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8.Dr.ファン

8.Dr.ファン


 五人で揃って校長室にいるという事態に、纏は一層緊張していた。大した後遺症はなかったため火事の翌日であっても登校できたのだが、背中の火傷跡の手当てのせいで背筋を伸ばしたり丸めたりできないのは思いの他動きづらく、彼女の居心地の悪さを更に強めた。歩きにくいために病院から借りた松葉杖に体重を乗せているのだが、彼女にとっては慣れない道具であり、そのため彼女の体は時折ぐらついていた。

「あいちゃん、大丈夫?」

 纏のすぐ隣で、清原が気遣うように声をかける。反対側では衙門が、いつでも纏を支えられるように彼女と松葉杖とに意識を集中させていた。外側にいる住良木と御深山も、纏を心配して落ち着かなさそうにしている。

「……ここに呼ばれた理由は分かるかね?」

 校長が五人を見ながら、静かに尋ねた。五人は居住まいを正し、改めて校長と向き合う。特に纏は、彼の言葉が他ならぬ自分に向けられていたのだと思い特に緊張していた。

「す、すみませんでした!」

 纏の言葉に四人と、校長の視線が集まる。問いかけるような視線に、纏は更に続けた。

「その、部長なのに危険な場所に飛び込んで、結局何もできずに皆に心配かけちゃって……、ごめんなさい!」

 もし纏が背筋を曲げられたら深く頭を下げていただろうが、今の彼女には首を下げる事しかできなかった。纏が返事を待つが、誰も何も言わず時間だけが流れる。纏にとってはどんな責め苦にも勝る静寂だったが、これを住良木が破った。

「……いや、部長を止めなかったのは、私達の責任だ。正直な所、我々には部長を見くびっていたところがある。謝るのはこちらだ」

「ほうよ、ごめんね。あいちゃんは悪うないけん、気にせんでええんよ」

 清原が労わるように言い、御深山と衙門とが校長に詰め寄る。

「じゃけん校長、罰があるんなら俺等が受けるき、部長は勘弁してくれんかや?」

「俺からも頼む。元はと言えば、全部俺等が原因なんだ」

 口々に纏を弁護し始める四人。纏はそんな彼等の様子に面食らう反面、彼等が必死になって自分に味方しようとしてくれているのに少なからず感動を覚えた。

「……。あー、そのだねぇ」

 校長が口を開き、五人全員が押し黙る。緊張の面持ちになる彼等に、校長は静かにこう言った。

「君達何か勘違いしてないかい?」

 五人全員がその言葉にえ、と声を上げる。彼は更に続けた。

「君達はレスキューメイトだ。この空坂のヒーローとして、求められる仕事をこなしてくれた事をねぎらおうと思っただけだよ。半年ぶりにまともに動いてくれたしね。ペナルティが欲しいのなら、与えてもいいけど?」

 こう言われ、住良木以外の四人が激しく首を横に振った。住良木だけは普段の調子を取り戻し、つまらなそうにふう、と鼻でため息をついていた。

「校長」

「何だね?」

「確かに私達は、彼女のおかげで再びレスキューメイトとして活動する事ができました。もしや、最初からこれが目的で彼女を部長に勧めたのですか?」

「それは君達の解釈次第さ。本当に事情があって厄介払いをしたのかも知れないよ?」

 心外そうな纏の視線を受け流し、校長は愉快そうにふふふ、と笑った。

「ともあれ、そこの相原纏君こそが君達四人を引っ張ったのは事実だ。レスキューメイトも利他部も、当分はこの五人で頑張ってもらうからね」

 異を唱える者はいなかった。纏以外の全員が背筋を伸ばし、校長に軽く頭を下げた。

「相原君」

 校長に呼ばれた纏が表情をこわばらせる。そんな彼女に、校長は微笑みを浮かべた。

「君には感謝しきれない。よくやってくれたね」

 纏は面映ゆくなって、返答に困った。

「ただ、次からは気を付けてくれたまえ。我が校の生徒が怪我をするのは、私としても身に詰まされるからね」

纏はこれに背筋を伸ばし「はい」と答えようとした。しかしすぐに火傷が痛み、彼女は小さく声を上げて痛む背中をさすった。そんな彼女に、校長と利他部の四人は微笑ましいものを見る目を向けていた。

