分の言葉とゆづ姉の言葉に内心落胆する。
「そう? 姉弟ね……」
「御影先輩?」
「本人たちが言うならそうか。てっきり珠季に念願の春が来たかと思ったわ」
「恭子! からかわないで」
ゆづ姉はそう言って御影先輩を睨む。
「悪かったわ。それにしても、ねえ?」
そう言って御影先輩は俺に視線を向けてくる。
「な、何ですか?」
「本当に『姉弟』でいいのかしら?」
「え? えーと、それは……」
俺は言葉に詰まる。
「まあいいわ。頑張りなさい、少年。珠季の未来がかかってるんだから」
「は、はい」
「恭子。それくらいにして」
「ふふっ。お前たち、良いカップルになるぞ。応援してるからな」
「は、はい。頑張ります」
「もう、恭子」
ゆづ姉は小さくため息をつく。
「ゆづ姉。おれ頑張るよ。ゆづ姉との春が来るように」
「ゆう君……だめよ。ひなちゃんを大切にしてあげて」
「いーや、何と言われても俺はゆづ姉との春が来るように頑張る」
「そ、そう……」
ゆづ姉は複雑な表情を浮かべる。
「珠季、お喋りはここまでよ。片付けに入りましょう」
御影先輩はそう言って皿を片付けだす。
「あ、そうね。ひなちゃん、手伝うわ」
「ありがとうゆづ姉。じゃあオーブン皿洗ってもらえる?」
「ええ。あ、ゆう君」
ゆづ姉は洗い場に向かおうとして、俺の方に向き直る。
「何? ゆづ姉」
「今日はひなちゃんと恭子、4人で帰りましょう」
「わかった。じゃあ俺も片付けるの手伝うよ」
「ありがとう。じゃあ……」
「悠雲はカップを片付けて」
姫詩から指示が飛ぶ。
「了解」
俺はカップを集めて洗い場に置いていく。
洗い場との間を二往復してカップを全て集める。
「カップは片付いたよ」
「じゃあ調理台とか拭いて」
そう言って姫詩は濡れ布巾を俺に手渡す。
「ラジャー」
俺は粉まみれになった調理台から先に拭き、食事に使用した台も全て拭いていく。
「拭き終わったよ―」
「ありがと。こっちも終わったわ」
姫詩はそう言ってエプロンで手を拭いて、エプロンを外す。
「じゃあ、帰ろうか。ゆづ姉、行こう。御影先輩も」
「は~い」
「ああ。行こうか」
俺達は4人で家庭科室を後にした。
「ねえ悠雲」
「何?」
「御影先輩やゆづ姉と何を話してたの? 何か春がどうとか言ってたけど」
「え? えーと……」
俺は言葉に詰まる。
「秋野が珠季との春が来るように頑張るそうだ」
御影先輩が堂々と言う。
「え?」
姫詩が御影先輩の言葉にキョトンとする。
「何だよ? 変か?」
「い、いや、変じゃないわよ。ただ……」
「ただ?」
「……悠雲と春が来るのはあたしじゃないと」
姫詩はボソボソと何かを呟いている。
「姫詩、何言っているか聞こえないぞ」
「え?! い、いやー何でもない何でもない」
姫詩はそう言って笑う。
「栗生、お前の気持ちはわかるが、ここは譲ってもらえないか?」
「御影先輩。お言葉ですが、あたしは譲る気はありません」
「そうか。これは激戦になりそうだな、珠季」
「え、わ、私は……ひなちゃんが幸せならそれでいいんだけど」
「何を言っている? お前は秋野の事……」
「それ以上言わないで」
ゆづ姉は御影先輩を睨みつける。
「ふう。わかったよ。お、ここまでみたいだ。じゃあ皆、明日な」
御影先輩は丘の下に辿り着くと東に向かって歩いて行く。
「はい、また明日」
「お疲れ様でした」
「恭子、明日ね」
3人で帰り道を歩く。
「悠雲。あたし負けないから」
姫詩が決意に満ちた声で言う。
「姫詩……」
「うふふ、ひなちゃん、その調子よ」
ゆづ姉はニコニコ笑っている。
「ゆづ姉」
俺はゆづ姉の方に向き直る。
「な~に?」
「ゆづ姉は良いのかよ? その、俺と姫詩に春が来るのは」
「お姉ちゃんとしては、弟と妹が仲良くなるなら、これ以上の喜びはないわ~」
「本当にそうなの?」
「え?」
ゆづ姉が首を傾げる。
「お姉ちゃんのままでいいの?」
「そ、それは……もちろんよ」
ゆづ姉は一瞬逡巡して答える。
「はーい。とにかく、あたしと悠雲は春に向かって一直線! ってことでいいのよね?」
「いや、俺は……」
「い・い・の・よ・ね?」
「う……は、はい」
「はい決まり。ゆづ姉も応援してね」
「ええ。応援するわ~」
――何だよ。俺が好きなのはゆづ姉なんだ。
「悠雲!」
「は、はい」
「どうしたら春が来るかな?」
「さ、さあな」
「あたし、一生懸命頑張るから、見てて」
「どう頑張るんだ?」
俺は首を傾げる。
「それは……色々! さあ春に向かって頑張るぞー」
そう言って姫詩は伸びをする。
「あらあら。ひなちゃん、火が点いたみたいね。頑張ってね、悠雲くん」
「ゆづ姉……俺は……」
「あ、着いたわね。ゆう君、ひなちゃん、ここでね」
「じゃあね、ゆづ姉」
「また明日。ゆづ姉」
ゆづ姉と別れ、俺は姫詩と2人で歩く。
「悠雲」
「何だよ?」
「悠雲はゆづ姉の事、好きなんだよね?」
「そ、それは……」
「隠さなくてもいいわ。わかるもの、普段の言動で」
「ああ、好きだよ」
「あたしも悠雲が好き。だから、絶対捕まえる」
姫詩は目を爛々と輝かせながら言う。
「俺は中々捕まらないぞ」
「それでもよ。悠雲、これは勝負よ。あたしが悠雲を捕まえるか、そうでないか」
「その勝負。俺も負けるわけにはいかないな」
「そうね。全力で勝負よ、悠雲」
「ああ」
「あ、もう着いたわね。じゃあね、悠雲」
「ああ、じゃあな」
互いの家に入った。




