外伝・裁きの刻 4
リゼレッタ=レヴィンはシャルトルーゼの内乱を軽く捻り潰して見せた。
強力な魔術師が一人も残っていないシャルトルーゼでは、リゼレッタ率いる第一中隊に対抗できなかった。突撃兵達が出てからは、敵味方の両方に一人の死者も出さずに収めて見せた。リゼレッタが個人的に住民の生命を重く見ていたのと、戦力の違いを見せつけて戦意を挫くためだった。
同じ頃に帝国によって、王国の残党兵を相手取った戦争が起こる。リグムが率いている各都市の寄せ集め舞台に帝国軍は大いに苦戦する。せっかく奪ったヴァルクリフを取り返されそうになり、リゼレッタ達はそちらに回されることになった。突撃兵は帝国の切り札の一つだ。シャルトルーゼの僻地で腐らせるにはあまりにも勿体無い。
シャルトルーゼにはどこか代わりの部隊が回されることになるだろう。治安の維持はどうなるのだろうか? 住民の安全は保障されるのか? 逮捕し、拘束している内乱の参加者達の処遇は? いろいろと後ろ髪を引くものはあったが、そういうことは政治屋の仕事だ。軍人であるリゼレッタはただ命令に従い、ヴァルクリフに向おうとした。
ガンドラ平原を横切っての行軍の途中、彼女はよく知っている人影を見た。
ガーレ=アークだった。
草原のど真ん中で寝そべっている。突然いなくなったと思ったら一体何をしているのか。声を掛けようと馬の足を止める。ガーレがこちらに気づいて、手を振る。背筋に悪寒が走ってリゼレッタは真横に飛び退いた。リゼレッタのすぐ後ろにいた男が、胸から血を流していた。
「……は? え……?」
短剣が凄まじい速度で胸を突き抜けたのだと気付いた時には、彼はすでに絶命していた。
「ふごーかく」
苛立った声。幼い口調で言う。長剣を抜く。
「ガーレ……?!」
「そこそこ強いんでしょう? 棒立ちで死ぬなよ。こいつと遊べるくらいの戦力がないと、観察してもつまらないだろ」
風属性の緑色の発動光がガーレの背後で発散。圧縮空気を吸引し『速離源力』が発動する。リゼレッタは姿勢を低くした。正面から斬り合っても速度差で勝てない。だから斬撃の当たる面積を減らし、攻撃を予測しやすくした。
構わず踏み込んできたガーレの一閃を槍の柄で止める。凄まじい重さが手首に伝わる。リゼレッタが次の手を繰り出すよりも、即座に剣を引いたガーレの第二擊のほうが速かった。が、これは一対一の勝負ではない。リゼレッタの背後から飛び出した剣士が、ばちばちという空気が弾ける音と共に飛び出す。ガーレが咄嗟に背後に飛び、寸前まで彼がいた空間を刀が横切る。さらにリゼレッタが近接戦闘のあいだに溜めていた『火儘獄沁炎』を解放する。小さな火種が合成された可燃性ガスと酸素を飲み込んで爆ぜる。爆風と爆炎がガーレを飲み下す。
「……私とユカタ以外は間合いに入るな」
リゼレッタが後方に向けて号令を飛ばす。
ユカタと呼ばれた女剣士がにぃっと笑ってリゼレッタより二歩だけ前に進む。アルテアと同じような東方の衣装を着ている。腰に差した鉄こしらえの鞘と細身の刀はヒノモトの戦士独特の物だ。
目線は前のまま、首を少しだけリゼレッタに向けた。
「隊長、なんですか。あれは」
「ガーレ=アーク=ソードフィールド、名前くらい聞いたことない? でも様子が変ね」
「え、『ガンドラに吹く殺戮する風』ですか? へえ、あれが」
火炎が晴れてくる。
と、煙のなかから短剣が二本投擲された。『速離源力』で加速されている。
ユカタはなんの問題もなく、短剣よりもさらに速い速度の斬撃でそれを打ち払った。
一拍遅れて飛び出してきたガーレの斬撃を、刀の曲面を利用して受け流す。
「あ、まず」
つい流してしまったが、自分の背後に守るべきリゼレッタ達がいることを忘れていた。すぐに体を反転させ、ガーレのほうに向き直る。と、そこへまた短剣の投擲。器用なことにこちらを見ないまま投げている。リゼレッタを標的にしているようだ。
ユカタは少し腹を立てた。自分のほうに集中して欲しかったからだ。