「これからも彼等を頼むよ、利他部部長」

 纏は気恥ずかしさと面映ゆさから、笑顔で校長に頷いてみせた。


 その日も、柿原真宵の寝顔は変わらなかった。薄く開いた窓からわずかに風が流れ、白いカーテンを控えめになびかせる。彼女の顔に落ちる薄い影もまた、カーテンの動きに合わせて波打っていた。そのためか様子を見に来た女性の看護師には、時折彼女が表情を変えているようにも見えた。

「柿原さん、具合はどうですかー?」

 半年の間こう呼んで変化が起こった事などなかったが、それでももはや恒例のように呼びかけながら彼女の身の回りを整え始めた。ベッドサイドモニタにも変化はなく、点滴を整えようと看護師が真宵から目を離したその時、真宵の顔に落ちる影の形が変わった。

「あら、風が強いのね。閉めないと」

 そう言いながら、彼女が窓を閉めようと振り返った時、彼女は眠っている患者の表情が変わっている事に気付いた。

「あ、笑ってる。……笑ってる?」

 看護師が自分の見たものに驚くと、ベッドサイドモニタに表示された心電図がわずかに変化を見せた。快復の兆しを意味するこの変化に、看護師が跳び上がる。

「ちょ、先生、先生呼ばないと!」

 ぱたぱたとその場を後にする看護師。その後ろで、柿原はなおも目を閉じたまま微笑みを浮かべていた。静かに眠る彼女の顔に、控えめにはためくカーテンが薄い影を投げかける。

 ふと、濃い影が彼女の顔に落ちた。影の主はカーテンの向こう側、開け放された窓の外で彼女を見下ろしていた。

 その姿を見る者がいたら、誰だろうが我が目を疑うであろう。歳の頃は二十代後半、染めた銀髪と地毛の黒髪とがシマウマのような模様を描いており、化粧をした顔に真っ赤な白衣という、まるでビジュアル系バンドのメンバーのような出で立ちなのだ。

その男は長い睫を揺らし、柿原を見る目を細めた。

「半年ぶり、だな」

 真宵に向けたその声は、好ましいものに向けるものだった。

「レスキューメイトが復活したよ。君の抜けた穴が埋まって、腑抜けた奴等に活が入った。私もやっと、楽しい事が出来そうだ。……出来ることなら、また君と遊びたかったがね」

 そう言う男の声は寂しげで、その視線は昔を懐かしむように宙を浮いた。男はやおら、芝居がかった仕草で柿原に手を伸ばす。続く声は大きく、そしてまくしたてるものだった。

「ああ心配いらん!復活しようが、誰だろうが所詮繋ぎ!君の率いるレスキューメイトが一番強く、そして楽しい!君が目覚めた暁には、この空坂にドえらい事態を約束しよう!慌てる君を私は見下ろし、そしてあざ笑う!君の相手をするその時を、楽しく、愉快に待ちわびよう!ハァーッハッハッハ!」

 高笑いを上げる男の体が、胴に括りつけらた高所作業用の安全帯から伸びたワイヤーでゆっくりと、またゆっくりと上へ登り始めた。風と引き上げとで、男の体が左右に振れる。

「ちょ、揺れる揺れる、ホント怖い!イゴロクおねがい、もっとゆっくり!」

 小声で上に向かって何やら言う男の姿は、やがて窓際から完全に消え去った。入れ替わるように病室に入った医者と看護師とが、足を止め首を捻る。

「……?今誰かいた?」

「え、さあ……?というか、ここ五階ですよね?」


 校長室での件の翌日、五人の囲んでいる利他部部室の共有テーブルには、様々な菓子が広げられていた。清原の戸棚から出された瓦せんべいや栗羊羹、御深山が買ってきたワンホールのショートケーキ、衙門の調達したポテトチップやコーラ、住良木が溜めこんでいたカード付きのウエハースチョコ……。纏には並べられた菓子の意味が分からず、椅子に座ったまま目を机上に泳がせるばかりだった。

