第3章 四ツ足ノ足音 《7》
まるで狼煙かのように空へと伸びる砂煙を目印に、夕陽は屋根伝いを華麗に飛びながら、彰二は路地を走っていた。自分で最強だと言っていたのだからそうは簡単に負けないはず。胸の内でそう念じているのにざわざわと逆撫でされているかのような不安感が一向に拭えない。
「夕陽、何か見えるか?」
「んー……」
彰二の声に夕陽は少し高めにジャンプし煙の上がっている方向を注視する。瓦をからからと鳴らしながら特にこれといった返事はしなかった。見えたのか見えなかったのか、もやもやする中目の前の角を曲がる。件の場所は目と鼻の先――走る彰二の隣に夕陽が着地して並走する。その時だった。
――――――――――ッッ!!
進行方向から凄まじい衝撃波と共に嘶きのような轟音が響き二人の足が止まる。うっすらと消えつつある砂煙のその中から人影が一つ飛び出し、彰二たちとの間に着地する。
「母さん!?」
「あら、えーちゃん……? ダメじゃないの、早く帰ってって」
「な、何もしないで逃げれないっての! 夕陽も連れてきたし、これで何とかなるんじゃないか?」
「わ、エージのお母さんホントにカゲガミさまだったんだ……!」
「ちょっとちょっと、今は呑気に話してる場合じゃないのよ、もうッ」
鏡花の背後から小さな光が――と思ったその矢先、鏡花は彰二を抱え隣の民家に向かって斜めに飛ぶ。夕陽も合わせて反対方向に飛び上がって、光の出所に視線を走らせる。立ち込めていた砂煙は引き裂かれ、その中から真紅色の獣がゆったりと姿を現す。
「……え、あれが……“四ツ足”?」
今まで見掛けていた“迫鬼”と呼ばれていた存在がその名に違わず一様に“鬼”の格好をしていただけに、彰二はその姿も同様の物か、もしくはその上位のようなものだと思っていたがその姿は予想とはかけ離れていた。ぬらり、と不気味な光沢を放つ真紅色の体躯から轟々と湯気のようなものを漂わせる四肢が伸び、額には“鬼”たらしめる角が天を突くかのように一直線にそそり立っている。しかしそれは“鬼”というより一種の獣――例えるなら、禍々しい真紅に包まれた一角獣。鬼とは似ても似つかないシルエットに彰二は目を見開いて困惑するばかりだった。
「お、鬼じゃないじゃん!? あれって、ほら、えっと……ユニコーンとかそういうのだろ?」
「カッコいいな、エージ!」
「……でも普通の“鬼”に比べたらものすごーく強いのよ。私が蹴っても殴っても全然手ごたえないし、むしろ私の方が痛いくらいなんだから」
そう言いながら鏡花は赤くなった自分の手の平をヒラヒラと振りながら舌を出す。二人掛かりならどうにかなるんじゃないかという彰二の考えだったが、普通の“鬼”を一撃で屠るような力を以てもなお傷一つ与えられないという情報を得た瞬間瓦解する。
「それより気になるのは……」
「?」
「アレ、さっきから動こうとしないのよ。身体はしっかり鳥居の方を向いてるのにね……っと!」
赤い一角獣の視線は確かに夜龍山の方へと注がれている。だが、蜃気楼を纏ったかのような四肢は微動だにせずただただ呆然としているだけ。
ただ、鏡花が不意に飛び込み飛び蹴りを繰り出そうものなら高速で首を動かし、その一撃を頭突きだけで往なして返してしまう。元の位置に鏡花が戻ると、また夜龍山の方向に身体を反らせまた沈黙が流れていく。
「……何か、思ってたのと違うのよねぇ。アレが外に出たらトンデモナイ事になっちゃうんでしょうけど、今のところその気配も無いし」
「次、夕陽がいく!」
「あぁああおいちょっと!?」
鏡花の攻撃に我慢の限界が来たらしい夕陽は屋根から“四ツ足”に向かって飛翔し、そして何時かと同じように落下の威力を乗せた飛び蹴りを見舞う。その右足は残像を残しながら“四ツ足”の右頬を捉え――たかと思いきや、鏡花の時と同様に軽く動かして往なされて、そしてすぐさま頭突きで反撃に転じた。
「にゃんッ!?」
「ゆ、夕陽ッ!」
クリーンヒットした夕陽の身体が真一文字に吹き飛び、やがて路地の真上でゴロゴロと転がっていく。慌てて彰二は屋根の上から飛び降り夕陽の下に向かいその身体を抱え上げる。外傷は少ないが、体中が砂まみれになっていた。
「だ、大丈夫か!? 骨折れたりとか……してないか!?」
「へーき、だけど……アレじゃ鬼ごっこ出来ないよ!」
腕の中でぷんすか怒りながら暴れる夕陽に安堵しつつ、彰二は件の“四ツ足”に視線を向ける。色こそ禍々しいが、黙ってジッとしている分には一切の害はない。しかし、それはそれでこのタソガレを生きる“鬼”としては十二分に異質。何か原因があるのか。“鬼”側が、逆にこの場に留まりたいとでも思っているのだろうか。思考を巡らす彰二の視線が四ツ足と交錯した瞬間――それは起こった。
――――――ォッッ!!
“四ツ足”が激しく嘶いたかと思うと猛スピードで彰二へと突進を始める。
あまりにも突然の行動に叫ぶ間も逃げる暇も無く猛然と突っ込んでくる真紅の獣が一瞬で距離を詰めてくる。
――死ぬ。
呆然とする彰二と四ツ足の間に、鏡花が彰二を庇うようにして割って入る。地面を蹴飛ばし、四ツ足の速度と同等の勢いで真正面から向かって両掌でその体躯を全身で受け止める。
「――ッ、凄い力ね、コレ……!」
「母さん!?」
「やたッ、チャンス!」
轟々と唸りを上げる四ツ足の動きが止まったのを見て夕陽が駈け出し、無防備な横っ腹を思い切り蹴り上げる。一瞬怯んだのを見、鏡花も四ツ足の顎に飛び膝蹴りを喰らわせ、もう一度蹴り上げようとしたところで――ぐるりと回した首に弾かれ吹き飛ばされる。
「……逃げなさい、彰二。理由はわからないけど、この子はあなたを狙ってるわ」
「逃……い、いや! 全力で逃げさせていただきますッ!?」
「夕陽ちゃんは彰二のフォローよ。私も本気出して、時間ぐらい稼いであげるから」
声のトーンが幾許か落ち、冗談の気を一切感じさせない母の声に彰二は驚き、そして改めて自分は本当に何も出来ないのだと悟る。
母を置いて逃げる――なんと格好の悪いことか。
よろめく身体を回れ右、そしてあらん限りの力で自分の足を前に前にと念じて加速させる。
行き先はこの際何処でもいい。
ただ、そんな自暴自棄な思考とは裏腹に、彰二の足は自然とある方向に向かっていっていた。
遠く視界の中に見慣れた校舎が見えてくる。
彰二が向かったその先は――
新作の準備がすこーし遅れてる感。
今月中には間に合わせたいなぁ……
次回更新は2月17日。
では、待て次回。




