第3章 四ツ足ノ足音 《2》
今日もまた陽が昇り、新たな一日が始まる。
通学路を往く老若男女はそれぞれに一喜一憂しながら、友達と他愛もない雑談を交わしながら、運動がてらにジョギングしながら思い思いの朝を描いていく。そして、遅刻しそうな彰二はガシャガシャと右腕と左腕とを交互に規則正しく動かしながら全力疾走して教室にダイビングした。
「せ、セェエエエエエエエエエッフ!!」
「窓から飛び込んで来てる時点で大いにアウトだボケェ!?」
クラスメイトの笑い声に包まれながら、彰二はそそくさと自分の席へと着く。だが、彰二の頭の中では笑われていることも学校の事なんぞ露ほどにも意識しておらず、朝に見つけたあのメモに思考を完全に支配されてしまっていた。ホームルームから昼休み、放課後に至るまで彰二は授業で怒鳴られようが指名されようがおざなりな反応だけ見せてほとんど記憶に残っていなかった。
「あ、あの……ほ、仄宮君?」
「…………ふなッ?」
何処から出てきたのかも分からない声に、声を掛けた紫苑も声を出した張本人である彰二も思わず驚きしばし二人で見つめ合いながら硬直する。やがて、紫苑は顔を赤く染めてくるりと回れ右。背中を向けっぱなしに震えたような声が聞こえてきた。
「そ、その……どうかしたの? 何か、今日一日浮かない顔してたような気がしたんだけど」
「いや、まぁ……ちょっと色々あって」
その『色々』という二文字の言葉の密度といったらない。
思わず母にぶちまけてしまったあの出来事、そして突然姿を消してしまった件の母。
近所に住むおばさんに聞いても音沙汰なし。目撃情報もなければ「もしかして不倫? ついに愛想尽かされた?」と笑えない冗談が飛び出る始末。今日遅刻しかけたのも、心当たりを探し回っていた所為だ。
「あ、あの……無理とかしちゃダメだよ? ほ、仄宮君は元気な方が……い、いいから」
「……優しい言葉、痛み入ります。朝月紫苑殿」
「どの、って……」
紫苑が苦笑を浮かべても彰二の顔は依然として硬いまま、頭の中では在り得ないだろと切って捨てていた選択肢がぼんやりと浮かんでいた。
ちょっと“タソガレ”にお出かけしてきます。
そんな、ちょっと近所のスーパーに足りない材料を買い出しに行くようなかるーいノリで行けるような場所では決してない。というか、そもそも彰二の話を聞いて何故“お出かけ”しようだなんて思ったのか。皆目見当もつかない母の破天荒な行動に頭を抱える半面、万が一本当に行けてしまった場合の母の安否が気になる。
「……んなわけないよなぁ。考え過ぎだって俺」
「仄宮君?」
「あー……あー! えっ……と、何でもないなんでもない。ただの独り言であるからして」
初めて行った時も何かの偶然、それに任意に行く方法もあのテープを使う以外彰二にも分からないんだし、あの母親が行けっこない。彰二の話を聞いて、それとなく行くフリを見せて彰二を安心させる算段かもしれない。そのうち、ひょっこり帰ってくるだろう。夕陽と同じように。
「……そうだ、夕陽の事も……忘れてた」
「今日の仄宮君、顔がころころ変わるんだね……本当に、大丈夫?」
あれを考えればこれを思い出し、そしてそれを考えればアレが脳裏に浮かび。
ただでさえ日頃使わない脳みそを瞬間的にフル回転させても高が知れていて、程なくして彰二の眉間から灰色の煙がもうもうと立ち込めていく。コツン、とおでこを机に落としてしばしのクールダウン。
「…………朝月さんだったら、さ。なんつーか、考えなきゃいけないことが山積みだったら、どう片付ける?」
「え? 考えなきゃいけないこと? うぅん、そう……だなぁ」
指を唇に当て視線を上向きに紫苑は考える。そんな素振りも可愛らしいのに、彰二はその答えをただじっと待つ。
やがて、紫苑は小さく頷いた。
「うん、自分が今すぐに出来ることから考えるかなぁ。どうしてもダメなら他の人にも手伝ってもらうとか」
「……」
自分が今すぐに出来ることとは何だろうか。
鏡花を探しだすこと、それとも、夕陽を探しだすこと?