「今日はあいちゃんのお祝いよ。新歓もしとらんかったけんねぇ」

 彼女の隣に座っていた清原が、纏の動揺を悟って教える。嬉しそうな清原の隣で、御深山が自分の用意したケーキを誇るようにフフンと鼻を鳴らした。その態度を隣に座っていた衙門が呆れた顔で見、衙門と纏との間に座っていた住良木が、清原に同意するように纏へと頷いた。

「安心しろ、賞味期限内だ」

「言わんでええがねそんな事」

 清原が呆れたように言いながら湯呑にほうじ茶を注ぎ、湯気の昇るそれを纏の前に差し出した。

やがて人数分注がれた湯呑が全員に渡った頃、住良木が口を開いた。

「部長のおかげで、我々は目が覚めた。これからは十代目レスキューメイトとして、先代部長の分まで空坂の平和の為に尽力したいと思う。まずは新たな部長の就任を祝って……」

 軽く湯呑を持ち上げ、ぽつりと一言。

「乾杯」

 全員が、湯呑を持ち上げ少しだけ傾けた。一斉に湯呑に口を付け、真っ先に御深山があちち、と湯呑から口を離し、その後すぐに衙門が茶の渋さに顔をしかめて湯呑を置いた。残る三人は動じた様子もなく湯呑を傾けて喉を温め、ふう、と息を付いて湯呑を置いた。

「あいちゃん、火傷はまだ痛むん?」

「ええ、ちょっと。でも、もう松葉杖がいらないくらいです」

 纏は両腕を曲げて拳を上げてみせ、自分の体調が良いのを清原に示した。清原はそんな彼女に頬を緩め、そう、と零した。

落ち着いた纏は、ふと気になった事を住良木に尋ねた。

「あの、住良木先輩」

「うむ、何だ?」

「レスキューメイトとしての活動予定って、決まってるんですか?」

 その疑問に、住良木はうむ、と視線を左上に投げながら答える。

「部長はレスキューメイトのファースト、つまり01の装備を使う事になる。これはリーダーの番号だ」

 この時点で纏は嫌な予感を感じたが、それでも頷いた。

「はい」

「レスキューメイトが空坂のヒーローなのは分かるな?」

「……はい」

「つまり、ノリと勢いでヒロイックに動けばいい。我々はそれに続く」

 これ以上なく簡潔で取っ掛かりの無い答えに、纏は返す言葉がなかった。住良木に聞いたのが間違いだと思い、清原を見る。清原はすぐに纏の心情を察した。

「ええとねぇ、悪い人を捕まえたり、やっつければええんよ。正体はもちろん秘密やけん、人に見つからんよう気を付けて着身してね」

「は、はい……」

「秘密にする理由は分かるな?」

 住良木の口から出た問いかけに、纏は渋い顔をした。

「お、お約束だからですか?」

「それもある。が、もっと大事な理由だ」

 え、と纏が思わず声を上げると、茶を冷まそうと熱心に息を吹きかけていた御深山と、茶の渋さを忘れようと熱心に栗羊羹を食んでいた衙門とが同時に顔を上げた。

「顔出しで名前も広めちょけば、俺ももうちょいモテるんやろうがにゃあ」

「名誉は賄賂を呼ぶんだよ。そんなモンを欲しがるたあ、やっぱこいつは功夫がねぇ」

「あ?」

「お?」

「はいはい、喧嘩せられん」

 間近で睨み合い始めた二人を、清原が慣れた調子でなだめ始める。纏はそんな三人の様子を見ながら、住良木の問いかけの答えを理解し、あー、と気の抜けた声をもらした。

「しがらみが増えるんですね」

「そう言う事だ」

 纏はしきりに感心し、小刻みに首を揺らした。

「……でも、正義の味方だからって、悪い人と関わるなんてそう滅多にありませんよね」

 纏はハハ、と軽く笑ったが、四人が一斉に声を失って自分を見たのに気付き、大いに戸惑った。

「……え、あれ、え?ど、どうしたんですか?」

 うろたえる纏に、衙門が呆れたようにこう言った。

「……いや、いっぱいいんぞ?」

「え?」

「悪い人はあいちゃんが思っとるよりおるんよ」

 衙門と清原の言葉に、纏は目をぱちくりさせた。纏の知る限り、この二人が冗談を言う事はほとんどない。清原と衙門とを見る纏の横で、住良木はいつにも増して当たり前の事をわざわざ言うような口ぶりで説明した。

