第3章 四ツ足ノ足音 《11》
手からこぼれた林檎が落ちていくのと同じように、堕ちていくのは体裁を繕うよりもずっと“楽”だった。
まだそうと決まったわけでもないのに、古島は二人が付き合っていると決め付け、そしてその感情の矛先を一点に絞ってぶつけ始めた。無論、最初はあからさまに見えるようにではなく陰湿に、目立たない場所から。それは“姑息”とも言える。微かな粗探しから、例えばほんの少しドジっただけで大袈裟にからかったりだとか、本人が気にしている、所謂コンプレックスの部分を突いたり。イジメだなんて言えようなそうでないような際どいラインで須川に八つ当たりしていた。本人がどう思っていたかはともかくとして、少なくとも古島の胸の内は清々しくなっていた。内に眠っていたそういう面を露にしていくのは恐ろしいとも思ったが、ほんの微細なことだった。
だが、正直言ってその効果はほとんど無かった。
成績の差は埋まるどころか広まる一方だったし、二人の関係だって何処となく以前に比べたら親しみが増したような気さえしてくる。
焦りと、嫉妬と――それから、心の底にこずんでいく小さな澱。
それが何なのか、この時の古島は分かっていなかった。頭の中は二人をどう離すべきか、須川をどう陥れるべきか、彼女に見えないように立ち回りは、と三つの事柄が延々とループしていた。その果てが――ご覧のあり様。
「……?」
エスカレートしていくイジメの様子が彰二の目の前に広がっていくかと思うと、途中でノイズが走り始める。
本当はやるべきじゃない、やったって意味がない。
それは古島の良心の呵責とも言うべき反動だった。乱れる映像の中で、それまで親しくしていた友人の姿もフラッシュバックし始める。それらが冷たい目を宿して徐々に遠ざかっていく。そして、今の自分と同じ目をした人間がゆっくりと周囲に集まっていく。自分の知らない自分になってしまった瞬間。彼の心の中が混沌と化していく様は、見ている彰二も辛かった。
「……ん、ちゃん! 彰二!」
「エージ! エージ!」
手を伸ばしかけたところで、不意に背後から鏡花と夕陽の声が響きハッと我に帰る彰二。古島の記憶とも言うべき映像が徐々に霞んで消えながら、彰二は二人の声と大きな力に引っ張られ境内に転がりこむ。
「えっと、俺何してた?」
「昔の映画で宇宙人とファーストコンタクト取った少年みたいに“四ツ足”に向かって手を当てて放心してたのよ。怪我とかは……無さそうね?」
「……すっげぇ恥ずかしいポーズしてたのな。って、アイツは……」
肝心の“四ツ足”はと言えば――揺らいでいた。
激しい葛藤に苛まれ自分の意思があやふやになって足元が覚束ないその有様に、もはやそれまでの威圧感や圧迫感といったものは完全に失せている。何だか、“哀れ”だと彰二は顔をしかめる。
「細かいことは聞かないわ。けど、今のあの状態なら私たちの攻撃で決定打を与えられるでしょうね」
「古島は、どう……なるんだ? 普通の“オニ”と違うんなら」
「今の彼は普通の“オニ”に近いみたい。だから私たちがここで倒しても問題はないと思うけど……もしかしたら、アフターケアとか必要かもしれないわね」
「……」
黙りこくる彰二の頭にぼふ、と柔らかい重み。それは鏡花の手の平だった。
「ほーんと、人間って大変よね。私たちからしたらそんなコトで悩まないのに。そういう偽善……あぁ、言い方が悪いわね。心根の優しいトコはえーちゃんのイイトコだと思うわよ」
「そうだぞ! エージは優しいんだぞ! だから夕陽は大好きなんだ!」
「あ……あはは。二人ともフォローどうも」
「もうすぐ終わるから、少し待ってなさい。その後は、えーちゃんの好きなようになさいな」
ニコ、と笑う鏡花とダダダッ、と駆けていく夕陽の二つ分の背中を見送って――彰二はその場でぺたりと尻もちをついた。
肉体的にも、精神的にも、この世界の事情は色々と彰二には重過ぎる。
重たい荷物を抱え続ければ手は痺れるし足だって動かなくなる。
今の彰二は、それだ。
自分のキャパシティ限界をオーバーしてしまって、自分の事も含め何を考える余裕すら無くなってしまっている。
「夕陽ちゃん、合わせて頂戴よ」
「わかった!」
二人の呼吸が重なり、同タイミングで“四ツ足”へと加速していく。あらゆる緊張の糸が切れた彰二は、ぼやけた眼差しでただただ二人の背中を目で追うばかり。
跳躍、回転、まるで鏡合わせのように同じ態勢で“四ツ足”へ一撃を叩き込む。
轟音、閃光、そして断末魔の叫び声。
全てが重なったその瞬間、彰二の意識がぷつりと途切れてしまった。
区切りの都合とはいえ、み、短い……;
とはいえ、これで今月中に完結……かな?
次回更新は3月17日。
では、待て次回。




