第2章 人の世界のオモテとウラ 《8》
ヒリヒリする頭を回転させながら、彰二は授業の片隅で自分に出来ることが何かと考えていた。
現状において彰二が出来そうなことと言えば一つだけ。
それはこちらの世界で起こった問題に目を向けること。何か悩みや問題を抱えている人がいた場合、“タソガレ”の中でその人物の影から“迫鬼”が出現してしまう可能性が生じる。もしもこちらの世界だけで片が付くのであれば向こうの世界で問題が起きることは無い。……まぁ、それが完璧に出来れば言う事無しだが。
「……限度があるっての」
彰二の手の届く範囲といえばせいぜいこの学校の生徒か先生、もしくは近隣に住んでいる人々までだ。学校内でなら彰二が多少声を掛けても特にどうという事は無いのだが、学校外ともなると九分九厘不審な印象を与えるに違いない。カウンセラーの先生だって自分から渦中に飛び込むことは無く、基本的には自分の病院でむしろ待ち受けるのが常。事情が事情とはいえど、やはりこちらからアプローチを掛けるのには相応に無理がある。彰二はドラゴンを倒す勇者でもなければ英雄でもない。ただの一般的な高校二年生だ。家に無断で押しかけ幼女に声を掛けたりタンスを開けようものなら通報必至。人生のゲームオーバーだ。
「んじゃこの英文をだな……仄宮、ちょっと読んでみろ」
「ちょっと読めないです」
「ここ中学レベルの例文なのに!?」
教師の声は彰二の耳を右から左に、時に逆方向に流れを変えながら昼休みを迎えた。昼食はタッパーに詰め込んだ昨日の残りモノ炒飯。それと夕陽用に追加で買ったコンビニおにぎり(こんぶ)。夕陽と一緒に適当な場所を求めてぶらぶらしてる途中、夕陽が須川と会ったという話を思い出して彰二は屋上で昼食をとることにした。重い扉を開け放った先は無人のコンクリート。空は今にも雨粒を吐きだしそうなほど重たそうに圧し掛かる曇天。風は強い。寒い。そりゃみんな部屋で飯を食うよなと納得してから扉を閉めた。
「……ここで須川は何してたんだ?」
「えーっと、何も? あのアミの向こうで、ぼーっと?」
……ドンピシャじゃねえか。
残り物の所為で味の濃い炒飯をかき込みながら彰二は溜息をついた。時々、夕陽の頬にくっついたご飯粒を取ってやりながら昨日の話を改めて聞いてみる。
「夕陽は、虎千代センセが消えてから学校に戻ってたのか? 何でまた学校に?」
「なんで……なんで? うーん、何となく?」
単に気の向くまま走った結果、それともカゲガミの本能に触発されて学校に辿り着いただけ、だろうか。いずれにせよ夕陽は“タソガレ”から戻ってから一度学校の屋上に立ち寄り、あの須川と出会ったということになる。自殺……の真意はともかく、須川を思い止まらせたのは所謂僥倖とういうヤツではないだろうか。
「でも、そんだけ追い込まれてりゃあっちで変化というか、予兆? 的な物が見えてたっておかしくないのにな。……って、あん時は虎千代センセの事で一杯になってたわけだけど」
その虎千代も普段と変わりない様子を見せていて、昨日のような暗い雰囲気は何処かに捨ててしまったかのようだった。“タソガレ”で消えてしまった時はどうなることかと思ったが杞憂で終わってくれた。このことについては鏡子や霖に聞いたほうが良いかもしれない。
結論、今ここでジタバタしても何の意味が無いという事か。
「“タソガレ”に行く方が早いかもなぁ」
“タソガレ”の影は嘘を吐かない。それどころか、その人が抱いている真っ黒い感情をそのまま表に全開にして闊歩している。他人の心情を覗き見るのは何とも心苦しいが、今のところ彰二に出来る行動としては最もベターだと言える。空になったタッパーやおにぎりのフィルムやら何やらを片付けて階段を降りようとした時、ふと視線を感じ一つ下の踊り場に首を動かした。
「……アイツ?」
彰二と目が合うなり、彼はそのまま無言で階段を駆け下りていってしまった。彰二がただの偶然、と思わなかったのは見覚えがあったことと夕陽の言葉の所為だった。
「あれー? あの人、前の?」
「だな。……なんでこっち見てたんだ?」
名前まで出てこなかったが、少なくとも須川をイジめていたグループのうちの一人だということは思い出した。