「仮にも十年の歴史がある部だ。散発的な犯罪や偶発的な事故への対応も一度や二度ではない。レスキューメイトを付け狙う敵もいる」

「まあ大半はつまんねー奴等ばっかりやき、先輩方のアドバンスド・クラフトで対処できるがや。問題は、レスキューメイトを目の仇にしちゅう奴がおる事なが」

 御深山が頬杖をつき、疲れたようにため息をついた。それに住良木がうむ、と頷く。

「今後の我々にとって、目下一番の問題は……アレだな」

「アレやね」

 清原が住良木に同意するのを見て、纏は二人の言うアレが気になり尋ねた。

「アレ、って何の事ですか?」

「ああ、先程言った、レスキューメイトの敵だ。一番息が長く、そして……」

 住良木がそこまで言ったその時、部室のモニタに電源が入り、画面の中に校長が現れた。

『皆、Dr.ファンだ!』

 不意に現れた彼の大きな声に、纏は思わずすくみ上り、そして、机の上に並んだものを見られた事に気付いて大いに慌てた。

「あ、あわわ、校長先生その、これは……」

『ああまあ、今回は許そう。あらかじめ三年の二人から聞いてるしね。それより、中央公園に彼が現れた。急いで全員で向かってくれたまえ。これが今の現場だ』

 校長がそう言うと、モニタの画面が切り替わった。映し出されたのは五人にとっては何度も掃除に行った場所、空坂の中央公園だ。ただ今のそこは彼等の知っている状態とは大きな違いがあった。

 祭りやイベントがあれば出店が軒を連ねる広場を囲むのは、桜の木々だった。それ等全てが今、緑色の茎と大きな葉を持つ別の植物になっていた。纏は植物に詳しくなかったが、それでもそれが何かは一目で容易に知れた。なぜならその植物のいたるところに、見覚えのある赤い実が実っていたからだ。五人の知る中央公園の景観を大きく変えたその植物は……

「……トマト?」

『そう、トマトだ』

 校長の肯定する声が、モニタのスピーカーから上がった。

「……桜の木くらい大きいんですが」

『品種改良だろう。今朝からこんな有様だそうだ。こんな真似をするのは、あの男以外あり得ない。君達には、何としても彼を探しだし、桜を取り返してもらいたい。相原くん、君のファーストとしての初陣だ。くれぐれも怪我のないようにね』

 校長がそこまで言うと、モニタの電源は自動的に消えた。訪れた静寂に、纏はちらりと清原を見る。清原は視線に気付き、纏の無言の問いかけに頷いた。

「……うん、さっき言うとった人の仕業よ」

「Dr.ファン。我々レスキューメイトの敵の中で最も息が長く、そして……、一番目立つ男だ」

 住良木は校長に遮られていた言葉の続きを言って、眼鏡を指で押し上げた。

「部長、出動しよう。装備を持って、中央公園に向かうんだ」

「あ、そっか。で、でもあそこに行っても、その、ドクターファンって人はいないんじゃ……」

「いーや、来るき。賭けてもええぞ」

 自信を持って言う御深山に、纏は首を傾げる。

「何でですか?」

「それがあいつのやり口だ。部長も一回会っときゃ、嫌でも分かるようになる」

 衙門の発言に、住良木と清原が黙って頷いた。纏には何が何だか分からなかったが、自分たちが中央公園に行けば事態が進むのだけは確かだと察し、よいしょと腰を上げた。

「ええと、とにかく行きましょうか。ロッカーの奥のものを持っていくんですね」

「そうだ、それと部長」

 ロッカーへ向かいかけた纏の足が、住良木の言葉に止まる。

「?」

「部長は今からリーダーだ」

「?……はい」

「リーダーならこういう時、どうする?」

「……はい?」

 相も変わらずつまらなそうな口ぶりだっだが、纏には何かを期待するような響きがあるのが分かった。ただ、彼女にはその求められるものが分からなかった。他の三人を見れば、彼等もまた黙って何かを待っている。首を捻る纏に、清原が申し訳なさそうに言った。

