外伝・傷痕を残して 1
―-炎の日がはじまった。心も体も金も人も夜の闇すら燃え尽きて、なにもかもが灰と化した。誰も何も手にしなかった。一面の荒野と灰となった勇者を吸い込んで、私はこの日を喜んだ。
詩集『デイブレイク』より 作者不明
「誇り高き王国の兵よ。王国と民の明日のために、屍の山を築け! 代わりにたった一つ、魔王ジギギギアの屍が我々の積まれるだろう!」
そんな感じでリグム=フェン=ナイトロールの演説が終わった。俺は半分も聴いていなかった。どうやって逃げるかを頭の中で必死に考えていた。『魔王を倒すために協力しなければ、王国軍の総力を持って殺す。』こんな脅し文句で無理矢理連れてこられて、しかもあの演説だ。付き合ってられない。
しかもすでに数千人が魔王と戦って敗北しているらしい。正直、狂人共の自殺だとしか思えない。頭が悪い軍隊の神風特攻に、加わってやる義理も義務もなかった。
出撃の前に士気を高めるための演説で死ね、と言われてなお、兵士たちの双眸が鋭く前を見据えているのも気に食わなかった。いったいどんな教育してるんだか。お国のために死ね。なんて俺は絶対ごめんだ。例え戦わなければ国が滅んだとしても。
不意に耳元で小さな声がした。
「と、ここまでが建前だ」
リグムの声だった。風属性の魔術を用いて特定対象の鼓膜だけを正確に揺らしているのだ。
「最初に言っておくが、総統派の人間はこのことを密告するのも告発するのも自由だ。ジギギギアの武力を十二分にわかっている賢明な諸君は、僕の力なしではどうにもならないのはわかっていると思うが」
……こいつはいったいなにを言っているんだ?
「単刀直入に言おう。逃げてくれ。今回の作戦の勝率は、多く見積もって三割程度だ。例え勝ったとしてもそれも部隊の八割近い人数が死亡する。そんな愚かな犠牲は必要ない。今回の作戦は軍部がバカな上層に、王国軍の独力ではジギギギアを倒せないと理解させるためのパフォーマンスでしかないんだ。わかるかい? 必要とされている君らの全滅なんだ。僕らの行動は正しく自殺にすぎない」
壇上から降りたリグムの代わりに、軍部総統が激励の言葉を掛けるが、誰も聴いていなかった。呆気に取られて総統派のやつらですら、総統とリグムを交互に目で追っている。
「王国を出てから、ジギギギアと接触するまでの道程がチャンスだ。総統の目が届かなくなる。家族を連れてシャルトルーゼかパピュス自治区に亡命しろ」
「リグム様は?」
誰かが、同じように鼓膜を揺らす。
「もちろんジギギギアと戦うよ。二割だろうが、三割だろうが、僕が戦う限り勝率は残るんだからね」
「わ、我々は、邪魔ですか?」
「……ああ、邪魔だ」
それが嘘なのは丸わかりだった。リグムは強いらしい。だがジギギギアとやらはもっと強いらしい。どんな策を立てているのか知らないが、圧倒的な力の前にゴリ押されるのがオチだろう。呼び出されたばかりの俺にわかるのだから、この場にいるやつらのほとんどにそれは伝わったはずだ。
それからしばらくして、総統様の演説が終わってから俺達の部隊は、王国を出た。
ジギギギアが魔物を率いて待ち構えているのは、ここから南西に六十キロ程度の場所だ。あちらからもこっちに向かってきているので、いまでたら午後には衝突することになるだろう。
「あの、リグム様……」
やがて一人の兵士がリグムの乗った馬に近づいていった。二十台後半くらいの、まだ若い男だった。
「ん? なんだい?」
リグムは首だけをまわす。「おっと」不意にリグムの乗った馬が大きく体を揺らした。操馬術はどうやら得意ではないらしい。
兵士はしばらく俯いて黙ったあと「私は、離隊します」と言った。
「そうか。あなたは家族は?」
「います。先月婚礼の儀をあげたばかりの妻と、腹に娘が」
「子どもができたのか! ならパピュスの砂漠は酷だろうね。シャルトルーゼはいい場所だ。長生きしなよ」
「どうしてリグム様は逃げないのですか」