空中の短剣を素手で掴んで雷属性中級『磁發撒石』を発動する。ユカタの周囲で磁界が形成。ユカタ自身の纏う磁性と反発し、超加速する。
ガーレは背面に関してまったく油断していた。こと速力において自分に勝る存在がいるとは思っていなかったからだ。だから彼の肩から大腿までまっすぐに振り下ろされた刃が肉体の四分の一を切り落とした時、何が起こったのかさっぱりわからなかった。
加えて痛みで白濁した意識が魔術を中断し、ガーレはリゼレッタの目の前で速度を失った。
「……何か言い訳はある?」
緑色の炎がガーレを襲った。全身に火がつき、耳障りな絶叫が谺する。転がって消そうとするが。マグネシウムを燃焼させて発生させた緑の火炎は容易に消えない性質を持つ。
数瞬遅れて他の突撃兵たちがリゼレッタに追いつく。
「なんですかこいつは」
「貴様ら、よくも今頃ぬけぬけと」
ユカタが視線を外さずに言う。
一人が失笑ながら答える。
「隊長が死んだら出世のチャンスじゃないか。何を言ってるんだお前は」
「……なんというやつらだ」
「ああ、ヒノモトからの新入りか。そりゃ無理ねーな」
「構わん。それよりいまはあいつだ」
火だるまになっているガーレに、全員がもう一度目を向ける。ガーレは、炎に包まれたまま立ち上がった。
「あの火傷で……?」
ユカタが刀を構える。
リゼレッタが再度爆炎を展開。背後に飛んだが、到底躱しきれる規模ではなかった。背後に飛んだのが一瞬見えて、爆炎と爆風に薙ぎ払われる。視界が消え去る。
数歩引いて構え直した。
「……右半身が再生しているように見えたけれど」
「私にも、そう見えました」
「目標、未確認魔法を用いる敵性生物。総員戦闘体形に移れ」
「ちっ、了解」
普段は横柄な突撃兵達でも隊長命令であれば守らない訳にはいかなかった。
各々が武器を構える。
「あのさ。もうちょっとお話しない?」
ガーレの声。
応答は爆炎だった。
突撃兵の各兵士達が加速魔法を発動。敵を包囲するように動く。炎が収まり、あの生き物が熱から必死で逃げているのを見つける。
「ユカタの刀でも隊長の炎でも死なないんだべ? どーする?」
「再生にもエネルギーを使うだろう。殺し続ければいつか死ぬさ」
緊張感のないやり取りがかわされる。一拍遅れてガーレのほうから炎が発生する。炎をかわすために散る。
「多属性使いけ? めんどいなぁ」
「まっ、いつも通りにやんべ」
「ああ、早いもの勝ちだな!」
炎と水と鋼が多方面から降り注ぐ。上方に跳んでかわしたところへ、さらにリゼレッタの炎。たまらず体勢を崩して躱したガーレに、ユカタが殺到する。「?!」斬撃を繰り出したユカタはあまりの手応えのなさに驚いた。少しだけ目線を動かすと、握っている刀には刀身がなかった。溶けていた。視線を戻すとさきほどまで若者だったガーレの姿が、銀髪をした老人のものに変わっていた。
その手には紅蓮色の槍が握られている。
恐怖がユカタの背筋を駆け抜ける。咄嗟に近くにいたリゼレッタを掴み、磁性の反発力で大きく横に跳ぶ。
少しだけ遅れて他の人間が気づく。
「ふ……フレイムランス……?!」
「バカな」
使い手のアストナ=フェン=ナイトロールはすでに死んでいる。他に撃てるものがいない、はずだった。可能性があるのならアストナ子供であるリグムかオルアーガだが、どちらも戦死している。加えてどちらも有名な魔術師だが肉体を別人に変化の魔法などを使えるとは聞いたことがない。
炎の槍が投擲されるのと死は同時だった。中隊の半分ほどは自力でかわしたが、残り半分は着弾と同時に圧倒的な規模に広がった爆撃に砕かれて死んだ。
「ははっ。すげえすげえ」
後方で誰かが笑う。圧倒的な破壊力を見せつけられても、突撃兵達は誰も戦意を失っていない。
「中隊長殿。あれはどういう原理で体を再生しているのでしょうか?」
ユカタが磁力による加速を解除。地面に足をついて速度を殺す。
リゼレッタは少し考えてから答えた。