「いや、あんね?黙って行くのにちょっと慣れてないっていうか……」

「しまらんが」

「すまん、頼む」

 御深山と衙門にまで何かを求められているのが纏には分かったが、かといって何をすればいいのかは今なお分からなかった。戸惑う彼女に、住良木がそっと耳打ちする。

「前部長はノリの良い人だった」

 そう言われて、纏はようやくピンときた。

「ああ!あ、え?えーっと……」

 纏はそれらしいセリフを必死で考え、その結果、ピンときたものを思わずそのまま直で口にした。

「しゅ、出撃!」

「「「「了解!」」」」

 四人がすっくと同時に立ち上がった。それがあまりにも様になっていて、纏は恥ずかしさでしばらく動けなくなった。住良木以外の三人もまた、静かに顔を赤らめた。


 アタッシュケースを自転車のかごに乗せた纏達は中央公園に近づくにつれ、異質な匂いを嗅ぎ取れるようになってきた。青臭いが不快ではない、鼻の粘膜に馴染むような、植物の匂いだ。甘い香りなどとは言えず、どこか棘を感じさせるその匂いの中を五人は進み、公園のはずれにある駐輪場に自転車を止めた。公園の様子を一望できるそこから、纏は部室で見た光景がそのままそこにあるのを見る事が出来た。出来の悪い絵本のような景色の中に、人けはまるでない。

「いざ来てみると、もう何も言えませんね」

「おとぎの国に興味はないのか?」

 住良木に尋ねられた纏は、静かに首を横に振った。

「私の求めるメルヘンとはちょっと違います」

 纏は鼻をすんすん言わせながら、手近な位置にあったトマトの苗の葉を嗅いだ。ここに来るまでに嗅ぎ続けていた匂いと同じだと分かる。

「これトマトの苗の匂いですね」

「うむ、非常に青臭い」

「俺こういう匂い苦手ながやけど」

 御深山が鼻をつまみながら渋面を作り、辺りに目を向ける。あちこちに植えられたトマトの茎や葉はどれも産毛に覆われており、それが陽光によってちらちらと光を弾いている。石畳の広場でなければトマト畑にしか見えない光景である。

「あの野郎はどこだ?」

 衙門が植え込みに並んだトマトをかき分け中央公園を覗く。清原はというと、すぐ近くで実っていた赤い実に触れ、その出来栄えにほぉ、と感心していた。

「ようできとるねぇ。一個もらえんかろか」

「やめとけ、何が入ってるか分かんねーぞ」

 衙門が清原にそう忠告した時だった。

「失敬な、無農薬だ!」

 拡声器越しの、騒々しいキンキン声だった。纏以外の四人が慣れた様子で顔を上げ、纏は驚きすくみ上がって辺りを見回した。

「あいちゃん、あれ」

 清原に指差された方向を見やり、纏は気付く。

 中央公園の街灯の一つ、アンティーク型のものの屋根の上に、人がいた。そこに立つ人物の出で立ちは非常に奇妙なものだった。

歳の頃は二十代後半、染めた銀と黒の髪とがシマウマのような模様を描いており、化粧をした顔に白衣を赤く染めたもの纏っている。手にした安っぽい拡声器が、彼の出で立ちの異質さを一層引き立てていた。