「僕が現総統と同じ穴の狢だから。逃げたら申し訳が立たないだろ。それに君らは『王国最強の魔術師』である僕がやられたから、散り散りになって逃げた。が成立するけど、僕はそれが成立しないじゃないか」
「私が言っているのはそうではなく、リグム様ならば王国軍を敵にまわしても充分に渡り合える力量をお持ちではありませんか」
「……そう言われたら困るような気がするけど、まあ倒せる手段があるならやったほうがいいだろ?」
「っ……。どうしてあなたはそうなのですか」
「どうして。って言われても、僕は死ななくていい人間の命を諦められないんだ」
なにを言ってるんだろう、こいつは。
「軍法違反だ!」
誰かが後ろから叫んだ。
「貴様らはなぜそいつを殺さない?! やらないなら退け。俺がやる! その無能を殺してやる!」
「なぜ僕を殺そうとしないのか。決まってるじゃないか。死にたくないからだよ」
リグムは余裕の笑みさえ浮かべる。
「意思疎通もできていない中隊が一つ動いたところで僕は殺せないよ。なんならやってみるか? ぼっこぼこにしてやるよ。命令違反が気になるなら僕と一緒にこい。ジギギギアを殺そうぜ」
男はそれ以上なにも言わない。王国で最大最強の魔術師の血族である、ナイトロール家の中で、さらに最強であるリグムと自分のあいだにある惨酷なまでの実力差を考えているのだ。
「来たいやつはきていいよ。でも間違いなく地獄になる。来たやつは勝っても負けても死ぬと思ってくれ。それくらいの覚悟のあるやつしかいらない。ああ、散るにも号令がいるか。じゃあ、解散」
短いざわめきが起こった。それからぱらぱらと人波が割れていく。
「アイバ。君だけは付き合ってもらうよ。君がいないと勝率がゼロになってしまう」
俺は黙って兵士が散っていくのを見ていた。数人が残ったが、それももう少し残ったあと、いなくなった。さっき吼えた男が、鋭くリグムを睨みつける。自分が少数派であることに気づいてやや呆然としているようにも見える。
「俺は、あんたを恨む……!」
それだけを言い放ち、くるりとリグムのほうに背を向けた。さっていく。足取りは重く躊躇っているようにも見えた。
「いいのかよ?」
「いいんだよ。自分の命を賭けるのに、誰かに命令されたからなんておかしいじゃないか」
俺は驚く。こんな、俺の価値観からしてまともなやつが、別の国で別の世界で別の育ち方をしていて、いるとは思っていなかったからだ。
「いいよ。付き合ってやるよ。正直俺はおまえのことが嫌いで嫌いで仕方なかったんだが、結構好きになれそうだ」
「……よかったよ。君が協力的かそうでないかで、勝率が十パーセント近く変わったからね」
「かわいくねーやつ」
「よく言われるよ」
俺達は馬の足を正面に向けた。
同時に、魔王の顔がそこにあった。片頬だけが歪に笑んだ口元、見開かれた目、燃えるような真っ赤な髪をした顔中火傷まみれの女。ジギギギア=ギギガガ=ガギゾだった。いつのまに? とか、なぜ? とかそういうのよりも先に強烈に湧き上がってきたのは、目前の死への恐怖だった。
ばちい。となにが弾ける音。ジギギギアは苦痛に眉を寄せて後退。背後にあわられた鉄柱に磔になる。
「肉体の構成原子をすべて電子と陽子と中性子まで分解して射出し光と同じ速さで飛翔する『光叢移衝天骸速』の術式は対策済みだよ」
肉体を再構成したジギギギアが首を四十五度傾けたままリグムを見る。目玉がぎょろっとしてて恐い。対してリグムのエメラルド色の双眸には感情が映らない。俺は当初の作戦通り、ビック・クランチを起こすための術式を構成。自分の身体を電子レベルで分解して、周囲の元素を取り込んで再構成できるジギギギアには、これ以外の攻撃はほとんど効果がないのだ。いや、効果がある術式は探せばあるのだろうが、『光叢移衝天骸速』のせいでそもそも当てることができない。逆に電子化しているからこそ、鉄柱に磁力を持たせて拘束したり、進路を歪ませたりすることくらいはできるのだが。




