悲鳴と共鳴と汚れた魔剣 1
――殺される覚悟のあるものだけが殺せ。そんな絵空事を本当に信じているのかい?
勇者 ジュレス=セルル=ナイトロール
アルテア=アーク=マジックキルは欠伸を吐いた。彼は決して真面目な性格ではないが、一応帝国騎士筆頭の称号を持っているだけに、連日行われている会議に参加しないわけにはいかなかった。机の上でごちゃごちゃやるのは大事だが、それがただの権力闘争ならば話は別だ。
“王国に宣戦布告すべきだ”
というのがその会議の内容である。
帝国の現皇帝はわずか八歳だ。もちろん政治のことなど何もわからない。よって実権を握っているのは元老院のジジイ共になる。帝国は基本的には民主主義をとっている。上院と下院があり、下院では選挙によって国会議員が選ばれる。しかし貴族制の上院に関しては選挙もクソもなく、半自動的に資金と権力のある貴族が選ばれる。そして上院の決定は下院に対して優越する。元老院と呼ばれているのは、この上院の中でも一部の特権階級の会のことだ。上院の過半数以上に影響力を持っているため、元老院の決定はほぼ議会の決定に等しいのが帝国の現状である。
アルテアには元老院のジジイ共がどうして主戦派に傾きだしたのか、いまいちよく理解できなかった。意図的に隠しているのだとは思うのだが、どちらかといえばアルテアは元老院派の人間だ。だから自分にまで隠す意味がいまいちわからない。そのあたりを明かしてくれたほうが圧倒的に動きやすいのだが。アルテア自身が疑われてるのかもしれない。
「オレ個人としては時期尚早だと思うけどなぁ」
元老院の構成員共には能力がある。それだけに心酔するものたちは多い。だがアルテアは違う。アルテアは長いものに巻かれているだけだ。戦争自体に反対する気はさらさらない。自分の点数稼ぎにも戦いは丁度よかった。大義のある戦争ならばもう少しよかったが。
相手が大きいか小さいかは問題ではない。自分は生き残るのに必須の幾つかの能力を持っている。ただし元老院が自分を切るのが先か、アルテアが元老院を見切るのが先か、彼にはよくわからなかった。元老院に切られた自分の義弟を思いだして、アルテアはもう一度欠伸をする。
その義弟――ガーレ=アーク――はアルテアの実弟を殺してアーク家に入った人間だ。元々アルテア自身は彼を好いていたわけではない。戦力としては認めていた。ガーレ=アークは本当によく殺した。小生意気でいけ好かないやつではあったが、戦局を幾らか有利にしていたことはたしかだった。それでも切られた。点数稼ぎなど本当は無意味なのかもしれない。
「裏切るならいまかなぁ。ねえ、どう思うよ、フィーリア」
両手足を鎖で繋いだ女に向けていう。女は返事をしなかった。ああ、そういえば喉を潰したんだったと、アルテアはついでのように思い出した。
フィーリア=オーン=ブラックボイスはアルテアからすればあまりにもアホな魔術師だった。小国ながら数十万の軍事力を誇るヒノモトとの戦いの最中に彼女の姿はあった。長い金色の髪を持つ、あまり美しくはない女だった。目つきは妙に鋭く鼻は大きく口元は少し皮肉気に歪んでいた。誰もを敵視し続けてきた顔だった。アルテアはそういう顔の持ち主を何人も知っている。平民出の兵士には多かった。ただ魔術師になれば権力を笠にきてその顔はいつも奇妙な誇りで自慢げに歪んでいく。自分がよければそれでいいのだ。
フィーリアだけが魔術師となってもまだその敵意を維持し続けていた。
そして彼女は途轍もなく強かった。まともなコンディションなら王国最強と言われていたリグム=フェン=ナイトロールとも対等な勝負ができたはずだ。アルテアなど足もとにも及ばなかった。
戦争の先頭にあってその歪んだ敵意はよく目立った。彼女が一声吼えればその前を歩ける者は誰もいなかった。彼女の唄は聴く者を地獄に落とす。無人の野を行くがごとく、誰も彼女の歩みを止めることはできなかった。
彼女の部隊は孤立していた。集団で戦闘する必要がなかったからだ。飛んで来る魔術を防ぐことができれば、彼女はほぼ単独ですべての戦いに勝利することができた。
元老院が彼女を切り捨てる決断を下し、アルテアがその命令を受けたのは、彼女がある戦場で少年兵を助けたからだ。捕虜となった少年兵を、帝国の兵士らが弄んでいたのを見ていられなかった。味方を十二人負傷、及び絶命させてフィーリアは少年を救い出し、少年は逃げ出して武器庫に侵入し爆薬を使ってさらに三十八人を死傷させて自身も死に絶えた。
彼女を強力に庇った上官もいた。元を正せば捕虜を嬲っていた帝国の兵士の問題であり、彼女の行いは正しかった。だが正しいからといって、三十八人の傷が癒えるわけでもない。処罰に対して抵抗する者は、帝国騎士の筆頭たるアルテアが出張れば引っ込まざるを得なかった。
敵なんて庇わなければよかったのに。
心底アホだと思う。けれど心のどこかで彼女を眩しく思っている自分がいることにもアルテアは気づいている。
「いろおぼいぎおろでば」
「ん? 何? わかんないんだけど」
本当はだいたいわかっていた。彼女は「一思いに殺せば?」と言ったのだ。そんな勿体ないことはしない。彼女はアルテアの最後の切り札なのだから。
誰かがアルテアの部屋の扉を叩いた。「どうした?」鍵を開けずに声だけを返す。誰かは「リフテイン閣下がお呼びです」とやや硬い声で言う。
「わかった。ありがとう。すぐに向かう」
扉から気配が離れていく。それを確認してからため息をつく。
「それじゃ、行ってくるよ。部屋の中の物は一通り好きにしていいよ。ただその鎖は千切ろうと思わないほうがいい。オレの自信作だから」
ぎり、と歯を噛む。
気にせずアルテアは部屋を出て行く。