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外伝・裁きの刻 2


 アルバース公国は四十年ほど前に王国から分離して生まれた国である。一時期には王国の全鉄鉱石の六割をここで発掘していた。

 市場に物が多く出回れば、物価は下落する。

 そして少なければ物価は上昇する。

 本来アルバースはもっと生産を絞るべきだった。そうすれば鉱石一つあたりの値段は高くなり、利益が流れ込む。しかし王国の議会はそれを許さなかった。過剰な生産量を求め、ノルマを課した。それが守られなければ、街への助成金を打ち切ると言った。またアルバース産の鉄鉱石を他国に売ることは許されなかった。それは売国行為だと禁止された。

 労働者が危険な環境で長時間を、少ない賃金で働く。この図式は議会側からすればひどく便利なものだった。また帝国との軍事衝突が絶え間なく続いており、軍事費が膨れ上がっていた王国には正規の料金で鉱石を買い取る余裕もなかった。

 この状況に警鐘を鳴らしたのが、ロクサエル=アズハ=イグバード上院議員だった。アルバース建国に最も深く関わった人間である。彼は王国の議会に鉱山の劣悪な環境を改善するための案を提出した。鉱山の中では粉塵が絶えず舞っており、奥地は空気が薄かった。高い確率で肺病に掛かるにもかかわらず、医師も治療士もほとんど回されなかった。水を撒けば粉塵は抑えられたし、医師を回せば肺病での死亡率は高いものではなくなっただろう。しかし王国の議会でそれらは受け入れられなかった。そもそも過半数以上の議員の欠席したことによって、議決が取られることすらなかった。ロクサエルは彼らがまったくアルバースの状況を改善する気がないことを悟った。

 理由は簡単だった。王国が必要とする鉱石の実に六割がアルバースに依存するがために、現状以上に力を持たせたくなかったのだ。「現状の対策に手一杯である」という雰囲気を作りたかった。それだけのためにアルバースの人民は苦しみ続ける。

 ロクサエルはこのとき六十二歳になっていた。彼は政治家だったが、人民を救うためという純粋な気概はすでに失われていた。そしてまだ野心は失っていなかった。クーデターを企画してその首謀者となれば、自分が王となれる。問題はいかに成功させるかだ。空軍、海軍こそガルドメイスに劣ると言われているものの、王国の陸軍は間違いなく大陸最強の部隊だった。並のクーデターを起こしてもすぐに鎮圧されてしまうのは、目に見えていた。

 現代魔法戦において、一人の強大な魔術師は百人の兵士に勝る。

 ナイトロールの幾人かを口説き落とせないかと画策したものの、政治中枢にも深く食い込む彼らに、地方都市の進退などどうでもよかった。彼らの心配ごとは戦争の前線にしかなかった。一方でこれは大きなチャンスでもあった。王国の主力部隊そのものが帝国との戦争のために出払っているからだ。後方に残っているものは、反乱鎮圧用の部隊と、ガルドメイスや当時はまだ同盟国ではなかったシャルトルーゼに目を向けるものだった。

 後世の歴史家達はこの状況を予期した上であえてロクサエルが議決を狙ったものだと予測する。彼は選ばせたのだ。アルバースを助ける道を選べば内乱を起こさず、彼は有能な政治家として王国のために尽力しただろう。そして王国はアルバースを見捨てる道を選んだ。

 それを嘆いたのか、喜んだのか、彼自身にしかわからない。

 しかし後者の説を取るものが多い。なぜならクーデターの成立後、アルバースは鉄鋼業において他に類を見ない発展を見せ、莫大な富が流れ込んだからだ。ロクサエルの手記にはアルバースが王国の手から離れた場合の収支について、明確な計算記録が遺されてた。

『貴君らの愚かさと賢しさを私は非常に残念に思う』

 手記はそう締めくくられていた。

 クーデターを成立させた立役者は、メイナス=クルト=エリオールという。ロクサエルがたった一人だけ口説き落とした王国の若く有能な魔術師だった。彼がジュレス=セルル=ナイトロールであり、マクルベス=パラス=サルファーミストであることはいまさら語るまでもないだろう。

