悲鳴と共鳴と汚れた魔剣 6
ふわりと宙に浮かんだ十五本の剣が時速三百キロメートル超で加速してシャルルのいる一帯に向かう。シャルルは雷を剣の一つに絡みつけさせ、電磁石と化させて周囲の剣をひきつけようとする。
が、軌道は変わらなかった。不意をつかれたシャルルの腹を一本の剣が貫通する。体を捻って他を無理矢理にかわす。腹の傷から血が噴き出る。
「刻鳴士を相手にするのに鉄製の剣なんか使うかよバカが。それよりなんでロットウェル殺したんだよハゲ。死ねよ」
『竜臥断鱗巻』が二重発動し、巨大な竜巻が形成される。短剣が無数に風に乗って渦を巻く。磁力で防御できないシャルルは、接近する短剣を片方だけのブレードで弾きながら電属性の上位魔術を発動しようとする。だが殺戮する風はシャルルの防御よりもはるかに速かった。背後から肺を貫かれ、側面から足を貫かれ、首を振って脳へは避けたものの、肩を抜かれ、首を掠め、腹に穴が空く。
抵抗に放たれた電撃は風圧によって軌道を歪められ、圧縮魔力弾は空気の噴射で逃げるアイバの影でさえ捉えることができない。溜めに時間のかかる上級魔術は痛みで発動を阻害される。
対人間戦で単体に密集する形で発動されたソードフィールドは強力すぎた。『雷と等速で訪れる弓矢 (ライトニングデス)』と異名をとる大陸最強クラスの魔術師を足元にも寄せ付けない。
無論これは相性の問題だ。
リグム=フェン=ナイトロールならばなんらかの手段でソードフィールドを打ち破ることができただろう。だがシャルルは防御系統の能力が回避に偏っている。暴風と刃の嵐の中で、シャルルは自由に動けない。そして雷撃系には竜巻を突き破れるだけの物理的な破壊力がない。アイバの計算づくの攻撃だった。
膝をついたシャルルの脳を狙って二本の短剣が飛ぶ。電撃が飛ぶ。短剣がわずかに逸れて、シャルルの両脇に突き刺さる。磁力で吸着する金属には鉄、ニッケル、コバルトなどがある。吸着しない金属は主に銅、アルミニウム、ステンレスだ。それらの金属は磁力に対してわずかに反発を示す。強力な磁界を作り出して剣を吸着ではなく反発させて逸らしたのだ。だが磁界を構築するまでにシャルルは血を流しすぎていた。短剣による攻撃は効果が薄いと断じたガーレが『気訃璃嶺流』に術式を引き換える。血を吐きながらシャルルが、『雷撒繭擦走鳴』を真上に向けて放つ。桁外れのエネルギーを持つ電気が空気を引き裂いて下向きの気流を吹き飛ばす。潰れるのは防いだが、接近してくるガーレを前に、ブレードを掲げるのがやっとだった。衝撃を受けて銃が地面を転がる。続けて放たれた圧縮空気で加速された掌底がシャルルの喉を砕いた。
「なあなんでロットウェル殺したんだよ答えろよくそ牝ねこ吐くまで延々と刻み続けてやろうかさっさと吐いたほうが身のためだぞ殺すぞ」
シャルルの指先に剣の切っ先が刺さる。抜かれて、一寸ほど動いてまた降りる。寸刻みで長剣の刃が動く。赤黒い血と肉が露出していく。
シャルルはなにか言おうとしているが喉が砕けているから声にならない。全身が痙攣している。一分も放っておけば失血多量で死ぬはずだ。
刹那、アイバの背後に影が振ってきた。
「るうおおおおっ!」
ラクシェイムだった。アルテアが雷撃を受けたために式神の拘束が弱まったらしい。
振り下ろされた剣の元にアイバはいない。完全な不意打ちだったにもかかわらず、圧縮空気の噴射で遠く離れている。ラクシェイムから黒い肌が伸びて、すでに生きているかあやしいシャルルの全身を覆う。
「なんだよ邪魔するなよ。それ庇う理由でもあるのかおまえも死ぬか?」
ガーレは無造作に距離を詰めてくる。
「貴様にはわかるまい……! お前は魔物だ。打算と鋼鉄の力で命を貪るだけだ」
「何? 恋心とかそっち系か? とりあえず邪魔だから死のうぜ」
アイバの手元から剣が加速する。
ラクシェイムの全身を青黒い肌が覆う。
悪魔化の寸前で後方に黒い波と、左右に銀の波を見つける。帝国と、シャルトルーゼの兵だ。誰かが勝手に兵を動かしたのだ。
「全軍引けっ!」
ラクシェイムが叫ぶ。が、恐怖をかき消すための兵士たちの吼え声が、彼の声をかき消した。「これでは……」ラクシェイムが呟く。「これではガンドラの戦役の二の舞ではないかっ!」ソードフィールドが歪に軌道を変えた。「邪魔をするな」静かなアイバの声。広範囲に広がった竜巻が兵士達を飲み下す。
数瞬して、急所を貫かれた両軍の兵士が次々に死んでいく。
誰にもどうすることもできない。剣を迎撃しようとすれば不規則な風が嘲笑うようにそれをかわす。そして兵士達は死角からの時速三百キロの攻撃を回避するすべを持たない。戦嵐に死が吹き荒れていく。
「おおおおおおおおっ!」
この男は絶対に殺さなければならない。確信したラクシェイムが斬りかかる。鋼と鋼が激突する高い音が空気を揺らす。膂力差によって弾かれたアイバがわずかに後退。リーチの長いラクシェイムが前進しながら剣を振るうが、圧縮空気を噴射して逃れたアイバの軌跡を追うだけだった。アイバが地面に足をついて停止。ラクシェイムがさらに前へ出る。と、急激な悪寒に襲われて頭を下げた。コンマ数秒だけ遅れて超高速で撃ち出された剣がラクシェイムの顔のあった位置を突き抜けた。
柄から圧縮空気を噴射して、切っ先を加速させたのだ。
ラクシェイムでなければ確実に死んでいた一撃だった。
アイバの側面に回ったラクシェイムが、密着した間合いで横薙ぎの斬撃。だがアイバに到達する前に何かにぶつかって止まった。アイバの左手が『速離源力』によって翻り、ラクシェイムの右手を叩いていた。
(こいつ、振り向きもせずに……?!)