纏は今まで見たこともない姿をしたその男を見て、思わずこう呟いた。

「変な人だ!」

 あまりにも率直な意見に、住良木以外の三人が思わず吹き出す。住良木は眉一つ動かさない。当の男はというと、露骨に眉を寄せ口の端を大きく歪めながら首を傾げてみせた。

「あれー?そこの子私知らない?空坂一の有名人を自負するドクター、Dr.ファンを知らないの?」

 男は能天気な口調だったが、プライドを害したらしく不機嫌そうな目を纏に向ける。纏は男の名を聞かされ、彼こそが部室で噂された男本人であると分かった。

「す、すいません。お母さんの言いつけで、野次馬になった事なくて……」

「まぁ感心。ドクター、君に好感触」

「ど、どうも……」

 軽く会釈する纏の前に、清原がすっと出た。ファンを見上げ、彼に声を張り上げる。

「半年も静かにしといて、何で今になって出てきたん?」

 彼女の傍に立った御深山や衙門、住良木もまた険しい目になってファンを見上げた。いきなり敵対する姿勢を見せた四人に纏が戸惑っていると、住良木が彼女に小声で言う。

「奴はこちらの正体を知っている」

纏が驚いてファンを見ると、ファンは大げさに肩をすくめ、やれやれと声に出して呆れてみせた。

「このドクター、面白いものが好きでファンと名乗っていてね。逆に言えば、面白くないものには興味ないんだな、これが」

 はふん、とこれ見よがしに鼻から息を吹き、四人を睥睨する。

「よーやっと、相手するのに面白そう、と思えた訳よ」

「我々がつまらん相手だったと言いたいのか」

 そう言った住良木に、ファンは上着の内ポケットを探りながらこう言った。

「レッドの抜けた戦隊ものを見たがる子供はいないだろ」

 ファンは取り出した金属製の小箱を五人に見せ、それについている真っ赤なボタンを押し込んだ。ポチ、と音がした直後、ファンの乗っている街灯のすぐ前の空間が揺らいだ。纏は眩暈か風のせいを疑い、そこへ目を凝らす。揺らぎは纏の気のせいなどではなく、大きく角ばって膨れ上がり、やがて色を得て姿を成した。

 直立不動のその姿は鎧武者に似ており、その体躯は縦にも、横にも長い。太い手足や胴の至る部分にまで露出が無く、兜をかぶった顔も、彫りを強調した仮面によって覆い隠されていた。

「そこの子には初めてかな。私のアドバンスド・クラフト『アイアン・パートナー一五六』だ。イゴロクとでも呼んでくれ」

 そう呼ばれた緑色の巨体の主は、しゅう、と関節のいたるところから蒸気を吹き出し、四肢や指、全身の至るところをわずかに曲げてみせ、顎を引いた。生きた人間と同様の所作を見せるそれに、纏は少なからず驚く。