“タソガレ”に駆け付けて――それから、どうする?
「そうじゃ、なくて……だな……」
「……あ、あの……そうだよ、気分転換とかどう? この前、映画のチケッ」
その時だった。
ふと、彰二が何となしに視線を廊下に向けた瞬間。その先に古島の高い背中が映り込み、今の今まで失念していたことに気付く。
自分が今すぐに出来る、かどうかはともかくとして、真っ先に行動に移れる事柄。
「古島だ!」
「ひゃッ!? こ、古島君? え、え?」
驚き慌てふためく紫苑を他所に、彰二はいくつか机を飛び越えながら廊下に飛び出す――と、飛び出す直前にくるりと振り返る。
「朝月さん、ありがとう助かったありがとう!」
「へ? あ、どど、どういたし……まして?」
突然目の色が変わったかと思えば感謝の言葉を浴びせられ、紫苑はぽかんと呆けて見送ることしか出来ず教室には何とも言えない沈黙がゆっくりと広がっていく。
「……な、何なんだろうなぁ」
おかしな人、だけど、何かを頑張ろうとしてる?
ぼんやりと浮かんだそんな紫苑の想像は、後ろから聞こえてきた友達の声に消えていった。
※
高身長故に目立つその背中を追い掛け辿りついたのは学校からほど近い場所にある煙草屋の自動販売機。彰二の足音に気付いた古島は振り返り、彰二の記憶にある爽やかな笑顔で手を振った。
「よぅ、仄宮。んな血相変えてどうしたよ」
「ちょっと、聞きたいことが……あってだな」
そして気付く。
何をどう聞くべきなのかを全く考えていなかった。
噂として広まっているイジメのこと、イジメている須川との軋轢、タソガレで見たあの――影のこと。
前者二つにしろ後者にしろどう訊ねるべきか。無言で固まる彰二を見、古島は少々怪訝な色を見せる。
「……? どうした、お前。何か用があって来たんじゃねえのか?」
彰二よりも十センチは上だっただろうか。特に意識しているというわけでもないのに何処となく圧迫感のようなものを感じる。見下ろされているから、だけだろうか。笑ってはいるものの、心の中ではどうなのだろう。知れず疑心暗鬼に陥り、なお無言を貫く彰二に痺れを切らせた古島の声が少々荒くなる。
「おい、黙ってないで何か言ったらどうだよ? ……ケンカ売ってんの?」
「……あのさ」
下手な考え休むに似たり。
彰二は、一切の後先を考えずに思い切って口を開いた。
「なんで、須川イジメてんの?」
「……」
二人の間に風が吹き込み、互いが互いを睨みあって沈黙が流れる。
ピリピリと張りつめる緊張感、彰二は古島の眼をじっと見据えてその返答を待つ。表情は硬いまま、そのまま古島は口だけを機械的に動かし答えた。
「……お前には、関係無いだろ」
「一応、知り合いだからな。それと少し個人的に恩もあるし、っていうかお前らそんなに仲悪くなかったろ。それがどうして」
その時、古島が浮かべた表情に彰二は思わず言葉を止める。踵を返し、大きく見えているはずの背中が一瞬だけ小さく見える。
「……おい、何とか言えって」
「だから、お前には関係ないって。……俺の、問題だから」
「いや、そりゃどういう意味で……!」
それきり古島は彰二を振り返ることなく、鉛の靴でも履いてるかのような重い足取りで去って行ってしまった。長い影がゆらりゆらりと揺れて、やがて見えなくなる。追い掛け……ても、無駄なような気がして自販機にもたれ掛かって息を吐く。
「……怪しいと言えば、怪しいんだけど」
一瞬だけ見せたあの、今にも泣きそうな顔。
イジメている側の人間なら、あんな悲しそうな顔をどうして浮かべられるのだろう。
あけましておめでとうございます。
新年一発目の更新。
誤字とか大丈夫……かな?;
まだまだ至らない者ではありますが、本年もよろしくお願いします。
次回更新は1月13日。
では、待て次回。