第二節 男爵の思惑
「先手というものは、打てるならそれに越したことはないんだよ」
窓の側に置かれた椅子に浅く腰掛け、外を眺めながらそう言った。相手は居ない。
彼の名は、ルシエール男爵グレイス・テオドール。
立場で言うならば、ヴァイゼーブルヌ神聖同盟北部方面軍における戦術顧問。いわば軍師の役どころだった。
本来は戦略家のボクが戦術を指南するなんて畑違いも良い所だ、とは彼の言である。
数々の戦術を用いて戦略と成す、という意味では畑は同じに思えるが、彼には彼の思う所があるらしい。
要するに、ひねくれ者なのだ。
しかし、性格よりも能力。
軍師養成所における彼の成績を鑑みるに、同期であったシスク・ベルケルと共に戦場に送り出されたとしても、何ら不思議はない。
そして、北部方面と南部方面にそれぞれわかれ、役どころを同じとしているのならば。
サリーデス男爵に対して共感を覚えつつも、シスク・ベルケルに対してライバル心を抱いたとしても無理は無いだろう。
しかも、南部方面ではヴァンサン平野の戦いがあったというのに、こちらは未だに睨み合いの膠着状態が続いている。
彼の焦りはいかほどのものであっただろうか。
何せ、件のシスク・ベルケルの名が連ねてある書状で、ドケルサントの飛龍騎士団を全部よこせと言って来たのだ。
「あいつ馬鹿じゃないのか」
何でこっちの戦線が膠着を保てているかわかってるのかな。
いやわかってるだろうな。わかってて言ってるんだろうな。
レアンサブラン王国の軍勢はおおよそ四万。
対するこちらは、神聖同盟に参加している国の編成軍で総勢五万。
まともにぶつかったら、勝つのはこちらとしても被害が目を潰れるものではない。
端的に先が無い。
それに加えて、向こうは回廊諸国からの援軍が続々集まっている。
現状で総勢が何万に膨れ上がったことか。今調査に行かせてるから、両日中にはわかるだろうけど。
それでも攻めてこないってのは、数の優劣に加えて、こちらには虎の子のドケルサント飛龍騎士団が居るからだ。
つまり、やったら確実にやり返されるのだ。それはどちらも同じこと。
向こうを叩きに飛龍騎士団を出したら、こちらは歩兵やら騎兵やらで五万が残るだけ。
すると条件がほぼ同じになってしまう。攻めこんでる以上地の利は向こうにあるのだ。
それでも勝ちはする。それは自信をもって言える。
だけど、向こうがちょっと頑張っちゃって、こちらの兵力を削られた場合、地上での抑えがいなくなってしまう。
頂けない。それは非常に頂けない。
だからこその、飛龍騎士団なのだ。
「つまりそれだけ向こうも切羽詰まってるって事なんだろうけど…こっちの事も少しは考えてほしいね。いや、ボクが居るからかな?」
ボクならそれでも何とかするだろうって思ってだとするならば。
アイツの方式を採用すると、減点100点だけど加算100点で差し引きゼロってとこだな。
「いや、タイミング的には決して悪いとも言い切れないから…もう10点くらいは加算してやってもいいな」
そう、今のタイミングでなら、打つ手があるのだ。
いや普段からいくつも手は考えてあるけどもさ。
今なら割と簡単に、こちらの兵力を減らさずに、効率的に向こうの動きを止められる。
でも、いくら何でもそんな状況までアイツが把握してるとは思えない。
アイツは今、空飛ぶ海賊船である三月のウサギ号に夢中なはずだから。
あれ、もしかしてアイツ丸投げしやがったのか?そんなまさかね。いくら何でも、なあ。違うと想いたい。
まあそれはともかく。
「失礼する」
そこまで考えを巡らせた所で突然入ってきたのは、ドケルサントの大貴族様。エマニュエル公爵バルタザールさん。
「ああ、丁度良い所に来られましたね」
椅子から立ち上がり、一礼しつつ言う。
この陣営に居る奴ら皆ボクより馬鹿なんだけど、そこで軋轢生んでも面倒くさいからね。一応の礼は通している。
「…書状は読んだようだな」
ボクの手にある紙を見て言う。
「ええまあ。それで、どうなさるおつもりですか?」
まあ聞くまでもないんだけど。
「ユルノーラング大公を始め、巡礼軍本営の主だった面々の名が連ねてある。断れるものではない」
だよねー。
北部方面軍って言ったって、大主教猊下も、かのオージュサブリス聖騎士団もあっちに居るんだもん。
どう考えたってこっちはただの分隊でしょ。
そんなの断れるわけないよね。立場弱いって嫌だね。
「しかし、飛龍騎士団全てとなるとこちらの状況に支障を来す恐れがある。何か策はあるかね」
正直に言ってこっちに送られた時は、ただただ面倒で嫌だったんだけどね。
実質北部方面軍のトップのこの人が、基本的にはボクの方針を通してくれるもんだからやりやすいこと。
何考えてるかは知らないけど、自分が策を考える頭持ってないのを理解してるのかな。
でも、今みたいに状況をちゃんと把握したり、多少はその後も考えられるんだよね。
まあだから話を通しやすいしありがたいんだけどね。
「策はあります。ただ…」
「…工作活動、か」
そう。この人騎士の位も持ってるもんだから、軍事に関しては真っ直ぐなんだよねぇ。
裏工作とかしないで、正々堂々真正面からぶつかりたいタイプ。
敵にするなら与し易いんだけど、味方だと少しやりにくい。
「…それが、必要なのだな」
ただ、さっきも言ったとおりこの人聞き分けが良いんだよね。
性格はそんなだけど、こういう事も時には必要って理解はしてるんだ。
ほんと、評価点高いよ?
「ええ。ただ、こちらの思惑を読ませない為にも、軍を動かす必要はあるでしょうね。多少の犠牲は出るでしょうが…」
「わかっておる。覚悟の上だ。時が来るまで現状の膠着状態を崩すわけにはいかぬからな」
皆これくらい物分りが良いと助かるんだけどな。
この人以外の幕僚だと今の話したら、何で軍まで動かす必要があるんだくらい言いそうだもん。
「それで、どのような策なのだ?」
「大した事ではありませんよ。こんな時のために各国に潜り込ませていた人材に指示を出すだけですから」
「諜報員か…と、すると」
「ええ。共食いって奴です」