※
隣のクラスと合同で行う体育の授業。男子がサッカー、女子がソフトボールとに分かれて各自でそれぞれが競技に集中してる最中、ベンチで暇を持て余していた彰二は悪友の姿を見つけると肩を突っついた。
「おぁ、どうした彰二? ただでさえパッとしない顔がサクサクパ○ダみてぇになってんぞ」
「てめぇがご自慢の雷獣シュートを俺に叩き込んだせいだろうがッ!?」
「いやー、ロングパスしようと思ったら何故か味方ゴールに飛んで行っちまったもんでなぁ。ハハハ」
数日前に放課後の清掃を彰二に押しかけた張本人――都村一は一切悪びれる様子も無しに隣に腰掛けスポーツドリンクなんぞを爽やかに一口付ける。
「わりぃわりぃって。今度はちゃんと顔じゃないトコ当たるように調整すっから」
「わざとかよ!? お前わざと俺狙ったってのかよ!?」
「ジョーダンに決まってんだろ~?」
通りすがった女子がベンチに座る一を見てほんのり赤く染まった笑みと少々の黄色い声を残して第二グラウンドの方へと向かっていく。成績は中の上といったところだがその見た目は群を抜いている。所謂イケメン、街を歩いていてスカウトが来たこともある。しかも彰二の目の前で。無論、彰二には一切お声が掛からなかったのに。
若干住む世界が違うような気もしないでもないが、彰二も一もお互いに小学校時代からの付き合いである。家もご近所同士だし彰二のお店にも親子揃って来店することだってある。こういった幼馴染というのは何だかんだでご縁があるのだ。
「……で、どうしたよ。何の用もなくお前が声掛けるわけないもんな。前の合コンのことでも根に持ってるか?」
「いや、全然関係ないんだけどよ」
「んじゃあのネコちゃんか? 悪いけど、俺の家マンションだし飼えないって」
「やー、そうじゃなくてさ。ほら、なんだ。須川ってヤツいるじゃん」
「あぁ……アレか。アレがどうかしたか?」
「アレってなお前」
一の顔には完全にどうでもいいだろという態度が話す素振りからにじみ出ている。関わり合いになりたくない、もしくはめんどくさい、そういった色合いの表情だ。
「いやさ、何でアイツがイジメられてんだって思ってさ。お前そういうのも含め顔が広いだろ? 何か知ってんのかなぁって思って」
「さぁねー。イジメするヤツの気持ちはまぁわからんでもないけどよ、その原因とか当人のことなんて興味無いって。ってか、お前の口からその名前が出てきて俺はビックリしてるけどな。なんだ、巻き込まれでもしたか?」
「違う違う。ウチの猫がどうもお世話になったらしくてな。今朝方に少し話をしたんだよ」
「ふぅん? それで、お前は助けたいとでも思ったか?」
「うぅーん……」
間接的にそうなるかもしれないが、今の彰二の心境と言えばどちらでもない。ただどうしてそうなってしまったのかが気になっているだけだ。半分ほど減ったペットボトルをベンチに転がし、一は何処ぞの飲料メーカーのロゴの部分にぎしりと背中を預け適当な方向を見上げる。
「そういうの悪いことじゃないんだろうけど良いことでもないんじゃね? 百害あって一利無し。お前だってそれぐらい分かるだろ? ほっとけほっとけ」
「そりゃそうなんだけどさ。って、んなマジになって考えてないってば。何となく気になっただけだって」
「……でも、そう言えば変だな。アイツらって最初っから仲悪かったっけか? お前も一緒の中学だったんだし覚えてねえのか? 一人、背の高いヤツいるだろ。アレ須川のダチだぞ」
「背の高いヤツ? 居たっけ?」
「古島ってヤツ。別にそういう悪人って風でもないんだけど……人は見た目に何とやらか? 俺らと遊んでた時もそんなことするようなヤツだなんてこれっぽっちも思わなかったけどなぁ」
「……」
須川と、古島か。
彰二はその二人の名前を頭に叩き込んでから、グラウンドに戻っていく悪友の背中を追い掛けた。
1年ぐらいほったらかしの髪を切って二度三度「誰だお前は」と言われた一日でした。
うーん、そろそろ次のお話のことを話したい、話したいけどあんまし固まってない……
とりあえずヒロインが吸血鬼、そんな感じです。
次回更新は12月16日。
では、待て次回。