第2章 人の世界のオモテとウラ 《9》
放課後のホームルームが終わった直後、彰二は夕陽を引き連れ昨日と同じように壁にあのテープを張り付け“タソガレ”の世界へと向かう。
「思い出した……さっきのヤツが古島だ」
強烈な西日を背に屋上から校内へと入る途中、階段の下から見上げてきていた生徒のことを思い出した。一の言うとおり中学は同じで、よくよく考えてみれば何度か遊んだ覚えもある。別段悪い奴じゃない。ちょっとひょうきんで、若干スケベで高身長活かしてバスケやってて……断片的に記憶を掘り起こしていくと色々と芋づる式に思い出していく。学校の帰りに寄り道してたこと、部活サボってゲーセンに繰り出してたこと、川伝いに自転車で爆走してエロ本探してたこと……やばい、もうほとんど下ネタばっかしか浮かんでこなくなってきた。
「でもそうだ、一の言うとおりで悪人なんかじゃないぞ。むしろ気の良い奴なはず。何かあったのか……?」
何かあったからこそイジメにまで発展している。自分で呟いてから、しかしそれと思い当たる事件の類が一つも浮かんでこないことに気付く。というのも、基本不幸な彰二の覚えている中学時代のことというと明るい話題(あくまで方向性は)ばかりで他の事は一切記憶になかった。
「となると、やっぱこの高校で何かあったはずだよな」
階段を駆け降り、見慣れた二年生のフロアに辿り着くと、そこには黒い人影があちらこちらに点在していた。無論、彰二と同じ二年生。掃除をサボりながら教室で駄弁る生徒もいるし廊下で先生と話をしている生徒もいる。それだけ見れば彰二の世界と何ら変わらないがここは“タソガレ”。普段なら表に出さないような黒い感情を表にしながら平然と過ごしている。やはり、傍から見ると異常だ。
「夕陽、須川と古島を探すぞ。夕陽も須川ってのは分かるよな?」
「えー? なんでー?」
「色々と調べないとだからな。それに、須川もオニになるかもしれないだろ? そうなったら困るじゃねえか」
「こまるー? なにがー?」
こっくり、と愛らしい所作で小首を傾げる夕陽に彰二は呆れかけて――仕方ないのか? とその考えを改める。
今になって考えるべくもなく、夕陽にはモノの善し悪しがわかっていない。
もっと正確に言えば、彰二たちで言うところの一般的な善悪が完全に通じていないのだ。彰二が、彰二の知っている人物が危機に瀕してそれを危惧したとしても、夕陽にとっては何が良いのか悪いのかを考える必要もない。まずそこから教えるべきなのかと腰を落とし視線を合わせたところでふと視界に背の高い影が入った。
「あれ、古島だ……!」
二階廊下を見知らぬ男子生徒と並んで歩いている。恐らくは高校で出来た友人、そして須川をいじめているグループのメンバーだ。後ろ姿なのでハッキリと表情は見えなかったが、隣の二人の横顔から見るに愉快な話題なのだろう。一行はそのまま突き当たりを曲がって姿を消してしまった。
「お、おう! 細かい話は後だ、古島の奴らを追い掛け――? どうした、夕陽?」
すると夕陽は古島達が消えた方向とは違う、完全に明後日の方向を見つめながらふるふると小さな身体を震わせていた。急に具合でも悪くなったのか、と心配したその矢先、ガバッとバンザイポーズが飛び出した。
「鬼だ! 鬼の匂いがする! エージ、私ちょっと行ってくる!」
「ちょ、ちょっと行ってくるってお前……ぁあ!?」
ちょっと部屋の空気でも入れ替えよっかな、みたいな軽いノリに夕陽の純粋な元気とが組み合わさり、ガラガラッ、バシン! とテンポよく二階廊下の窓が開け放たれ黄昏色の涼風が入りこんでくる。二階といえど相当な高さなのだが、夕陽は一切の躊躇なく外に向かってダイビング。くるくると空中で回転させながら綺麗に着地、と同時に凄まじい速度で駈け出し、途中で屋根に飛び移り、また別の屋根へとアクロバティックに繁華街の方へ飛んでいってしまった。
「……仕方ない、俺だけで行こう」
夕陽にとっては単なるお遊びでも、それがきっかけで何処かの誰かを助けている。あまりに気分屋過ぎてランダムなのが玉に瑕だが。追い掛ける前に一応窓を閉め、彰二は古島たちの後を小走りについていく。階段を下り、それから廊下を歩いて、途中で女子生徒と何か雑談をして、それから昇降口の方へと向かっていく。あくまで本人たちの“影”なのだから目の前を横切ったって問題は無いのに、彰二はスニーキングミッションかの如くロッカーに、ゴミ箱にと物陰に身を潜めながら進んでいく。誰も突っ込まないのが嬉しいような寂しいような。一行は昇降口を抜け、正門を抜け、特に何をするでもなくごくごく一般的に帰宅している。途中でどこかに寄り道をしようか、という提案に一人は頷いたが古島だけ首を振って断っている。
「別に普通だよな……」
怪しいと思えばどれも彼処も怪しく見えるが、彰二から見て特別不審だと思う点は無い。道中で困ってるお婆ちゃんを助けてるトコを見る辺り、パッと見たらかなり品行方正なのではなかろうか。とても友人をイジめている張本人とは思えない。人は見掛けによらない、けれど、今彰二の目の前にいる古島はそんな悪辣なイメージなぞ露ほどにも感じられなかった。この“タソガレ”の中にいるのにも拘らず、だ。未だに正面から見てないからそう思うだけだろうか。
思い切って、彰二は古島たちの前に先回りすることにした。無理やり路地と路地の裏に入り込み、猫の形をした黒い塊を飛び越えて街道に出ると、ゆっくりと三人の姿が見えて、
「……あれ? 古島だけいない?」
来なかった。
何故か取り巻きの男子だけが適当に喋りながら歩いてるだけで、肝心の古島の姿が見当たらない。
古島だけ道を変えた? 何のために?
