エンドロール 2
……といっても俺が真っ先に向かったのはコンビニエンスストアだったのだけど。
ATMから金を下ろさないと、遊園地にいく資金は俺のポケットには入っていなかった。
「ださーい。しょぼーい」
と、優紀が後ろから茶化してくる。楽しそうなのでまあよしとしようか。
切符を買って、ホームで待つ。人のまばらな平日の電車に乗り込んだ。並んで座る。
「そういえばお前、ネズミーランドって行ったことあるのか?」
「うん。修学旅行のときに一回だけ」
「そっか。俺ねーや」
「え? あたしと中学一緒だよね? 兄ちゃんの年はネズミーランドじゃなかったの?」
「サボった」
「えええええええ?! 勿体無いっ!」
「声でかい」
「あ、ごめん」
俺は元々遊園地があまり好きじゃないのだ。
とはいえ雰囲気をぶち壊すのでそれは言わないでおく。
そのうち目的の駅に着いて、俺たちは電車を降りた。「ほら、はやくはやく!」鬱憤を晴らすように明るく俺の手を引く。しょーがないなぁと思いながら、俺も少し早足になる。
入場料を払って中に入り、売店で買った某ネズ耳を頭に装着され、待ち時間の長さとあっちこっちに連れ回されたことで俺の足は棒になった。
最後のほうはさすがに優紀も「つかれた……」と歩くペースを落としていたが、それでもどこか楽しそうに見えた。
ふと俺は優紀を家に返したくないなと思う。
両親はきっと優紀を責めるだろう。明日は学校に行かなければいけないと怯えるだろうし、学校から逃げ出した自分を責めるだろう。ホテルでも取って一泊くらいしていくのもありかなーとは思ったが、財布的にちょっと辛い。けど……。
「優紀」
少し影のある笑みで振り向く。やっぱり帰るのが嫌らしい。
「泊まってくか?」
「い、いいの?!」
「三つ条件がある。建物に文句があれば入る前にすぐに言え。俺の財布に過度な期待をするな。あたりまえだが俺はお前に何もしない。守れるか?」
よくわかっていない優紀が首をコクコク振る。
溜め息を吐いた俺は、優紀をラブホテルの前まで連れてきた!
「……」
「……」
えっと、仕方ないじゃん。学生の財布で普通のホテルは厳しいよ。……厳しいんだよ。わかれよ。わかってよ……。
「は、入ろうか!」
あきらかに無理をした調子で言われると、なんだかひどく申し訳ない気分になった。なるほど世の金のない男たちは常々こんな思いをしているのだろう。
「わー、部屋きれーい」と、少し震えた声で言う。それからベッドで寝転がった。
「ど、どうぞ」
……オマエハイッタイナニヲイッテルンダ。
とりあえずチョップした。小さく悲鳴をあげて額を押さえる。半分涙目で伺うようにこっちを見てくる。俺はベッドに腰かけるように座る。
「兄ちゃん」
「ん?」
「言いにくいんだけど……、そろそろそれとったら?」
優紀は俺の頭を指差した。なんのことかわからずに手をやると、ネズ耳があった。壁に向かって思いっきり投げた。優紀が思いっきり笑って、「ありがとね」と言った。
「正直もう死んじゃおうかなって思ってたんだ。だって全部つまらないんだもん。学校も家も塾も。友達と遊びにいくのも。ママとパパと話すのも。だから死んじゃいたいなって。世界中で誰も私のことを好きになってくれない気がしたから」
「そうか」
「だからよかったよ! 今日すごく楽しかった」
「……そうか」
言いながら、優紀はぼろぼろ泣いていた。不意に携帯電話が鳴る。妹のほうだった。カバンを取ろうとする優紀を遮った。「親父からだ」俺が出た。「もしもし?」電話口からいきなり怒鳴り声がする。だめだこりゃ。切った。んで着信拒否にした。
「お父さん、なんて?」
「仕方ないから今日はゆっくりしとけって」
少し疑問符のついた顔をしながら、優紀が俺を伺う。怒られるとばっかり思っていたのだろう。まあ現実怒るんだろうが。
「そんな周り中に敵ばっかりなわけじゃないって」
頭をくしゃっとやってみる。心地よさそうに目を細める。
俺の携帯が鳴った。「友達からだ」と俺はまた嘘をついた。部屋を出て電話に出ると、再び怒鳴り声。戦場の爆音で鍛えられた俺の鼓膜は、その程度では揺るがんぜ! ……とちくるってみた。
「優紀は一緒なのか?」
「うん。一緒。だからとりあえず心配しなくていいよ」
言ってからむしろこいつらはもっと心配したほうがいいなと思った。
「いますぐ帰ってこい」
「無理。それだけならうるさいから切るけど。こっちにはこっちの事情あるからわかって。子離れしろよ。もうお前の息子、高校三年だぞ」
「お前は失敗作だからいい。優紀を巻き込むな」
……。おぅ、実の息子に失敗作とか普通に言うかよ。むしろ優紀のほうが母さんの連れ子なのになぁ。まあ十年以上一緒に住んでるから、そういう気持ちは全然ないけど。
「帰ったら説明するから、とりあえず俺に任せて」
「何を――」
切った。ついでに電源もオフにする。
相手にするのが面倒臭かった。根本が善意なので手に負えないのだ。学歴主義のくそみたいな親ではあるが、娘の葬式でぼろ泣きしていた姿を俺は知っている。自信が服を着て歩いているようなくそ親父が、しおれた姿で肩を落としていた。
