猫と勇者は死神と奈落に共鳴するとかしないとか 3
「……さて」
シャルトルーゼの観光でもするかね。街に入る。王国より南方で温かい地域だけあり、市に入ってみると果物類が目を引いた。橙色をした掌大の果物を一つ買う。ちなみに通貨は王国と共通なので問題ない。貿易に不便だから全世界で共通の物が作られたのだとか。
「いま食いたいんだが、抜いていいか」
腰に釣った剣を示すと、商人のおっさんは頷いた。
剣を抜き、皮を削いだ。歯を立ててみると口の中に果汁が広がる。酸味が強いが、甘味とのバランスがいい。美味い。
「気に入った。これ、あと五つほどくれ」
「あいよ」
気のいい返事をして、袋に詰めてくれる。
「にしてもにいちゃん。なかなかいい剣捌きだね。兵士かい?」
「いいや、単なる流れの冒険者だ」
「冒険者? シャルトルーゼにはすっかり寄り付かなくなったと思ってたんだが、にいちゃんみたいな人もいるんだねぇ」
「寄り付かなくなった?」
「ああ、魔王の話は聞いたかい?」
「小耳に挟んだ程度だけどな」
「あの魔王はなぜか冒険者ばっかり襲うらしいんだ。まあ最初の数人の犠牲者は、村人だったんだがな」
「ふうん」
冒険者ばかり襲う? 奇妙な話だった。悪魔は人間を食う。というのも、人間が他の生き物よりも高い魔力を持つからだ。魔術師でない人間でも、だ。そして冒険者というのは少なからず腕に自信を持っている。仕留めるのに手こずる獲物をわざわざ狙う意図がわからない。
「おおっ」
おっさんが急に歓声をあげた。振り返って後ろを見ると、シャルルが数人の兵を引き連れて歩いていた。シャルルは俺に気づきながら俺を見なかった。思い切り睨まれることを覚悟していただけに少し拍子抜けする。キャルト族の表情はわかり辛い。しかしダークブルーの瞳だけはひどく感情が読み取りやすい。目が、何か決意を示しているように見えた。嫌な予感があった。……俺は『聴爾覚』を使った。この術式は特定範囲の音波を探知する。シャルルの周囲の音を拾うように調整。
「シャルル=ディバイト様、このシャルトルーゼで最強の魔術師だよ」
おっさんが言う。
「キャルト族なんだな」
「ああ、十年と少し前にガルドメイス獣共和国からの脱走者をこの街で匿ったんだ。いまとなっては大っぴらに動けてるけど、昔はいろいろ大変だったそうだよ」
「ふうん」
俺は剣を振るい、橙色の果物の皮を剥いた。一口齧る。
「ところで、この街に宿屋ってあるか」
「ああ、例の魔王のせいで潰れかけだけど、ちゃんと残ってるよ」
おっさんは親切なことに地図を書いてくれた。
俺は部屋を取り、『聴爾覚』に集中した。
「一身上の都合により、軍をやめさせていただきます」
「何があったのだ。シャルル」
「私を拾い、育ててくれたことには感謝しています。ですが、人を守れにゃい力に、にゃん(何)の意味があるのでしょうか」
「考え直してくれ。お前がいなくては、シャルトルーゼは帝国に――」
「失礼します」
……ふむ、真剣な会話が「にゃ」のせいでいろいろ台無しだったな。
俺はジギギギア=ギギガ=ガガギゾのことを思い出そうとする。正直、思い出したくなかった。俺とリグムがいたにも関わらず、その他の生き残りはわずかだった。生き残りの多くが四肢のどれかを失い、戦闘者としての寿命を断たれた。しかもその多くが、魔王に一太刀も浴びせることなく、「弾避け」として死んでいった。絶望の記憶。『王腐瑠覇水 (オルナバズイ)』と『火儘獄沁炎 (カーゴグウン)』の乱れ撃ちで逃げ場を消して俺の風向系最高位魔法でトドメを刺すまで実に四十八人の死者と十六人の重傷者を出した。
「刻鳴士」シャルルは世界でも指折りの戦闘者だろう。それでも俺とリグムが組めば易々と殺すことができる。俺が多重発動の『旋捲風』で機動力を封じながら中級魔術を連発し、その処理に集中させる。そこへリグムが『火儘獄沁炎』を叩き込めば、抵抗の余地はない。つまり、単独での戦闘能力はシャルルよりも魔王のほうが絶対的に上なのだ。
シャルルだけでは間違いなく魔王を殺すことはできない。
「見殺しにしてもいいが」
あの萌え口調を失うのは惜しいな、と俺は思った。
……まあ言い訳だ。
俺は自分の生きる意味を見失っているのだ。親友だと思っていたリグムは俺の監視と記憶封印の更新者でしかなく、使命だと思っていた王国のための戦いは、帝国の騎士だった俺にとっては敵国を助けることでしかなく、助けられたはずのロットウェルは魔物に食われて死んだ。そしてリグムや王国の魔術師共に復讐する機会は、カイセルによって奪われた。
なにもかもが俺の手から滑り落ちていった。
「後味が悪いよな」
俺は何かを掴みたかった。
勇者として、命を賭けるに値する何かを。




