第1章 鬼とパンツと猫耳少女 《3》
そろそろ突っ込むべきな気がしてならない三角耳と尻尾を揺らす夕陽と呼ばれていた女の子と一緒に白衣の女性を追いかけて辿りついた場所は、彰二もよく知っているお気に入りの場所のすぐ傍にある建物だった。
「って……公民館じゃん」
夜龍山の麓にはそこそこの規模を誇る児童公園があって、その西端にこの奈月町公民館がある。公民館とは、社会教育法に基づき、市区町村が近隣住民の教養や文化の向上、住民同士の集会などのために設けられた施設の事。ようするに、ご近所に住む老若男女なら好き勝手使っちゃって大丈夫ですよ~という建物。彰二の記憶が正しければ、平日はほとんど静まりかえっているのだが、週末ともなれば日本舞踊の稽古に訪れるお婆ちゃんでごった返す。他には町内会のイベントなどにもよく使われている。鍵は、普段は近くのコンビニに任せてあった……ような気がする。
白衣の女性は、まるで気心の知れた友人の家にアポも無しに突撃するかの如く正面玄関をバーンと開け放ち靴も脱がずに侵入していく。それに倣って女の子が続き、そして彰二がしんがりを往く。ふと気が付くと、玄関扉には雑な文字で書かれた『夕戯社』という張り紙がしてあった。
公民館内部の構造も彰二の記憶とほとんど合致していた。
一階ロビーからすぐ右手には何度か見覚えのある中規模なホール。学校の教室とほぼ同じくらいの空間で、専らここでクリスマス会やらビンゴ大会などを催している。何となしに思い出したが、そういえばビンゴ大会はリーチになった記憶も無い。クリスマス会はガスコンロの消し忘れによるボヤ騒動の所為で中止になった。
「ほら、こっちだこっち」
ぼやきながら白衣の女性はホールへと向かっていく。途中にあった上階への階段は、恐らく日本舞踊の稽古に使われる和室がある二階のはず。気にはなったが、今は彼女の後についていくのが先決。
「席も何も無いから適当に座れ」
言うが否や白衣の女性は適当な場所にどかっと胡坐をかいて座り、女の子も適当な場所でゴロゴロし始める。彰二は二人から少々距離を置いてからゆっくりと正座した。硬い制服の生地が何とも居心地の悪さを助長してしまっている。
「さぁて、めんどくさいが最低限は説明してやるか。私は鏡子。で、あっちのコは…………めんどい、後で自分で聞け」
「いや適当過ぎんでしょ……つか、ここ公民館だよな? 何でここに? それにさっきの」
「わかってるわかってる。それを説明するために、ここに来たんだよ。外だと“鬼”が湧いて鬱陶しいからな」
「……ちょっと待った。“鬼”が湧くって、そんな蚊みたいなモンじゃないでしょ。つかさっきの」
「だーかーら。ちっと黙れ。説明してやるからしばらく口を閉ざしてろ。……はー。ホント、どうして私がこんなめんどくさいことを」
ここに至るまで彼女は何度「めんどくさい」と言っただろう。黙っていれば相当な美人だというのに、よくよく見ると至るところがだらしない。手入れをほとんどしていないであろう伸び放題の長い髪は無造作に跳ねまくり、インテリ風な雰囲気を醸し出すレッドフレームな眼鏡も下に若干ずれている。白衣、というと聞こえはいいのだが所々黄ばんだシミっぽいものが付いているし、その下も「威風堂々」とプリントされたシャツにハーフパンツ。色気もへったくれも無い代わりに胡散臭さは極限まで引き出されている。まるで、怪しい研究に没頭する悪の科学者のようだ。
「まず、ここは君の知っている世界とは違う。人の世界と神の世界の狭間――“タソガレ”という場所だ」