 彼は天才的な生物属性と毒属性の使い手で、王国にとって未知の病を司り幾度となく西伐を沈めてきた。もちろん王国の主力部隊が帝国に目を向けざるを得ない状況であり、残存部隊を相手にしていたに過ぎなかった、という事情もある。

 だがメイナスの連戦連勝は兵士の士気を著しく押し上げた。そしてロクサエルが急造ながら作りあげた軍隊は、優れた鉄鉱石で仕上げられ短い期間で完全な武装を可能にした。そして帝国との戦争が終わったころには、王国陸軍といえども簡単には手を出せない部隊へと成長しきっていた。発展につれて、ロクサエルは鉱石に対して僅かな税をかける。不満は出たが、少なかった。アルバース製の鉱石の売上は良好で、好景気のムードとこれまでの弾圧からの解放で、誰も彼も浮かれていたからだ。アルバースは政府として使える莫大な富を手にし、王国の面子を保つために“公国”を名乗り、税の一部を王国向けに収めた。王国側は「ほっといても金が入ってくる」という状態に、西伐の慎重論が出た。

 本気で軍をだせば潰せるだろうが、潰す価値はあるのか?

 議会の意見は右往左往し、西伐に出される軍隊はほとんど形式的なものとなった。

 やがて時が経ち、ロクサエルは死ぬ。

 彼はメイナスに遺言を遺した。この国を頼む。どんな意図があってそれを言ったのかはわからない。メイナスは彼の理解の限りで任務を忠実にこなした。彼の後継者を育てあげ、メイナス自身の寿命は体を取り替えることで解決した。

 ロクサエルは世襲制を選ばなかった。議会によって選ばれた後継者も、また老練なよい政治家で、アルバースの発展に尽力した。

 これらのほとんどがロクサエルの事前に予期していたところだった。

 この数十年でロクサエルが予期していなかった出来事は魔王レトレレットの出現だけだったと言っても過言ではない。最終的にはマクルベスが討伐したが、アルバースの国軍だけでなく、インフラなどが徹底的に破壊された。幸運だったのは同じ時期にジギギギアが王国に現れたことだ。奇しくも過去と同じように、アルバースに攻め入るほどの余力は王国に残らなかった。


 そしていま。


 アルバースは爆音と爆風が吹き荒れていた。はるか北に位置するアイスログからの兵隊が、アルバースを蹂躙していた。人々は逃げ惑い、抵抗するものも、しないものも次々に殺されていく。兵力にも魔術師数にも大きな差はないにも関わらず、一方的な戦いとなっていた。あったのは士気の差だ。

 アルバース軍は敗北を経験したことがなかった。小勢はマクルベスがほとんど退けてしまう。かといって大勢を相手にする経験に欠けた。だが先の戦いで、カイセルという少年にマクルベスは負けた。こんなことは初めてだった。さらに悪いことに、傷を引きずりながら参戦したマクルベスが戦死したという報告が飛び込んできた。もはや抵抗の余地すらなかった。

「ロクサエルよ。あなたはここまで予想していたのでしょうか?」

 “放蕩王ロクサエル”と誰かが呼んだ。ロクサエルはアルバースに莫大な金が流れ込むと、それを私利私欲のためにも使った。彼の金遣いの荒らさは半端ではなく、財政が傾くギリギリだった。酒と女と上等な食事を、ロクサエルは死ぬまで貪り続けた。

 もしやアルバースという国はロクサエルが放蕩するために作られたのではないか?

 イシュミラという現在の公国領主は自らの考えに戦慄した。所詮は鉱山の国。他に資源はなく、いつか鉄鉱石が尽きたとき、この国はどうなるのだろうか? こういう形でなくとも潰えるのではないか。飛び込んできたアイスログの兵と相対したイシュミラは大声で笑い始めた。

 いつまでもいつまでも、彼が死ぬまで笑い続けていた。

 



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