「アドバンスド・クラフト?その、ええと……」

「イゴロクだ。マスター・ファンに仕えている」

 古いスピーカーを介したような声質の、男の声が仮面の内側から上がった。驚いたままでいる纏に、衙門が教える。

「あいつはロボットみてーなもんだ。Dr.ファンが自分で作ったんだとよ」

 忌々しそうに語る衙門のこの説明は、纏を更に驚かせた。

「え、作る?え?」

 次々と出てくる新しい情報に混乱する纏。それにはっきりとした答えを与えたのは、住良木だった。

「部長、アドバンスド・クラフトは我々だけのものではない。元を正せば、十年前に現れた天才達が残したものだ」

「そしてこの私、Dr.ファンもその元天才児の一人という訳だ」

 鼻高々、とばかりにふふん、と笑うファンだったが、それを御深山があざ笑った。

「で、その天才児様が、今ははた迷惑な発明家と」

「シャーロット!」

 ファンが一際大きな声で言及を遮った。拡声器のせいで声はさらに中央公園一帯に広がる程になっており、五人全員が息を呑んだ。

「……とにかく、私は待ちわびたのだ。今年のレスキューメイトがようやく、よーやく相手になり得る時をな」

「今のどういう意味ですか?」

「シャーロットをシャラップの上品な言い方と思うとるみたいなんよ」

 清原が纏にそっと耳打ちした。

「そこなおチビさん、何番よ?レスキューメイトの番号な」

 纏はファンに直接呼ばれ、戸惑いながらもはっきり答える。

「い、一番です」

「ファースト!?ユー!?……Hahaha、なるへそ!あの子みたいなタイプはいなくて、代わりに可愛いマスコット、てか」

 あざ笑うファンに、纏がかちんと来る。しかしそれ以上に、住良木達四人が表情を険しくしてファンを睨んだ。

「俺等を馬鹿にするためだけに呼び出すような真似したがか?」

「私等がそんなに寛容やないん、知っとろうがね」

「もっちろんさぁ。早く私を止めないと、桜の木がどうなるか分からんよ」

 言われて、纏ははっとした。

「そうだ、桜!トマトの代わりに、一体どこにやったんですか?」

「すぐに分かるよ。ただし、私について来ればの話だがね!」

 そう言った瞬間、ファンの背中から赤く丸いものが現れた。それはしゅうう、という音と共に二倍、三倍、四倍とどんどん大きくなっていく。一目で風船と分かるそれがファンの体の四倍以上に膨れ上がると、ファンの両足が街灯から離れた。

「逃げる気か!」

 衙門が吠える。

「逃げるぅ?そんなつまらん真似はせん。私がするのは、追っかけっこだ!」

 ついには宙に浮き、樹木のごとく大きく育ったトマトの苗木よりも高くファンは空を漂い始めた。追いかけようと走り出す五人の前に、ずん、と重い足音を立ててイゴロクが立ちふさがる。イゴロクは両肩からぶら下がった盾のような垂れの内側に両手を差し入れ、そこから警棒を思わせる棒状の武器を取り出した。2メートルを超える武者のような容姿と相まって、両手に得物を持つその姿は見る者全員に威圧感を与えた。

「早く追わんと見失うぞ!いなくなっちゃうぞー!フハハハハ!」

 高笑いを上げて、Dr.ファンは遠ざかっていく。五人がそれを追おうとしても、彼等の前にはイゴロクがいる。

「こりゃあ、二手に分かれるべきやにゃ」

 御深山の提案に、衙門がああ、と頷いた。二人の様子を住良木が横目で見ながら、纏に言う。

「部長、着身だ」

 纏は慌てて携帯電話を取り出そうとした。

「そうじゃない」

 住良木は持ってきていた自分のアタッシュケースを開き、ハーネスを取り出した。他の三人と、ようやく合点がいった纏もまた彼に倣った。全員で同時にハーネスを装着し、イゴロクを見る。

「部長、奴等をどう思う?」

 住良木の問いに、彼女は本心から答える。

「私はあの人をよく知りません。でも、空坂の色んな人に迷惑をかけようとしているのだけは分かります」

「ならば我々はどうするべきだ?」

「あの人を捕まえて、公園の景色を取り戻します!」

「それでこそだ」

 住良木はいつもの口調であったが、纏に対して満足げに小さく頷いた。

「五人でやるのは久々だな」

 衙門の呟きに、住良木がああ、と頷く。

「燃えるな」

「同感だ」

 衙門の頷きに、清原や御深山も表情を引き締めた。纏もまた、気を引き締めてハーネスに両方の親指をかける。他の四人と同じ立場で、同じ場所に立ったという事実が、彼女を更に緊張させた。彼女の左に住良木と衙門、右に清原と御深山が並ぶ。

 四人が自分の令を待つその間に、纏は唾を呑む。イゴロクとファンとを見やり、彼女は腹を据え言った。

「着身!」

 五人の手がハーネスの小箱を叩いた。五枚のオレンジ色の布が上へ飛び出し、手を伸ばした五人に巻き付く。全身を包んだ布がレスキューメイルとなり、五人はメットを被り面体をはめ込む。

「面体着装!」

 がちんを音を立ててメットの内側に面体が固定され、五人の視界が変わる。レスキューメイルのシステムを表示するウィンドウがいくつも現れては「Clear」の表示の後に消え、やがて彼等の視界の中心に『OK』の文字が浮かんだ。その文字も消え、五人の視界を阻むものはなくなる。

「各部異常無し、確認!」

 纏の指示に住良木、清原、御深山、衙門が続く。

「無し!」

「無し!」

「無し!」

「無し!」

 報告を聞き届け、纏、つまり01は宣言した。

「これより活動に移行します!」



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