「え? あの……頭大丈夫ですか? 病いあふが!?」
正面から飛んできた文庫本が彰二の顔面に直撃し出かけた言葉が途切れる。鏡子はハァーと大袈裟な挙動で溜息を吐くと、膝の上で苛立たしげに頬杖をついた。いきなり真顔でそんなこと言われた彰二としては至極まっとうな反応だと思ったのだが。顔がひりひりする。
「案の定な反応しやがって……これだからめんどくさい」
「あ、あのな! いきなり真顔で君の知っている世界と違うと言われて『やっぱり思った通りだったぜ!』って合点がいくわけないだろ!? それに人の世界と神の世界の狭間って……んな、バイ○トンウェルじゃねえんだから」
「……そうやって例えるなら今時のティーンエイジャーに分かりやすい例えで頼むよ。でもね、こっちだって色々と想定外なんだよ。……君という存在はね」
「ど、どういう意味だよ」
自分という存在がいきなりイレギュラー扱いされ思わずたじろぐ彰二。ふぅとやや浅い吐息の後、鏡子は気だるげに続けた。
「この世界はね、人間の“影”が生活する世界なんだ。影は当然実体を持たず、普通は半透明か黒い人型のどちらかで具現化される。……分かるか?」
「……あの、オッサン」
ここに来る前に最初に出会ったあのサラリーマン。
彰二の声にもろくすっぽ反応を見せず、あまつさえ鬼にジョブチェンジして、向こうでゴロゴロしている女の子に蹴り倒された。あの後、鬼の姿はまるで霧を払うかのように霧散してしまって彰二は驚いていたのだが、思いっきりスルーされてしまっていた。
「影は普段は何もしない。現実の世界での動きをトレースしてそのままの動きする。ただし、その人間が心に強いストレスや不安、恨みだとか嫉妬だとか、そういったマイナスの感情を抱いていると違う。そうやって強く心が追いこまれ、自分でもコントロールできなくなった時、その感情はこの“タソガレ”において“鬼”という形で具現化する。それを“迫鬼”(はっき)と呼んでいる」
「“迫鬼”……」
「迫鬼という存在は、この世界においては何ら影響を及ぼさない。ただ、これが君たちの世界の方に逃げてしまうと少々面倒なことになるんだ」
「……待った待った。あんなもんが逃げて来たなんて話、今の今まで一度だって聞いたことないぞ。出鱈目じゃ」
「あー、もー…………やっぱめんどくさい。ここから先は別に君に関係無いんだし話さなくてもいいね。ということで、ハイ解散!」
「自分で説明するとか言ってぶん投げようとするんじゃ」
「現世に出た“迫鬼”は、その人間の心を強く欲するんですよ」
「ふぁ?」
反対方向から別の声が聞こえ、振り返ってみるとそこには鏡子と同じような白衣に身を包んだ青年が立っていた。身長はパッと見で百八十センチオーバー。全体的にスラリとしていて、ライトブラウンな前髪には黒いヘアピンを二つくっつけている。パッと見はお洒落で真面目な大学生のようで、グリーンミントガム的な爽やかさがにじみ出ている。青年は歩きながら話を続けた。
「“迫鬼”はそれを生み出した人間の心を求めて現世を目指します。そして、現世で迫鬼に心を喰われてしまった人間は理性や自制心などが薄れ、残されたマイナスの感情の赴くままに行動を起こしてしまいます。つまり殺人や犯罪、暴力などですね」
「何だ霖、帰ってたのか。なら後の説明は任せる。私はめんどくさいし疲れて眠いから寝る」
「……え、あの人何かした? めんどくさいばっか言ってただけのような」
「あの人はそういう人なんで。じゃあ、残りは僕が引き継ごうか」
