第三節 自分が自分であるために
第三節 自分が自分であるために
一体、どうして、何故、こんな事になってしまったのか。
「アディちゃん、服破けちまったんだけど」
「そこに置いといて下さい。後で繕っておきます」
カウンターの端にシャツが置かれる。
「腕切っちまったんだけど、包帯知らねぇ?」
「あそこの棚の引き出しに入ってますよ」
また喧嘩でもしたのか、腕から血を垂らしながら奥へ入っていく。
「腹減ったな。飯まだかな」
「今作ってます!」
匂いと音に釣られて数人が集まってきた。
待って。ちょっと待って。
私は確か傭兵団に入ったと思ったんだけど、何なのこれは!
元を辿ると、私が入団した日から既に始まっていた気がする。
「さて…アーデルハイトとか言ったか」
「はい。アーデルハイト・レインディア――」
「ああ、いい。そう長くっちゃ呼びにくくて敵わねぇ。何とかならねぇか」
「と言われましても…家族も使用人も、皆『アーデルハイト』と呼んでいましたから…」
歓迎の言葉を受け、手招きする団長の側に立った矢先の会話がこれ。
冷静に考えると、随分ひどい話だったと思う
「そうだな……アディ、ってのはどうだ」
「はあ…別に構いませんが。呼びやすいので良いですよ」
きっと、これが失言。
「よぉし馬鹿野郎ども!新しい馬鹿がお前らの仲間になったぞ!」
突然立ち上がり声を張り上げる。
「名前はアディだ!てめえらと違って育ちの良いお嬢さんだが、遠慮はいらねぇ。見習いだから色々教えてやれ!」
そして、手にしたグラスを高く掲げた。
「そら、グラスを掲げろ!いいかぁ!」
何事かと思って呆然としてたら、ジャッドさんが横からグラスを渡してくれる。
これ、中身なんだろう…
「貫くことこそ我らが誇り!」
「貫くことこそ我らが誇り!!!」
「「「乾杯!!!」」」
全員が手にしたグラスを傾け、飲み干す。
その後は、控えめに言って地獄絵図だった。
飲み、騒ぎ、食べ、そして飲む。
講談なんかで得た知識とは全く違う光景が目の前にあった。
なんていうか、その。うるさい。
挙句に。
「よぉ、俺はオウルってんだ!よろしくなアディ!」
盃を打ち鳴らす。
「さっきのすごかったなぁ!俺ともやろうぜ!あ、俺はビルってんだ!」
さすがに酔っ払い相手に負けはしなかった。
「俺はロッホバーってんだ。どうだい、奥で俺といいことしがふっ!!」
ジャッドさんに連れてかれた。
入れ替わり立ち代り、自己紹介?に来ては笑顔と酒臭い息を吐いて戻る。そしてまた、飲む。
「すまねぇな。こいつら酒飲んで騒ぐために生きてるみたいなもんでよ」
戻ってきたジャッドさんが新しいグラスをくれた。あ、これ水だ。
「ありがとうございます。話に聞いていたよりも、その…皆さん元気、というか」
実はジャッドさんは副団長だったらしく、他の人は遠慮してなのか寄ってこなかった。
「団長も言ってたろ、こいつら馬鹿なんだよ。明日の酒と女の為に命かけてんだ」
ちなみにその馬鹿達を炊きつけた本人は、何事も無かったかのようにまた静かにグラスを傾けていた。
あれ、実は楽しんでるんじゃ…
「ただ…俺達の仲間になるんなら、忘れちゃいけねぇもんがある」
「何ですか?」
笑顔で皆を見ていた表情が急に締まったりするものだから、私もなんとなく居住まいを正してみたり。
「俺たちゃこんなだけど、酒と女よりも大切にしてるものがある。それが、誇りだ」
「誇り…ですか」
正直に言ってしまうと、傭兵なんて人たちは、誇りも誉れも挟持も無く、ただ剣を振るうんだと思ってた。
「皆何かしら抱えちゃいるけどな。腕っ節とくそ度胸だけで生きていこうなんて言うんだ。誇りまで失っちまったら家畜と変わらねぇ」
「自分が自分であるために、ですか」
「そんな所だな。嬢ちゃん…と、悪いな。アディも、貴族だってぇのに傭兵になろうって言うんだ。失いたくない誇りがあったんだろう?」
「…ええ、まあ」
実際の所はどうなんだろう。半分はただの意地なような気もする。
だから、少し曖昧な言葉を発してしまった。
「なら、それをしっかり胸に抱いておくことだな。それが、最後の最後に自分を支えてくれる」
なんてな、と言って笑いつつグラスを打ち鳴らして、ジャッドさんは離れていった。
自分が自分であるために。間違っても、目的と手段が入れ替わらないように。
そうだ、私は家を…お父様の残した誇りを失わせない為にここに居るんだ。
そんな事を考えていたら、少し自信と元気が出てきた。興が乗った、って言ってもいい。
じゃなきゃ、こんな状況で歌を口ずさみ始めたりしないだろうから。
武芸や作法を学んでいる日々で、外の世界を知らない私を虜にしたあの歌。
どこの誰が、何を想い紡いだかわからない歌。
でも、何でか胸に染み入る歌。
気がつけば、誰もが騒ぐのをやめて聞き入っていた。
恥ずかしいけど、いいや、歌い切っちゃえ。
出会いと別れだけ
繰り返される旅路
振り返ることもなく
道なき道をゆく
あの高い雲を追い
太陽に手を伸ばし
抱き締めることもなく
さよなら 愛し君
寝て起きたら、何故か皆が妙に優しかった。
どうしたんだろう?