11月19日 黒口穂波(2)
11月19日、天候晴れ。
トントン、と階段を上がり、表札を確認する。そこには『黒口』と言う二文字が刻まれていた。
「ここか……」
ここが俺の担当している作家先生、『黒口穂波』先生の家である。本来であれば、作家先生と言う物は本名を避けるのが鉄則と言うか、大抵の作家先生は本名とペンネームを分けているのが普通なんだけれども、この作家先生様はそう言う事をしないらしい。まぁ、珍しいな。
「ともかく、まずは作家先生と顔合わせと会議だ」
俺はそう言いつつ、チャイムを鳴らす。
「すいません、編集の赤城正義です。編集会議に来ました」
『空いてるわ。入って頂戴』
透き通るような、綺麗な声に誘われるようにして、俺はドアノブを回す。ドアノブは本当に鍵がかかっていなかったみたいで、簡単に開ける事が出来た。中に入るとそこにはとても綺麗な部屋が広がっていた。普通、多忙な漫画家さんと言うのは、ほとんどの場合、部屋が汚い場合があるんですが……。
「……来てくれてありがたいわ」
そんな事を考えていると、中から先程聞こえて来た綺麗な声が聞こえて来る。そしてそこに居る人物を見て、絶句した。
「……早速で悪いけれども、編集者のチェックをやって貰える?」
流れるような綺麗な黒髪。緑色の質素なジャージを着ているのにも関わらず、相手を魅了するボディライン。透き通るような瞳に、全身が神によってデザインされたかのような、そう、アイドルとしてもモデルとしても活躍出来そうな女性。
そんな女性が、顔や手に黒い墨を付けたまま、こちらに向けて出来たてほやほやの漫画を突きだしていた。
一瞬惚けていた俺だが、すぐに自分の役割を思い出し、その漫画を読ませて貰った。その漫画を読んだ感想は言いたくない。完璧だった。
騎士とアイドルと言う2つの噛み合わない要素を合わせる事も去る事ながら、それをちゃんと活かす設定。それに試練と言うのもちゃんと出来ているし、それぞれのキャラと言うのも良い味を出している。
お金を払っても読みたいレベルの漫画。そんな漫画だった。
「す、凄いです……。こ、これが読み切りだなんて……」
「そう、読みきりよ」
俺の言葉に彼女、『黒口穂波』先生はそう返す。
「その続きは存在しないわ。どこにも、ね」
そう。ただ1つ残念な所があるとしたら、これに連載性が無い。読み切りとしては完璧だけれども、これには連載性は一切ない。続きが作られると言う要素がほとんど無く、もしこれが人気が出たとしても、続きがない。そして本人である『黒口穂波』先生もそう言っている。
自己完結。
自己解決。
独自性。
本人だけで話が終わっており、本人だけで作品が完成してしまっている。これが部長の言っていた、『黒口穂波』先生の問題と言う物か。
「……何か、意見がありますか? 編集者の赤城正義さん?」
しかし、あまりの完成度の高さ故に俺は何も言えずに、
「……い、良いと思いますよ?」
と、俺はただそう言うしかなかった。