青年はご丁寧にも彰二の正面にゆっくりと座り姿勢を整える。何となく失礼な気がして彰二も姿勢を改め、女の子は相変わらずゴロゴロしている。
「改めて。僕の名前は霖。鏡子女史の補佐をしてるんだ」
「え、あの見た目で女児? いやいや若づくりって次元じぁあぶねぇ!? 今ボールペンが飛んできた!? 殺気感じた!?」
頬をかすめた油性ボールペンは床を貫きしかも何故か煙が出てる。こんなのが直撃したらと思うとゾッとしない。
「あんな風だけど、けっこう真面目に仕事するんだよ。嫌よ嫌よも何とやらって感じで、もうこの街の担当を百年以上続けてるしね」
「ひゃく……は? そんな顔で冗談はやめてくださいってば。百年だなんてそん……な…………え、マジっすか?」
ぴったりと張り付いたかのような霖の笑顔に彰二は言葉に詰まる。鏡子の言葉だけならほぼ確実に信じられなかったが、その笑みを見る限りどうも本当のことらしい。
「彰二くん、だっけ。言い忘れていたけど、僕たちは君とは違うんだよ」
「そ……そうっすね。みんなちがって、みんないいって何処かの誰かも言ってたし」
「そうじゃなくて、僕たちと君とは存在の次元そのものが違うんだよ」
「……はいぃ?」
寝っ転がった鏡子の方から「その詩人分かるヒト今時いないって」と突っ込まれたような気がしたが、それよりも彰二は霖の言葉が気になった。
「一応言っておくと、僕も鏡子女史と同期だから百年以上この“仕事”を続けてるよ。そこの夕陽ちゃんは新人さんだけど、彰二くんよりずっと長生きだしずっと強いよ」
「んー? 夕陽のこと、呼んだ?」
「……ど、どういう」
さっぱり分からず、ついに彰二は素直に霖に答えを求めた。ニコニコと柔らかな笑顔に嫌味のようなネガティブなものは一切感じられない。
「僕たちは、神様なんだ。この“タソガレ”という世界を守る神様……“カゲガミ”って呼ばれてる存在なんだ」
「……なん、だって?」
・ ・ ・
あの鬼の襲撃から始まり、そして今に至るまでの怒涛の情報量に彰二の脳はオーバーヒート寸前だった。
「僕たち“カゲガミ”の使命……あぁ、いや、この言い方だとちょっと個々でズレがあるかもしれないけど、あの迫鬼をこの世界で食い止めることなんだ。現世に迫鬼が出てしまうと、さっきも言ったみたいに悪影響が出てしまう。それを未然に防ぐのが僕たちの仕事……とか、そういうものなんだ」
「じゃあ、あの夕陽って女の子も……?」
名前が出るたび、ピコリ、と耳を揺らしこちらの方に素早く身体を向ける夕陽。そして彰二と目が合うとにぱーっと嬉しそうに笑顔を咲かせる。何だろうなーこの感じは。物凄く、くすぐったい。
「エージ、呼んだか? 夕陽のこと呼んだ?」
「お、おう。俺が普通の人間で、夕陽は新人のカゲガミ……? らしいな??」
「そーだよ! 夕陽ね、カゲガミさまなんだよ! 凄いでしょ? ね、ね?」
「……じゃ、その耳と尻尾は何なんだ?」
ついぞ我慢の限界きたれり。
彰二は出会ってから数ページ間ずぅーっと気になっていた、夕陽の頭とお尻とで揺れているものを指差した。夕陽は、きょとん、とした感じで至極そのまんま答えた。
「私の耳と尻尾が、どうかした?」
「いや、それどう見ても猫の耳と尻尾だよ……な? カゲガミってのは、そういうのが生えてたりするもんなのか?」
「うぅん、ちょっと違うかな。それは彼女の前世の名残だよ。彼女、カゲガミになる前は“猫”だったからね」
「……?」
前世が猫? 猫が神様になっているということ? じゃあ夕陽は猫神さま? カゲガミで、猫神? ん? ん??
