第三節 初陣
白い天幕が夕焼けの緋を吸って朱に染まる。
乱雑に、だけど整然と立ち並ぶ天幕が順繰り染まっていく様は中々見応えがあった。
陳腐な感想だけども、単純に綺麗と想う。
だのに、
「久々だなあ」
「やった後の酒は格別なんだよな」
「腕がなるぜ」
うちの面々はこれだもの。情緒もへったくれもない。
まあ、実のところ私も昨日からずっと思うことがあって素直に楽しめてないけど。
昨日ブロージさんに言われたこと。人を斬る、覚悟。
技術は磨いてきた。それは相手の剣や盾をすり抜けてその身に届かせる自信はある。
じゃあ、気持ちは?
相手の身に届いた刃は、肉を裂き血を流させ、死に至らしめる。それが出来なければ、与えるはずのものがそっくり自分に帰ってくるだけだ。戦とは"そういうもの"だと理解している。
でも、一度も死を与えたことの無い私は、"それ"を納得できていない。
それはそうだ。知識を得た所で、実際にこの目で、この身で体験しなければそれはただの絵空事なのだから。
「……は」
短く息を吐き出す。
我ながらとりとめの無い事を考えているなと想う。
そんな意識の矛盾なんてこの際どうでもいい。いや良くは無いけど、やるしかないんだ。
それこそ言われたじゃない。それだけの物を背負ってここまで来たんだ。
誰にだって、最初は、あるんだから。
「おい、アディ」
「あ、は、はい」
なんて考えてたら、団長がすぐそばに来たのにも気づいていなかった。
「いいか、俺は優しくねぇからな。来なくていいだとか、後ろで見てろなんて言わねぇ」
それは、いつもの鋭くもどこか優しい目ではなく、初めて会った時のような真剣な眼差しだった。
「正直に言ってお前の技術はうちの奴らの中でも頭ひとつ抜けてる。そんな奴を前に出さないなんて選択肢はねぇ」
きっとそれは、本当に誇張なんて無いんだろう。目と声がそう示している。
「俺らが出来るのは、自分を守りつつ相手を倒すことだけだ。それが結果的に他のやつを守ることにも繋がる。分かるな」
「はい」
「逆に自分すら守れねぇ奴に他のやつを守ることなんて出来やしない。詰まるところ、自分を守ることで他人を守り、それで自分を守ってもらうわけだ。それも分かるな」
「はい」
「なら忘れるな。お前の剣と肩には、お前の事情と、こいつら全員の命が乗っかってる。だがそれは、ここに居る全員が同じだ。自分だけが特別なんて思うんじゃねぇぞ。お前は、俺たちの中の一人だ。だから、全員が特別なのさ」
「……」
その考え方は、したことなかったな。
「だから、お前がすることは一つだけだ」
そう言って、私の胸元に指を当てた。
「貫け。背負ってる想いも手に握った剣も、ただ前に出して、貫け。それが、俺達の唯一にして絶対の誇りだ」
「…はい!」
「よし。じゃ、もう少しで出るからそれまで休んでおけ」
言うだけ言ってまた別の所に行っちゃった。
今のって、団長なりの激励…よね。不器用だけど、優しい人。
「もっと簡単に、俺達が守ってやるからがんばれ、とかでいいのになぁ」
「ジャッドさん」
横に並び、例の大剣を肩に担いで微笑んでいる。
「まあ、わかったろ。頑張って欲しいけど、死んで欲しくないのさ」
「ええ。不器用ですよね、ほんと」
「な」
二人して目を合わせ、くすりと笑う。
「俺たちもアディには死んでほしくないけど、腕に期待してるのも本当だからさ。頑張ってくれよ。出来るだけ動きやすいようにするから。なあ、お前ら!」
ジャッドさんが声を張り上げると、周りに居た人たちも応える。
「おおともさ!」
「アディの飯はうめぇからなぁ!」
「俺達に任せとけ!」
本当に、暖かい人達。
一筋だけ頬を伝ったものも、降りてきた帳が隠してくれてたらいいな。
夜の闇が降りた中で輝く松明の明かりは、思った以上に光を生み出す。
さすがに昼間のようにとはいかないけど、それでも十分なほど照らしてくれる。
でもそれは同時に、それ以外の所に夜の暗さと混ざった深い闇を作り出す。
