外伝・あくまでケダモノの王 1
――この世界で最も強い生き物は人間だ。
知恵足らずの悪魔共など、物の数にも入らない。
ロクサエル=アズハ=アルバース
「――いいや、よくやったよ。あとは任せろ」
ゼルド=レクス=マテリアルブレイドは、そっとアイバの目を閉じさせた。首だけが奇跡的に焼け残ったそれに向けて十字を切る。十字架はゼルドの信じる宗教における鎮魂の紋章だ。
「アイバ……? ねえ、アイバ? どこ?」
水色の髪をした少年が虚ろな目でつぶやいている。
爆心地にいながら無傷だったところをみると、アイバを殺したのはこの少年らしい。ヒュヒァイアやヨゼフもいない。アルテアが死んだとすればゼルドとしてはむしろ嬉しい。
ゼルドは周囲をゆっくりと見渡す。元々崩落していた城は綺麗さっぱりと消え去り、瓦礫さえも蒸発してもう何も残っていない。熱の名残が残る地面からはまだ濃い蒸気が上がっている。大気の温度が異常に高い。ゼルドがこの中でいられるのは金属の還元反応を起こして、熱を吸収しているからだ。あの少年が生きているのは、魔力の密度だけで熱の濃い大気を弾いている。意味不明な魔力量だった。
「……ここにくればリグム=フェンと戦えるかと思ったが、あてが外れたか」
目的とはかけ離れているが、一応助けられた義理があるので戦おうと思った。
ゼルドは『執咧烕行 (シグイルク)』を発動する。無数の小さな刃が連なってチェーン状になった輪が、高速で回転する。ぎいいいいという耳障りな音を立てる。
機械的な動きで、水色の髪をした少年がゼルドのほうを見た。
チェーンソーの刃が少年に向けて飛ぶ。突如地面が盛り上がり砂色の巨人が少年を守るようにチェーンを掴む。続けて幾本もの刃が連なって砂色の巨人が削れていく。防衛本能だけで召喚したようだった。
貫き通せないと判断したゼルドが跳躍する。『巨乾坤人』を発動。先端の尖った建物のような鉄の塊が巨人に向けて落下した。重量を受けようとした巨人の体が、受けきれずに崩れる。再び『執咧烕行』が殺到。わずかに残った砂の塊も切り裂いていく。
『変獣咧化』を発動し、ゼルドの両腕が羽毛に覆われる。胸筋が異常に発達し、伸ばした両腕が揚力を捉える。肉体を鳥に変化させる。滑空して少し距離をとって降りる。体を元に戻す。
と、着地点に向かって一頭の巨大な狼が迫ってきた。
即座に『執咧烕行』が対応する。五本の刃が体を引き裂いて、体が幾つかに分解されて死ぬ。チェーンソーの刃は切り口が鈍くずたずたになる。音と合わせって、恐怖心を煽る。
「……あまりオレに同胞を殺させるなよ」
ゼルドの呟きは届かず、無数の魔法陣が浮かびそこから発生した魔物の群れに包囲される。だが一匹たりともゼルドに触れることは叶わなかった。近づく端からチェーンソーの刃が迎撃していく。しかし数が多すぎた。
血糊のついた刃は切れ味が落ちる。数匹切断する度にゼルドは刃を更新しなければならない。耳障りな音が響く。チェーンソーの駆動音に悲鳴と、肉と骨が砕けるときのそれが混じる。ゼルドは同情する。魔物たちの表情はどれも恐怖に満ちていた。召喚魔法に組み込まれた指示式が絶対であるがゆえに、彼は逃げることができない。
発動が不安定なのか、一匹一匹の強さはゼルドからすれば大したことがなかった。だが終わりの見えないマラソン勝負というのは精神的に少し辛い。あまりの数に肉の壁ができていて突っ切っていくのは簡単なことではなかった。
ゼルドが引き際を考えはじめたとき、不意にそれが起こった。
突然魔法陣が揺らいだ。虹色の光が外側から押し寄せるように広がる。銀色の波濤が狼を分解していく。
「なんだ……?」
アルテアの召喚陣が起動したのだが、ゼルドはそれを把握することはできなかった。
ただ単に好機だと思った。四足獣の姿にうなったゼルドが地面を蹴り、人間の限界をはるかに超えた速度で疾走する。間合いに入り、少年の様子がおかしいことに気付いた。
震えている。それも尋常な震え方ではない。体全体で悲鳴をあげていた。
「お、まえ……、いつから……?」
そして。
ぬるりと少年の口から何かがはいだしてきた。肌色の棒か何かに見えた。指だった。それが少年の口を無理矢理押し広げ、顎の骨が外れ、頬の肉が少し裂ける。次に肩が出る。窮屈そうに身を捩りながら、首が見え、水色の髪が現れた。煩わしそうに、少年の皮を脱ぎ捨て、寝起きの人間のように両手を重ねて大きく上に突き出した。少年の中から現れた彼は、少年と似た顔をしていた。ただ一回りほど身長が高く、顔立ちには精悍さがある。
「いつからって、そんなの最初からに決まってるだろ」
憐れむように言う。
呆気にとられていたゼルドは、肺の底に溜まった息を吐き出す。
生理的な嫌悪感があった。
「……死んだとは思っちゃいなかったが、予想外出てきかただったよ。リグム=フェン=ナイトロール」