「一般的に肉体というものは再生不可能です。ですが現在までに例外は二つあります。一つは『光叢移衝天骸速』という肉体を電子と陽子と中性子にまで分解して再構成する魔術です。そしてもう一つは、できた人間はいまのところいませんが細胞分裂の速度をあげて肉体本来が持つ治癒力を活性化することです」
「あの化け物が使っているのはどちらで?」
「後者だと思います。分解と再構成を行っていてあれだけ全身へのダメージを繰り返せば、そろそろ息の一つも切れるでしょう」
「なるほど」
ユカタが刀を構えなおす。
リゼレッタが火炎系の術式を紡ぐ。
「ランダ=ルーベンス! 生きているか?!」
「……っ、なんとか」
後方で声が上がる。
「隙は我々が作ってやる! 撃て!」
「え、あれっすか?」
「ぐだぐだ言うな! ユカタっ」
「了解」
鉄属性を使う他の一人から刀を受け取り、電磁加速したユカタが飛び出す。
老人の姿から、銀色の体毛を持つドグル族の姿になる。十数本の鋼の刃が回転しつつ展開。
「……児戯」
ユカタは頭を低くして初段を躱す。半身になってわずかに横に動き、二擊目を。回転していない刃の腹を突いて方向を逸らし、三つ目をいなす。前方に跳ぶようにして四つ目を飛び越す。五つ目は電磁加速した刀が一閃で切り捨てた。リゼレッタから火炎の援護が来る。鋼の壁が炎を遮る。壁の裏にユカタが降り立つ。
「こいつ……?!」
近接戦闘に強いゼルドやガーレだが、戦い方によってはヒノモトの戦士はそれを上回る。
ユカタは雷属性の使い手だが、『磁銘士』と呼ばれる磁力系以外には何も使えない魔術師だ。扱いの難しい雷属性の魔術師には、こういった一部の魔術だけしか使えない人間が多い。代わりに手に入れた速度は風向士をはるかに上回る。
しかしユカタの対策は非常に簡単なモノで済んだ。
近づけさせなければいい。
水属性の青い発動光のあと、大量の水が渦を巻く。青い髪に端正な顔立ちの男――ナクグラ=フェン=ナイトロールだった。水の勢いに押され、ユカタは間合いを離れざるを得ない。
と、突撃兵から別の一人が前に出た。男の足元の地面から木の根が生える。急激に増殖し、水を吸いつくそうとする。水が勢いを無くすまで水を蓄えたあと、男が吐いた。
「うえ、飲みすぎた……」
目と鼻と口から水を垂れ流している。
リゼレッタから打ち出された爆撃が水を貫通。しかしナクグラに到達する前に、吹雪にかき消される。ユカタが前に出ようとするが冷気と風で近づけない。
吹雪の合間を抜けて『水削蓬断神』が発動する。三百メガパスカルの圧力によって噴射された、水の刃が前に出ていた木蓮士の肉体を両断する。
続けて水の刃を放とうとしたナクグラの、皮膚が溶けた。
「……?!」
「え?」
魔術を放ったランダ=ルーベンスのほうが驚いている。ランダの放った魔術は『原嚇崩留子力 (ゲルルカク)』と呼ばれるモノだ。数万ベクレルの放射能を当ててDNAに傷をつける。DNAに傷の入れば細胞分裂がうまくいかなくなる。悪魔たちから「忌み枯らし」と呼ばれる、毒属性の最上級魔術の一つだ。
皮膚の溶けたナクグラが全身から血を流し出す。目から、鼻から、口から、粘膜のあらゆる場所から血が流れる。細胞分裂で傷を補おうとするが、うまく分裂しない細胞はさらに傷を広げるだけだった。本来は数日がかりで効力を発揮する魔術だ。が、異常な速度で分裂を続ける化け物の性質が、死を早めた。
「え、な、な、なんで。ぼ、ぼくは死ぬのか?」
「死ぬさ。生き物は死ぬ」
「ぼくは神だぞ……?」
「……そうか、貴様は神なのか。では帝国に住む六十万の飢えた民を救ってみせろ」
「え?」
「できないのか? ならば少なくとも、私にとってお前は神ではない!」
緑色の炎がナクグラの形をした生き物を焼いた。
しばらくもがいていたが、そのうち死んだ。
「少し遅れたな。先を急ぐぞ」
「なんだったのでしょうか。こいつは」
「さあ、ただの悪魔だろう」