第3章 四ツ足ノ足音 《9》
多少は地の利があると思いながら細い廊下を走っていた彰二だったが――その予想を反し“四ツ足”は怒涛の勢いで詰め寄ってきていた。
彰二が階段を二段飛ばしに降りようものなら“四ツ足”は一足で飛び、廊下を右に左にと婉曲しながら進めば強引に校舎を破壊しながら追尾し、彰二にはもうほとんど逃げ場が残されていなかった。
「ど、どうしろっての……ッ!」
自分に戦う力はないし、肝心要の夕陽は彰二の背中で目を回している。鏡花の安否も心配だったが、今まさに自分の命が最も危機に瀕している。同級生の“影”をすり抜けながら彰二は出来得る限りの方法で“四ツ足”から逃げ続ける。が、何処へ行っても追い付かれるのは時間の問題だと彰二もそれとなく察していた。グラウンドに出るか、何処かで隠れてやり過ごすか、それとも――。
「……ッあ」
考えながら突っ走っていた所為でいつの間にか彰二は自分の意思と無関係に校舎の裏手、教職員用の駐車場に出てしまった。まばらに駐車された自動車に、以前須川を見かけたゴミ収集所。他に何も無い――要するに自ら袋小路に飛び込んでしまった。慌てて踵を返そうとした矢先、“四ツ足”の嘶きが聞こえる。振り返るまでも無くそこに居る。熱気と冷気とが同時に背筋を走り、圧倒的なまでの存在感を放っている。
ザリッ――とその足が砂利を蹴散らす音。
彰二は気を失っている夕陽をゆっくりと降ろし、二歩下がってから意を決して振り返る。足の震えを気力で抑えながら、陽炎のように揺らめく“四ツ足”を視界の内に収める。すり足の要領で彰二が右に動けば、それに合わせて“四ツ足”の目線が右にずれていく。狙いは完全に――彰二だ。
――ォォオッ!
最悪、夕陽だけでも――と再度右に移動した所で不意に“四ツ足”が叫び彰二に向かって真っすぐ突っ込む。反応が数秒遅れたものの彰二は横っ跳びを試み、つま先に僅かな感触が触れるもギリギリで回避に成功。“四ツ足”の直線状に駐車してあった教頭先生の車が、べしゃり、がごん、と歪な音を存分に響かせながら吹き飛んでいく。“影”とはいえ目の前でスクラップが出来上がる迫力といったらない。腰を抜かしかけた彰二はじりじりと後退り、未だ視線を向け続ける“四ツ足”と一定の距離を保つ。
「何なんだよ……! ど、どうして俺ばっか狙うんだ……?」
「えーちゃん、無事?」
「か、母さん!? そっちこそ無事だったのか!?」
頭上から声が聞こえたかと思い見上げると、拳闘着をはためかせながらこちらに舞い降りてくる鏡花の姿。“四ツ足”と彰二の間、やや彰二よりの位置に鏡花かは着地するとすぐさま傍にしゃがみ込む。
「怪我……ないみたいね、安心したわ」
「でも、夕陽が気を失ってて」
「えーちゃん、あの子とお友達だって言ってたわね」
「あの子……友達って」
“四ツ足”――要するに、“鬼”と化してしまった古島のことだ。
「……えーちゃん、あの子に話しかけてみてくれない?」
「は、はぁ? そんなことして」
「私もおかしなこと言ってるって自覚はあるわ。だけど、私の勘が正しかったら……あの子、もしかしたらギリギリ理性が残ってるかもしれない。だから……」
「……だから?」
「とにかくえーちゃん、お願いしてもいい? その間の安全は私と夕陽ちゃんで必ず守るから」
「でも夕陽は――」
「むくっ! エージ、エージは無事か!?」
「うぉおッ! 復活早いな!?」
日朝を見逃しかけた小学生みたいな挙動で夕陽が飛び上がると、すぐさま彰二の正面に駆け込み“四ツ足”を睨みつける。闘争心は欠けておらず、むしろやる気満々といった感じだ。
「声が届くかどうかは分からないけど、何かしら効果はあるはず。無かったら、その時はその時でどうにかする。もしそうなったら、えーちゃんは今度こそ逃げるのよ」
「わ、わかった……って、あ」