まったく面倒くさい。
「兄ちゃん?」
優紀がドアを開ける。俺はなんでもないよと言い、部屋に戻ってソファーで横になった。
「じゃあ俺はこっちで寝るから」
優紀の視線がソファーとベッドを交互に行き来する。遠慮してるらしい。
「構わんからベッドで寝ろよ」
「……うん」
疲れていたので俺はわりとすぐに眠りに落ちた。
そして目が覚めたとき、自分の胸のあたりで暖かいものがあることに気づき、それが優紀の頭だと気付いた。……よくこの状態で寝てたな、俺。
「兄ちゃん」
「ん?」
なんだか改まった優紀態度に、心中で身構える
「私、一生のお願いがあります」
俺をまっすぐ見据えて言う。
昨日の様子からは考えられないほど、強い目をしていた。
優紀が小さく息を吸い込む。
そして。
「今日もう一度ネズミーランドに行くわけにはいかないでしょうか?」
……俺の貯金は空になった。
「うへへへへ。うへへへへへ」
なんだか奇怪な笑みを浮かべている優紀の頭を撫でながら、帰りの電車に揺られる。よっぽど楽しかったらしい。帰ったときのことを考えて憂鬱なのは俺だけのようだ。
優紀を自転車の後ろに乗っけて、家に帰る。車がないので、両親ともに仕事に出かけてまだ帰っていないようだった。助かった。
「……おい、降りろ」
「え? あ、うん」
目をこすっている。
「兄ちゃん」
「ん?」
「動けない。おんぶ」
「……」
「疲れた。ねむい」
あー、はいはい、わかりましたよ。おんぶですね。
「うえ、重っ」
殴られた。どうにかこうにか扉を開け、家に入る。優紀の部屋は二回なので、階段を登るのが少し辛かった。俺の背中ですでに寝息を立てていた優紀をベッドに下ろす。それから自分の部屋から竹刀を持ってきて、リビングで親父達が帰ってくるのを待った。
先ず母親が二時間くらいで帰ってきた。俺を見るなりビンタをかました。あたしの娘を誑かして!みたいなことをかなりヒステリックに言う。どうでもいいが「誑かす」という単語をリアルで初めて聞いた。お母様は昼ドラがお好きらしい。……仕事人間だから昼ドラ見てるわけないが。
なんでそんなに大事に思ってるのにコミュニケーションが下手なのかね。
あんた、夕食時に勉強しろ以外のこと言ったことあったっけ?
自然と溜め息が溢れた。それが勘に触ったらしくさらにギャーギャーと喚き出す。ただ実際この人の娘を連れ回していた引け目があるので大人しくしておく。
もうしばらくして親父が帰ってきた。
侮蔑した目で俺を見る。スーツ姿と合わせて、なんというか威圧感がある。
「優紀を呼んできなさい」
「嫌です」
じろりと威嚇するような目で俺を睨む。
高校生だった頃の俺はこの目が嫌で嫌で仕方がなかった。恐かったし、蔑まれているようで、辛かった。だけどどうやら今の俺からすれば大したことがないようだ。ジギギギアやカサナカラと比べれば迫力が足りない。何回もあいつらに殺されかけたからなぁ。
胸ぐらを掴まれる。その腕を掴み返した。俺は剣道をやっている。県大会くらいには出たことがある。長いことスポーツとは縁のない親父に、よほどのことがない限り力比べでは負けない
少しの間、睨まれて親父は「座れ」と言った。
親父が手を離したので俺も離した。
母親とあわせて三人でテーブルを囲む。
「なにか言い訳はあるのか?」
と、訊かれたので事情を話した。
優紀が学校でいじめられていること。
気分転換になればいいと思って連れ出したこと。
転校させたいこと。
親父達はとりあえず黙って聞いていた。けれどそのうちクスクスと笑い始めた。
親父によると「いじめなんかで不登校になるやつは心の弱い人間」なんだそうだ。それから「耐えてこそ本当の強さが身につく」んだってよ。
ああ、この人たちとは根本的に思考がずれてるんだ。きっと親父達の言うことには一理あるのだろう。耐えることで身につく強さだってあるのだと思う。だけど親父達はあのだらんと首の伸びた優紀を見ていないのだ。優紀がどれだけ学校で苦しくて辛い思いをしているのか、知らないのだ。
俺は立て掛けてあった竹刀をとった。
「なにがおかしいんだよ?」
親父の横っ面を叩く。
部活以外で竹刀で人を殴るのは、……あの世界での経験を除けば初めてだった。
母親の悲鳴が小さく聞こえる。
何か叫んだ親父が飛びかかってきたが、腹を突くとすぐに蹲った。反射的に急所に行ってしまったらしい。透明な液体を床に吐いていた。
「どこか遠くへ引っ越そう。考えといて欲しい。あとこんな方法しか取れなくて、ごめん。ただ優紀を無理矢理学校に行かせようとしたら、今度は無事じゃ済まさない」
そんなこんなで。
俺と優紀は親父達が地方に借りたアパートで、二人暮らしをすることになった。
優紀は新しい環境に馴染めるか不安だったものの、今は楽しそうに学校に言っている。
逆に俺は学校に行かなくなってしまった。
バイトしながら遊んで暮らしていて、親父達に電話でせっつかれている。
ある朝、八時頃に目を覚ました俺が寝床を出ると、丁度優紀が玄関で靴を履いていた。俺に気づいて振り返る。
「いってきます!」
眩しいような笑顔を、ようやく俺は守ることができたのだった。




