第3章 四ツ足ノ足音 《8》
彰二が走りだしたのを見て夕陽が後を追い、そしてそれを追い掛けようと足踏みをする“四ツ足”の間に鏡花は立ちはだかり息を整える。
本気の戦闘など、何十年……や、何百年ぶりなのだろうか。
相手は災厄と名高い“四ツ足”。
お遊びで通用しないのは明瞭であり、鏡花は相手をじっと見据えたまま右足を開いていく。
視線は鏡花の遥か後方を――彰二たちが走って行った方向に向けられている。鏡花のことは眼中にないとでも言いたいのだろうか。鏡花の口の端が微かにつり上がる。
「……行かせないわよ」
ドンッ――と、重い砲撃のような音が響き、後ろ足でコンクリートを引っぺがしながら“四ツ足”が突進。真正面からの馬鹿正直な攻撃に、鏡花は右手と左手とを上段下段にと縦に構えて受け止める。両腕の骨が軋む音が内側から伝わってくるも、鏡花は勢いを殺さず“四ツ足”の身体を真横に投げ捨てる。民家の壁だろうと住居の窓だろうと滅茶苦茶にしながら十メートルほど吹き飛んでいく。すかさず鏡花も追撃に出るべく砂埃の中に飛び込んでいく。ここで仕留められればそれが一番の結末。中空で回転を加え繰り出した踵落としを首筋に叩き付け、そのまま連続蹴りを当てていく。普通の“鬼”相手にここまでやればもれなくただの肉塊と化すだろう。トドメにと蹴り上げもう一度塀をぶち抜き、民家を二つほど倒壊させる。瓦礫の中に沈んだ“四ツ足”にゆっくりと歩いていきながら近づいていく。臨戦態勢を維持したまま、いつでも飛べるようにと姿勢を低くしておく。
「……」
ピクリとも動かない瓦礫の山を見て鏡花は思う。
“四ツ足”が暴れ出した瞬間、その眼に映していたのは彰二。この“四ツ足”が彰二の友人であることは確定した。だが、どうして彰二を見て突然暴れ出したのだろうか。彰二の話によれば、彼は友人への嫉妬で燻ぶり続けいたというが、それの限界を越えてここまでなり果てられるのだろうか。単なる嫉妬だけでなら普通の鬼と何ら変わらない要因のはず。何が彼をそうさせたのか。今の彼は“迫鬼”と何が違うのだろうか。
………………ゥ、グ…………
瓦礫の中から聞こえてきた微かなうめき声に咄嗟に身構える鏡花。屋根瓦がぼろぼろとこぼれ、燃え上がるような紅色の角が瓦礫の中から生えてくる。先ほどとは違って効果はあったらしい。出方を窺う鏡花の瞳に――小さな何かがキラリと映り込む。
「……?」
やがて“四ツ足”の貌が露わになり、瓦礫の中から這い出てきたかと思うとゆらりと赤いオーラを漂わせる。嘶き、また同じように繰り返してきた突進を同じように往なし吹き飛んでいく。また起き上がり、そして今度は相手の勢いを利用した背負い投げで地面に豪快に叩き付ける。普通の馬なら首の骨がへs胃折れるであろう一撃を迎えてなお、四ツ足は身体を起こし鏡花に向かっていく。
「この子……泣いてる?」
鏡花の目に映ったのは“四ツ足”の涙だった。
強烈な突進を繰り返し、鏡花の腕と身体とがぶつかり合う度に小さな雫が零れて消えていく。往なしながら鏡花はその謎の減少に目を丸くさせていた。“鬼”が泣くなんてことを初めて見た。「鬼の目にも涙」とはことわざで聞くが実際に目の当たりにしたことなんぞないし、というか泣く前に雲散霧消している。それがしかも“四ツ足”ともなると話は全然違う。というか、災厄の象徴が泣くって。
泣きながら突進してくる様は何とも言えない哀愁が滲んでいる。適度に往なしつつも、心なしか罪悪感のようなものが湧きでてきてしまって、自分でも意識しないうちに手に込める力が弱まってしまっていた。
何度目かの突進。
砂埃だらけの身体を一切の衰え無しに突っ込んでくる“四ツ足”の首と喉元に手を添えて往なす――その瞬間、左手に力を込められず突進の勢いを消すことに失敗してしまった。
「ッあ――」
往なせなかった勢いはそのまま鏡花の身体にぶち当たり、強烈な衝撃と同時に吹き飛ばされる。家々を貫き路上を転がりながら鏡花は慌てて受け身を取る。距離にして数十メートルほどか。ダメージを受けたことより距離を離されたことに危機を覚え、鏡花は駈け出し“四ツ足”の姿を探す。案の定とでも言うべきか、“四ツ足”は彰二たちが向かっていった方向に既に走っていた。電柱の天辺に一足で上り、そのまま電線の上を駆けていく。速い、が追い付けないほどではない。追い掛けながら鏡花は、先の自分のミスを悔んでいた。普通の“カゲガミ”なら相手の事なんぞ一切考え無しに攻めて潰してしまっているだろうに、今の自分には不必要な感情までもがインプットされてしまっている。微かに、笑みが零れた。