何て声掛ければ――と聞こうとした時には既に夕陽と鏡花は“四ツ足”に向かって一定の距離を保ちながら、彰二に攻撃が及ばないようけん制し始めていた。よろける足を奮い立たせ彰二は立ち上がる。
そうだ、アレは自分の友達だった。……っていうか同級生だし地の利も何もないじゃねえか。
未だなお殺気を放ち続ける“四ツ足”を視界に捉え、彰二は――ほんの少しだけ、心の隅で微かな喜びを感じていた。今の今まで戦力外通告だった自分が、もしかすれば友人を助けられるというポジションに躍り出たことに責任感と、不謹慎ながら感動すら覚えていた。不幸中の幸い、というヤツなのかもしれない。彰二は一歩踏み込み、息を吸い込み掛けるべき声を頭の中で思い描いていく。
「……古島、聞こえるか! 聞こえるんなら、返事をしろ!」
・ ・ ・
言ってから気付く。
多少なりとも言葉らしきものを発する“鬼”相手ならともかく、パッと見獣の“四ツ足”が言葉を話すわけがないだろう。そういえば小学生の時の演劇発表会で思い切り台詞を忘れてとんちんかんな事を口走ったのを思い出す。顔が物凄く熱い、鏡花はそっぽ向きながら震えていて、夕陽は尻尾をぶんぶんしてる。
――ッ、グォ……
が、全く効果が無かったというわけではないらしい。
彰二の言葉の直後、“四ツ足”の動きが急激に鈍り徐々に後ずさっていった。好機と見た追撃に出かけた夕陽は鏡花が制し、そのまま彰二と“四ツ足”との動向をじっと見据えていた。
「……聞こえてる、んだよな。なら答……えなくていい! どうしたんだよお前! イジメだとかそういうことするヤツじゃなかったろ! そんなお前がどうしてさ……!」
――グッ、ゴォ、ォ……
途切れ途切れの呻き声、声を上げる度、ジリ、ジリ、とその足が下がっていく。それは何処となく、彰二の言葉に、彰二の存在に“畏怖”を覚えたかのように。
彰二はもう一歩、“四ツ足”に向かって踏み込む。
“四ツ足”は一歩、彰二から退いていく。
ゆらめく陽炎のようなオーラを放つ体躯の中に映る眼に力はなく、ただただ虚ろに彰二の姿を浮かべている。
「……古島?」
それまでの剣呑な雰囲気が薄れ、不意に彰二は“四ツ足”に手を伸ばす。その瞬間、覇気の失せていた瞳に赤い光が宿り大きく嘶いた。
――ォォオオオオンッ!
今までのそれと違い、何故かその声は彰二の胸を打つほどに悲痛な響きをしていた。そして彰二たちに向かってくるのかと思ったその矢先、“四ツ足”はくるりと向きを変え逃げるように駈け出して行ってしまった。
「え、あ……待てって!」
「エージ、追いかけるぞ! 鬼ごっこだ!」
「いや、でもアイツは」
「……追いかけましょ、えーちゃん。行き先は夜龍山のあの鳥居。そこで何もかもが終わると思うわ」
「終わるったって……まだ倒してもないのに」
「倒す必要……ないんじゃないかしら」
「え、そりゃどういう……?」
“カゲガミ”としての本分を全否定するその言葉に疑問を抱き見上げたその先で、鏡花は不思議な優しさに満ちた顔を浮かべている。それは、この先の顛末に一切の不安を抱いていないかのような――そんな表情。
「鬼ごっこはもうすぐ終わりそうよ。でも、その役目は私たちじゃなくて、えーちゃんが担うみたいだけど」
「……よく、わかんないんだけどって、うわッ、あ!」
腑に落ちないまま彰二は鏡花にひょいと抱えられ、“四ツ足”が駆けて行った方向へ夕陽と一緒に跳んでいく。バサバサと鏡花の拳闘着がはためく音を耳にしながら、彰二の目に強烈な夕焼けが飛び込む。
太陽が昇れば、やがては沈んでいく。
物事には始まりがあり、そして終わりが必ず訪れるもの。
じゃあ、災厄の象徴と化した友人の行く末は――。
エオルゼアでゴールドソーサーが解禁になりました。
おなじみのBGMのアレンジが素晴らしいの何のって……
次回更新は3月3日。
では、待て次回。