むしろ、松明を焚いている所だけがぽっかりと浮かんでいるのだ。
だからこそ、敵陣のすぐ横にある森に潜んでいても見咎められずに済む。
「…ま、お決まりの歩哨による警戒しかしてねぇわな」
簡易だけど張り巡らされた木の柵と、入り口に立つ歩哨2人。しかも少し眠そう。
「奴らの今の役目は、時が来るまでこっちを牽制しておく事だからな。戦闘なんて起こるはずが無いのさ」
「彼らの予定表は管理がずさんなんですね」
「そう言ってやるな。 …ちょいと、急用が出来ただけさ」
まー悪そうな顔。
「よし、まずは火矢を射掛ける。その後突っ込んで引っ掻き回して、適当な所で引き上げる。後詰めにブロージの野郎が来る手筈だから、それと入れ違いの形だな」
その言葉に全員が頷く。さすがに掛け声を出すと見つかるので静かに。
「アディは俺の側を離れるなよ。あと、言ったことを忘れるな」
「…はい」
本番を前にして、再び緊張に固くなっていた私の頭に手をのせる。
その大きくてごつごつした手が、少し、解してくれた。
「よし…やれ!」
ここまで引いてきた馬に跨がり、号令をかける。
放たれた火矢達が、立ち並ぶ天幕に突き刺さる。次いで、松明に照らされた敵陣をさらに明るくした。
それに気づいた歩哨の敵襲の声に反応して、わらわらと兵士たちが出てくる。
「行くぞ!声を上げろ!!武器をかざせ!!…貫けぇ!!!」
「うおおおおおおおおお!!!」
射掛けられた火矢が天幕を焼き、何事かと混乱している敵兵の中へ、突如鬨の声を上げながら突っ込んでくる一団。
正直たまったものではないだろう。
いかに統率が取れていようとも、士気が挫かれれば兵は戦えない。
ましてやここは戦場ではなく、今は戦闘中ではないのだ。士気などそもそも存在していない。
それでもその場に居た半数近くはこちらに向かってくる。
見れば奥のほうで偉そうな人が指揮を取っていた。
「あれがここの指揮官だな…よし、あれを討ち取って帰るぞ!」
先頭切って馬を駆る団長と、それに遅れじとついてくる団員たち。
入り口に居た歩哨を吹き飛ばし、敵の群れに突っ込んだ。
こちらの数は決して多くはなかったが、敵が布陣していたわけでもないので、ばらばらに構えられた槍もさして役に立たずその懐へ穿ち入った。
「はあ…っ」
前に団長、横にジャッドさんが居たので敵兵に突っ込んだ時は特に手を出すこともなく過ぎた。
しかしいくら騎兵とはいえ、目の前に立ちはだかる兵が居れば、多少のばらつきは出てくる。
すると、自然と私の前にも敵兵が現れるわけで。
…大丈夫。多少呼吸は乱れているけど、剣はちゃんと握れている。手も腕も足も、ちゃんと感覚がある。
馬術も馬上戦闘も、ちゃんとお父様に鍛えてもらったから、大丈夫。
「…ふっ!」
短く息を吐き、敵に体当りするように脇を抜けながら、合わせるように剣を振る。
「…っ」
手応え、あり。
位置的に首元か胸元辺りを裂いただろう。すぐに手当して助かるかどうかだ。
手に残る、肉を裂いた感覚。それに一瞬気を取られるも、またすぐ次の敵が現れた。
そしてまた剣を振るう。
初めての戦闘で緊張と興奮していたのか、途中から頭が真っ白になっていた。
「引き上げだぁ!!」
ふと気づくと、いつの間にか敵の指揮官を斬り倒していた団長が叫んだ。
それに呼応して、来た道をまた全力で駆け抜ける。反対側からは恐らく血風の傭兵団の物であろう鬨の声が上がっていた。
敵兵がそちらに気を取られたおかげもあり、特に被害もなく敵陣から去りゆく。
「初めてであれなら、上等だ。よく頑張ったな」
森を抜けながら団長が声をかける。
「はい…ありがとう、ございます」
それでようやく、我に返った。
事前に皆が声をかけてくれたおかげなのか、思っていたほど心に衝撃はなかった。
きっと相手を殺す重荷よりも、背負ってる物や皆の想いの方が重かったんだと思う。
そう考えると、今ここにこうして居られることが、少し誇らしかった。