「カゲガミは、基本的には現世で死んでしまった動物が転生したものなんだ。あぁ、ちなみに言っておくと僕と鏡子女史は少し違うんだけども」
「……コスプレとかじゃ、ないんだ」
「夕陽ね、この街守るのがお仕事なの! えへへぇ……」
誇らしげに胸を張ったかと思えば、夕陽の頬は名の通り赤く染まっている。親の前でちょっと背伸びしたい年頃の子供という感じがしっくりくる。彰二が父親だったらその頭を撫でてたかもしれない。
「とはいえ、彼女はまだまだ色々と未熟でね。鏡子女史が手を焼いてるのもまた事実で」
「あの“迫鬼”は余裕でぶっ倒せてたけど……それでも何かあるんすか?」
「少し学が足りないかな。現世のことをあまり知らないもんだから常識とかも欠けてるし、何よりこの街のことをまだ把握できていないし。そこは、担当したばかりだからしょうがないとも言えるんだけどさ」
「……さっきから気になってたんすけど、じゃあ前の担当の……カゲガミさまってのは、どうなっちゃったんです?」
「もういなくなったヤツの話は不毛だとは思わないか、人間?」
鏡子の乱暴な声だけが彰二たちの会話に割って飛び込んでくる。寝ると言っていた割には身体を起こし、かなりキツめの視線を窓の方に送っていた。
「そのいなくなったヤツの代わりに夕陽が後任。だけどソイツは色んな意味で未熟でねぇ」
「…………ん?」
何だろう。
不意に背筋が、ぞわ、と総毛立つような感触を覚える。
今この瞬間厄介事に巻き込まれているというのに、ここからさらにまた悪いことが連なりそうな、それは不幸を背負って生きる彰二が知れず知れずのうちに身に付けてしまった第六感とでも言うべき気配。
鏡子の気だるげな双眸が彰二を見、そしてこんなことを言ってきた。
「なぁ人間。よかったら、その夕陽を任されてみないか?」
「は……? は……はい?」
※
彰二と夕陽がいなくなった奈月町公民館の二階。
そのベランダで鏡子は煙草を燻らしながらオレンジ色の空を何となしに見上げていた。
「……さっきの前任の話、正確には、駆け落ちしていなくなった、ですよね。鏡子女史?」
「我が姉ながら情けなさ過ぎるよ……っとに」
遠くを見つめながら憎々しげにぼやく鏡子。そんな彼女の横顔は、でも何となく寂しげで浮かない顔をしている。霖は一人分の間を開けてから隣のフェンスにもたれた。
「最強のカゲガミ……候補まで登り詰めておきながら、偶然見つけた人間に一目ぼれして助けて、あろうことかそのままアッチに行ってゴールイン。元が神様とは思えないほどに自由奔放ですね」
「しかも子供までこさえて、同じようにタソガレに迷い込んでくる始末……何の嫌がらせだよ」
「そういうのは運命って言いませんか?」
「仮にも神を名乗ってる私たちが運命なんて言うもんじゃねーよ」
「じゃあ、因縁?」
「それじゃ大差ないんだって」
吸い殻を風の中に放り込んで、残りは今までの鬱憤を晴らすかのようにサンダルでごりごりと押し消す。
「……正直、驚いてる。絵空事にだって出てこないような例外をこの目で見ちゃったんだから。しかもそれが、もう自分に関わりないと捨ててた“身内”と来ればもうお手上げだ」
「人間と、カゲガミの……ですか」
「それがどういう意味になるのかは知らないけど……二つ分かったことがある」
一つ、と指を立てる。
「あの馬鹿姉は生きてる。しかも、よりによってこの街で」
そして二つ、ともう一本指を立てる。
「……大変不本意ながら、私に甥が出来たという事だな」
ほぼ勢いだけで進んでます。
それと、作中ネタにしてる詩人さんの大ファンだったりします。
初めて聞いたのって、小学校の授業か読み聞かせだったような……?
次回更新は10月7日。
では、待て次回。