正確には振り向くための時間的余裕がなかっただけだ。逆にラクシェイムの死角から、側頭部に軍靴による蹴りが叩き込まれた。脳震盪を起こしてラクシェイムの膝が撓む。無理矢理後ろに下がろうとする。投擲された短剣がラクシェイムの右肺を貫く。続く横薙ぎの斬撃は剣を掲げて受け止めた。ラクシェイムが足を狙って下段蹴りを繰り出す。ガーレが後方に逃げる。ラクシェイムが追う。
ラクシェイムはみしりと脳髄が軋むのを感じた。魔剣を長時間使いすぎている。この戦いを楽しんでいる自分が確実に、ラクシェイムの中にいた。戻れなくなる。
――それでもかまわないと思った。
魔剣の侵食を受ければ受けるほどに、ラクシェイムは強くなれる。
だからこれでいい。
剣と剣がかち合う。ラクシェイムの放った逆袈裟の斬擊が、アイバの体重を持ち上げる。好機と見たラクシェイムが剣を突き出す。が、アイバの上半身が不自然に曲がって、剣は空を穿つ。それからさらに不自然に上体が前のめりになる。(姿勢制御まで『速離源力』だと?!)脇を締め、肘を盾にして次の一撃を防ごうとした。が、アイバの攻撃はそのわずかな動作よりさらに速かった。
「いや、飽きたから死ねよ」
おそろしく軽い響きだった。
ぶちん。と内側から繊維の引きちぎれる音がした。
「……え?」
ラクシェイムの胸のあたりをみると、アイバの手首が胸を突き抜けていた。引き抜かれると同時に心臓が抉り出される。膝をつく。脳が明瞭に動いていることがなんだかとても奇妙だった。
「?!」
弾かれたようにアイバが飛び退く。心臓の穴から腕が伸びていた。「おでのだ、がえぜ」くぐもった声がラクシェイムの喉で言う。アイバの手から自分の心臓を掴んで、引き戻す。
「なにが魔物だよてめえも充分化物じゃねーか」
拡散していたソードフィールドが一斉にラクシェイムに向かう。貫通、貫通貫通貫通。ラクシェイムの躰が穴だらけになって突き抜けるが、黒い糸のようなものが即座に傷跡を塞ぐ。
刃では効果が薄いと判断しダウンバーストを展開、ラクシェイムの体が気圧に押しつぶされてへしゃげたカエルのように地面と一体と化す。が、気圧の鎚が止むと、即座に再生。無数の触手が伸びる。
「きしょっ?!」
アイバが圧縮空気の噴射で飛び退く。触手が他の帝国兵や、シャルトルーゼの兵士に向かう。次々に黒い渦のような体内に飲む込み、平らげてゆく。近づくものを無差別に喰らい尽くす。
魔王アゼル=アグアの討伐にラクシェイムが加わらなかったのはおそらくこれが原因なのだろう。敵味方関係なく襲うこいつを、作戦に組み込めなかったのだ。
そして現状のラクシェイムの対策もまた簡単なもので済む。その場を離れればいい。あとは周囲に人間がいなくなるまで敵味方問わず勝手に被害が広がるだけだ。だがアイバはそれを選ばなかった。シャルルの生死を確認していないからだ。
倒せないわけではない。アイバの持つ最強の攻撃術ならばラクシェイムを地上に存在し得る最小の点となるまで押しつぶすことができる。ただ乱戦の中で発動することは不可能に近い。
『気散絶息圧』を発動、空間中の酸素量を著しく減退させる。数人の兵士が窒息で地面をのたうっているが、ラクシェイムは平然としていた。予想はしていたが、悪魔の肉体にはこの手の絶息術式は影響が少ない。アイバとしても斬撃や気圧での攻撃が通用しないから試してみただけだ。
間合いに入った触手だけを機械的に打ち払う。圧縮空気の噴射を切っ先に受けた時速300キロの斬撃がアイバの間合いを絶対の領域にする。
互いに有効打こそないが、人間には疲労の蓄積があり、悪魔にはそれが薄い。
不利だな、とアイバははっきりと感じ取る。しかし別に引く理由にはならなかった。アイバはもうどうなってもよかった。死ぬならそれまでだ。消極的な自殺で、構わないと感じていた。
戦況を変じさせる要因は、帝国側から打ち出された。
アイバは風属性の魔術師、『風向士』だ。字の通り、空気の流れる向きを操る術者である。
遠くの空気に異変を感じた。
(なにか、くる……?)
ソロバリクで一先ずラクシェイムの間合いを離脱。
竜巻を構築。なにかあったときのために自分の周囲だけをガードする用意をする。約十秒後にそれはやってきた。膨大な土煙を上げながら、空気を歪ませてくる。
「フィーリア=オーンの“地獄の唄”?!」
それは瞬く間に戦場を覆い尽くし、すべてを消し飛ばした。




