第2章 人の世界のオモテとウラ 《6》
霖と話をして、それからしばらく公民館で待っていたものの夕陽は帰って来なかった。
タソガレと違い、ちゃんと西に沈んでいく夕焼けを身に浴びながら帰宅すると、暖簾の奥に明かりがついていた。
「ただいまーっと」
「はいはい、おかえりなさーい」
裏口に回って顔を覗かせてみると、エプロン姿の鏡花がせっせと調理している姿が見える。駆け足気味に自室へ戻り、着替えてから彰二も青いチェック柄のエプロンを身に付け手洗いを済ませる。
「今日は何手伝えばいい?」
「じゃあじゃあ、悪いんだけど先に炒飯作ってもらえる? それで少ししたら佐々木さんのトコに出前をお願いしたいんだけど」
「ん、りょーかい」
思えば包丁を初めて手にしたのは小学四年の時だったか。
最初は材料をぶつ切りにする程度で精々だった彰二の包丁さばきも成長し、歳を経るにつれて他の調理器具の使い方も身に付け、今ではいくつかのメニューを担当するにまでに達していた。手際良く材料を刻み、俗に中華鍋と呼ばれている丸い鍋に具材を放り込み転がすようにして片手でスナップを利かせていく。強火でほんの数分も炒めていればキラキラと光沢を放つ炒飯の出来上がり。味の評判はそこそこだ。
「はーい、牛すじプリンラーメンふたつねー」
「……」
なお、その横で繰り広げられている超次元キッチンには極力目を向けないようにする。見たら鍋の中で溶けてうごめくプリンと牛すじと向き合わなくてはならなくなる。つーか誰が頼んだんだ誰が。
気を取り直し、彰二は注文された炒飯をカウンター席に持っていくと、そこで思い掛けない人物と出くわした。
「よっ、仄宮」
「おわッ、虎千代センセ!? 今日は抜き打ちの家庭訪問の日っすか!?」
「違うって。ただ普通に飯を食いに来ただけだよ。教え子の飯が食える唯一の店だしな」
「あらあらまぁまぁ鬼塚先生。いらっしゃいませこんばんは~」
親と教師とのやり取りに挟まれながら、彰二は内心で驚き、そして若干の気まずさを抱いていた。担任の来店もそうだが、何より彰二は校長と虎千代と話しているのを見てしまったし、河川敷で落ち込むあの姿も見てしまった。でもそれはあくまで“タソガレ”側の話で当人は見られていたり聞かれていたことに気付いていない。個人のプライベートに土足で突っ込んでしまったかのような罪悪感が胸の内から引っ掻いているような気がして居心地が悪い。
「ん? どうした、人の顔なんかジロジロ見て」
「えっ、いやー……その、何でもないっす」
「あらまぁ、もしかしてえーちゃんの好みのタイプって鬼塚先生なの?」
「いやぁ悪ぃなー仄宮。私は年下に興味は無いんだよ」
「ガッカリしちゃダメよえーちゃん。どんな時だって、私がいるじゃない」
「はは、良い母親を持ったな仄宮」
その笑顔の向こう側の意図を知らないから虎千代は軽く笑っていられるが、その言葉が嘘でも誇張でもなく真剣なので彰二は乾いた笑いしか浮かばない。
それからほんの少しばかり手が空いたので彰二は虎千代の隣に腰掛け、特に何か声を掛けるでもなく瓶のコーラの栓を開けて一口付けた。鼻をついたチョコレートっぽい臭いはとりあえず無視しておく。
「いいかぁ仄宮。ご両親ってのは甘えられるうちに甘えて、孝行出来るうちにしっかり孝行しとけよ? 私みたいに両方居なくなってからじゃ何も出来ないからな」
「うっす。俺も親父に出来ない分は孝行してるつもりっすよ」
「っと……悪い」
「いいっすよ別に」
甘ったるい刺激のコーラを飲んでいるのに彰二の顔が一瞬だけ苦くなる。
彰二の父親――影次は彰二が中学校に進学する直前に他界している。
原因は交通事故。
彰二が道端で人にぶつかって道路に飛び出してしまった時、影次が引っ張り上げ身代わりになるような形でトラックに撥ねられた。重傷を負った父親に、彰二は毎日病室で大泣きを続けていたが、父親の言葉は最期の最期まで「気にするな」の一点張りだった。幼少期から確かに不幸まみれの人生だったが、その日から彰二は自身に降り掛かる不幸に関しては決して涙を流さないよう極力気にしないよう無理に笑って過ごしていた。気が付けば、今のポジティブな自分が出来上がっていた。
「仄宮? どうした?」
不意に彰二の表情が暗くなった所為か虎千代が顔を覗きこんでくる。あまり化粧っ気のない肌だが艶やかで、キリッとした頑なな眼差しは頼りがいのあるオトナの女性そのもの。未だに嫁の貰い手がいないことが不思議なくらいだ。
「えーっと、すんません。ちょっと別のこと考えてました」
「……夕陽ちゃんのことか? そういえば姿が見えないけど」
店の中を見回しても見つからないのは当然。そもそも夕陽は“タソガレ”から帰ってきていないのだ。何処か残念そうに眉を寄せる虎千代だが、彰二だって居場所が分かるのなら教えてほしいと思っている。だが、今はその姿が見えないことに何となく安堵している自分もあった。
「そういえば虎千代センセ、変なこと聞いてもいいっすか?」
「んー? まぁ次のテストの範囲とかスリーサイズとかじゃなければ別にいいけど?」
「カミサマってのは、こう……人を助けてくれるってモノじゃないんすかね?」
「…………お、おう? いきなりどうした仄宮? 変な宗教に勧誘でもされたか?」
落としかけたレンゲを掴み直し、虎千代は本気で心配した表情を浮かべる。当の彰二はと言えば、何処というわけでもなく適当な方向を見つめていた。
虎千代は真剣に唸り、一度お冷に口を付けてから彰二の問いに、真剣に自分の意見を述べた。
「……私も無神論者ってほど徹底してるわけじゃないけど、カミサマってのは、居るには居るんだろうけど世界中の人間全部を見てたりする暇はないんじゃないか? それにほら、八百万……だっけか? それぐらいの種類が存在してるって話らしいし、何も人を助けてくれるってカミサマばっかりじゃないだろ。それこそ……その逆とか? も居るんじゃないの? ……というか、何この話?」
「いや、なんとなーく気になったもんで……特に深い意味は無いっすよ」
「本当かよ……? 何か嫌なことでもあったか? 辛いこととか、何かあればいつでも私に相談しろよ?」
「強いて言えば、未だに彼女が出来ないことが悩みっすかね」
「諦めろ」
「……にべも無さ過ぎて酷いっす」
「冗談だよ」と虎千代に豪快に笑われてから彰二は小さく溜息し、そして何となしに店の入り口の方に視線を泳がせた。擦りガラスの向こう側はぼんやりとした闇が広がっているばかり。そのうちになればガラガラとにぎやかな音を立てて夕陽が帰ってくる。そんな風に考えながら、彰二は席を外して厨房に戻る。
結局、夕陽は帰ってこなかった。
ようやっと風邪が治ったかなぁという具合。
まだちょっと喉痛かったり咳出たりしますけど……
新作、相も変わらず悩みまくり。
来年には公開出来るよう頑張っちょります。
次回更新は12月2日。
では、待て次回。