「いつの間にか、ずいぶんと人間チックになっちゃったわね……私ってば」
一児の母ともなればそんなものかもしれない。
そんな感慨に耽りながら、鏡花は彰二の通っている高校に向け足を急がせた。
※
「俺ってば、なんで、学校に来ちまったんだ……ろうな」
彰二は“タソガレ”の学校の屋上で乱れた息を整えていた。
全力疾走してここまで辿り付いたものの“四ツ足”の姿は未だ無い。鏡花が食い止めてくれているのだろうが気になって仕方ない。今しがた走ってきた方向から二度三度爆発するような音が響いてきたがそれきり聞こえてきていない。何かあったのか、それとも終わったのか。嫌な思考が巡る頭を落ち着かせながら、ふと夕陽の視線がそちらの方に向いているのに気付き声を掛ける。
「? どうした夕陽?」
「エージ、来るぞ!」
「は? 来るってなに――」
屋上の転落防止の柵の向こうから赤黒い影が飛び込んで来たかと思った次の瞬間、彰二と夕陽の正面に“四ツ足”が颯爽と躍り出る。轟々と唸りながら、血走ったその眼が彰二の方に向けられている。
「な、ぁ……ッ!」
「ぃいっやッ!」
間近で見るその迫力に気圧され思わず腰が抜けてしまう彰二。そんな彰二を庇うようにして夕陽が飛び出し、素早い動作でハイキックを“四ツ足”の横っ面の叩き込むも手応えのようなものはほとんど無く首を回すだけで跳ね退けられてしまった。
「に、逃げるぞ夕陽! お前の攻撃全然効いてないっぽいぞ!?」
「……ふふッ」
「え……夕陽? 今、笑った……のか?」
てっきり彰二は、攻撃が効かなくて拗ねるのではないかと思ったのだが、夕陽は小さく肩を震わせながらニヤッと酷く楽しそうな笑みを浮かべた。
「エージ、この“鬼”強い! 今までのヤツよりずっと、ずっとだ! こんなの初めて!」
「そ、そんなのさっきまでの見てりゃわかるって! だから今は逃げるぞ――ってオイィ!?」
彰二の制止も叶わず、猪突猛進の字のごとく夕陽は愚直なほどにまっすぐに“四ツ足”に向かっていく。その顎に向けて飛び膝蹴りを繰り出したり、“四ツ足”の腹を蹴飛ばしたりと怒涛の攻撃を見舞う。効き目がないかと思われていたがその身体が徐々に押されているのを見て彰二は微かな希望を抱く。
「行ける……のか!? や、やっちまえ夕陽!」
「おー!」
すっかり戦闘態勢の夕陽は小さなファイティングポーズを取って果敢に攻めていく。小柄な身体の夕陽の素早い動きはなかなか捉えづらいのか、“四ツ足”が首や身体を動かして反撃に転じようともなかなか攻撃が命中しない。夕陽はそれを本能で理解しているらしく、ハイキックから足払い、拳打のラッシュを叩き込むのかと思えば二歩距離を取ってすかさず突っ込んだりと緩急の激しい攻め手を広げている。徐々に押し出され、やがて四ツ足の後ろ足は転落防止用のフェンスにぶつかる。
「せっ――の!」
トドメと言わんばかりに、気合いを入れ直した夕陽は駈け出した勢いを付与した回し蹴りを再び“四ツ足”の横っ面に叩き込もうと跳躍――その瞬間、今まで防戦一方だった“四ツ足”の動きがゆらりと動いたかと思うとその首を微かに傾げ、夕陽の回し蹴りが虚しく空を蹴る。
まさに、一瞬の出来事。
空回りして無防備になった夕陽の背中に“四ツ足”の渾身の一撃がクリーンヒット。
「えッ、わ――ぐにゃッ!!」
「ゆ、ゆうっひ――うおわあああ!?」
弾丸のような勢いで飛ばされた夕陽の身体を彰二が受け止め、止めきれなかった勢いに身体が負けて二人揃って屋上の床をごろごろと転がっていく。軽く全身を打ち痛みに顔をしかめながら起き上がると、夕陽は彰二の腕の中で完全に気を失ってしまっていた。
「夕陽……? お、おい! しっかりしろ!? 夕陽!?」
「……ぅう」
いくら揺すぶっても夕陽の意識が覚めることは無く、そして彰二の前に“四ツ足”がにじり寄る。荒い鼻息を零し、その眼差しが彰二を貫き恐怖が心を鷲掴みにする。
逃げるしか――ない。
「くっ……っそォ!」
“鬼”の立場が逆転した“おにごっこ”なんて笑えない。
成す術の無い彰二は夕陽を抱え、ただただ逃げることしか出来なかった。
携帯がぶっ壊れちゃって涙目です……
修理するにしても機種変するにしても中身のデータががが。
次回更新は2月24日。
それと明日活動報告書きます。
では、待て次回。