「にしてもさ、俺あの噂は絶対ガセだと思ってるんだけどどうなんかね?」
「さぁなぁ。でも、物好きってのは何処の世界にでもいるんだろ? ドラマみたいにさ」
「おいおいドラマはドラマだろ。フィクションと一緒にするんじゃねえって」
「それを信じちゃってるアイツもアイツなんだけどさ」
「……何の話だ?」
残っていた二人はケラケラと笑いながら、やがて彰二の傍をすり抜けていく。二人の会話から聞きとれた“噂”が何のことか気にはなったが、今はそれよりも古島の行方だ。過ぎた道を戻りながら探して――突如、目の前を爆風が襲った。
「うおっ……ぷ……ッ!? な、え……!? 夕陽!?」
「お、エージだ。わーい、私また勝ったんだよー!」
とぅッ、と小さな掛け声と共に、煙の中から特撮ヒーローが宇宙に帰っていく時のような綺麗なフォームで夕陽が飛び出し彰二の胸の中に収まる。軽い衝撃に一瞬息が詰まったものの、彰二は煙の中に出来上がったクレーターと目を回してダウンする鬼の姿を見て驚いた。
「……またずいぶんと派手にやるなぁお前」
「エージ、こんなとこで何してんの? 暇なら、私とあそぼーよ!」
「それどころじゃないってば。ほら、さっきの背の高いヤツ分かるだろ?」
「むー……」
彰二の太もも辺りに夕陽の尻尾がバシバシ当たる。そこそこ痛い。ご機嫌斜めなのは一目瞭然で、夕陽はぶすーっと唇を尖らせる。だが、やがてぴっと不意に何処かを指差した。
「……あっち。あっちに、そんなのいた」
「本当か? 本当に背の高いヤツか?」
「うーんー」
「よしきた、追い掛けるぞ」
指差した方向はマンションが立ち並ぶ住宅街の方だ。彰二も出前で何度か足を運んでいるし知り合いも住んでいる。探す場所の候補は多いが、とりあえず人の往来が多い所を探そう。彰二が走りだそうとした瞬間、制服が引っ張られて足が止まった。振り返ると、夕陽が裾を引っ張ってこちらを見上げていた。
「……どうした、夕陽?」
「エージ、私のこと嫌い? 嫌いか?」
「ぇ、ぅえ? 何で今そんなことを?」
夕明かりを吸い込んで潤む夕陽の瞳は真剣で、そして驚くほどに美少女で、彰二は突然謎の緊張感に苛まれ胸が跳ねる。背も小さいのに、諸々未成長なのに、まっすぐな夕陽の眼差しには言いようのない迫力が込められていた。蛇に睨まれた蛙、というと例えがかなり悪いが状況としては同じ。
見つめられて、逃げられない。
圧倒的に年下の女の子相手にドギマギする自分に訪れた何とも言えない背徳感のようなものを振り払って、彰二はあくまで正直に、片膝をついて目線を合わせてから夕陽に答えた。
「……嫌いなわけないだろ? 夕陽は俺の命の恩人なんだから、嫌いになるわけないって」
「本当? 本当か? 本当に、夕陽のこと嫌いじゃないんだな?」
その言葉一つで、不機嫌だった夕陽は喜色満面。
桜が花開くその瞬間のように、小さな頬をふわりと紅色に染め、潤んだ瞳はキラキラと光彩を放つ。
……チョロい。
一瞬でもそう思った自分の心の黒さに、小さじ一杯ぶんほどの罪悪感。
彰二は立ち上がり、いざ進まんと右足を浮かせて――
「じゃ、古島を追い掛け」
「じゃあじゃあ、夕陽と一緒に遊ぼ! 遊ぼ! あっちに公園ある! 行こ行こ!」
「なっちょ、どうしてそうな――あッ、引っ張るなって、だから、これから古島を追い掛けにぬわあああああああ!?」
その気ほとんど無しの彰二の言葉にスーパーハイテンションになってしまった夕陽の力はまるで力士の如し。その小さい身体の何処から出てくるのか全く不明の超強力な馬力からは逃れることは出来ず、彰二は駄々をこねられた挙句、逆に子供にずるずる引っ張られていくオカンの気分を無理やり味わう羽目となった。
二章だけでダラダラ書き過ぎでは……と危ぶみつつ更新。
実際かなりだらだら書いててどうしたもんかなと。
次回更新は12月23日。
では、待て次回。
……あ、新作は来年の2月辺り公開予定です。