そして超越者達は魔剣を振るう 1
――夜よ、明けてくれるな。悪夢を悪夢のままに、陽の光によって醜い現実を照らしださいないでくれ。死と汚臭と屈辱にまみれた我々の姿をどうか隠してくれ。
悪魔 クエイツ=クーレクィン 『拷問記』
その王立図書館は、ライムラントの小さな国土面積の六十パーセントを占めている。
十五階建てで居住スペースまで設けられていて、ライムラントが本の国と呼ばれる由縁はそのあたりにあるんだそうだ。納められている蔵書には、高い物では一冊数億の価値があるとか言われていて、それだけでも侵略戦争が起こりそうな物だった。が、シャルトルーゼと違い帝国はライムラントには一切手を出していない。大陸最大の軍事力と資金力を持つチェインジュディス王国とも外交が割れれば強硬姿勢を辞さず、「常刃の国」と呼ばれた東方のヒノモトに数十万の被害を出しながらついに陥落させたクセルゼス帝国が、ライムラントを侵略できないのは一重に帝国の成り立ちに影響している。
クセルゼスは王国や、南西の海岸沿いに位置するガルドメイス獣共和国に比べれば、魔術的に後進国だった。元々東方にはそういう国は多いのだが、剣や槍での闘争技術が発展し魔法技術は生活基盤の一部にしかなっていなかった。そこへやってきたのがライムラントの一人の魔術師だった。彼が魔法技術を伝え、クセルゼスは体術や剣術と魔法を組み合わせた独自の戦闘技術を確立し、まだ剣や槍のみの闘争技術を用いていた周辺国を瞬く間に制圧した。経済や貿易の理由から長い時間をかけて多くの国家が結びつき生まれた王国と違って、歴史上他に類を見ないアホみたいな速度で領地を広げてクセルゼスは王国や獣共和国と等しい位置を手に入れたわけだ。
で、その魔術師はまだ存命らしい。今年で六百八十二歳になるそうだ。
あらゆる寿命の問題を魔術で解決して生き続けている化け物だ。
おそらく生体系の魔術師なのだろう。
彼が死んだときがライムラントの最後の日かもしれない。
「……ふうん」
たったいま本で仕入れた知識を賢しげに語ってみた。
『帝国史』の本を棚に戻す。
歴史書に飽きてきたので娯楽本でも読もうかなと思い、上下稼動小室に行く。八階のボタンを押すとゴーと音を立てて上の滑車が魔力を動力に回転、太い紐で繋がった小部屋を上に引き上げる
適当な本を一冊手に取り、窓際の陽のあたるとこに座って読んでいると、歩き方が他とひどく違う少年が俺の斜め後方九メートルからやってきた。視界外の情報はシャルルの『電凱波』を参考に空気の揺れを感知する術式を組んでみたから得られたのだが、伝わるのが遅くて戦闘には使えないな。これ。
「……」
俺は本を閉じた。跳躍する。窓をぶち破って向かいの民家の屋根に、風を噴射して衝撃を緩めながら着地。一刹那遅れて、なにかによって破壊された、俺の座っていた椅子と机の残骸が追随する。物理的な破壊力を持った術式は風、水、土、鉄の四つ。水平方向への風系の魔術では「破壊」は難しいし、鉄系は比重が大きいせいで射出することが苦手(狙窪除穿都撃などは数少ない例外)で、大質量を展開しなければ大きな破壊はできないし、大質量を展開すれば流石に攻撃前にもっと大きな空気の揺れを感じたはずだ。それにアゼルのような魔王でもない限り、刃を生み出して斬ったほうがよっぽど効率がいい。十中八九、土属性か水属性のどちらかに属する魔術だろう。
剣を抜き、八階の窓を見る。
フードを被った少年が俺を見下ろす。害虫を見るようなひたすら無機質な目だった。唇が動いたので『聴爾覚』を使うが「ぽいうytれwqlkjhgfd」意味不明な音を拾うだけだった。
少年の背後から九筋の「流臥水 (リグレ)」が展開、内部で高速流動する蛇のように細い水の鞭が上と左右に分かれて俺に迫る。
「下級魔術の九重発動だと?!」
いくらライムラントが魔術研究の盛んな土地だとしても、人間の限界値を軽く超えている。「ガンドラに吹く殺戮する風」らしい俺でも四重発動が限界なのだ。
悪魔か……?
考えている暇はなかった。迫る鞭を『速離源力』で風を噴射し後方に跳躍して逃れる。俺を見失った鞭が屋根の上に無数の穴を開ける。空中の鎌首を擡げ、再度飛翔。こんな街中でやるってか? 時間さえ稼いだらライムラントの守備部隊が片付けてくれるだろうが。「……」真下を見下ろすと一般人がわけもわからず俺たちを見上げている。早めに制圧したほうがいいだろう。
あちらも長期戦をする気はないらしく、『流臥水』の一つに足を乗せ、水の鞭に乗って間合いを詰めてくる。空中戦には風属性の俺のほうが有利なはずだが、悪魔を相手にはその手の常識は通用しないと思ったほうがいいか。そもそも『流臥水』に乗って高速移動するなんて俺は聴いたことがない。
網の目のような水の合間を抜ける。
速いのは速いし立体的な攻撃ではあるが、アゼルの『鉄脅槍』ほどの速さではないし、リグムのような波状攻撃でもない。空中で自由に加速、減速できる俺にとってはそう辛い攻撃でもない。
水属性の特徴は八属性でも最大級の攻撃力を持つことだ。しかしそれと裏腹に防御力と機動力が皆無に近い。間合いに入ってしまえばこっちのもの! 俺は喉元に向けて剣を突き出した。
少年が水の軌道から吹き飛んだ。八階の高さから落下する。フードが剥がれ、藍色の髪が宙を舞う。引き換えとして俺の剣が折れた。
「……は?」
水の鞭が四方八方から襲い掛かってくるのを真上に風を噴射し、下方へ加速。少年を追う。
前述の通り、水属性には防護術が存在しないはずだ。なら剣が折れたのはなぜだ? 超高速で回転する水の刃で切られた? いや、たしかに硬い物を突いた感触があった。手首が痺れている。少年の喉は硬化して切断力に抗ったのだ。となると回答は一つ。
(自分の体を凍結させて斬撃を防ぎやがった……!)
人間がやれば凍結した細胞が壊れて修復不能になる。人間は思いついてもできない。触れたものを瞬間凍結させる水属性氷結系下級『凍事傷 (トルセウ)』を用いた悪魔ならではの防御だった。そして近接戦闘に憂いがなくなってしまえば水属性の攻撃力は、やばすぎる。
鞭が垂直に伸びた逆向きの瀑布に変化。三百六十度、俺を包囲する。掠められた民家の屋根が俺の前方で塵になる。三百メガパスカルほどの高圧で水を噴射すると鋼すら斬りとばす刃ができあがる。水属性中級『水削蓬断神 (スラシレン)』だがこれほどの大規模展開できる術士を俺は知らない。あと数秒で隙間が閉じられ俺は死ぬ。
だがどんな攻撃魔術でも術者を殺せば止まる。そして速度の領域で風属性に勝る魔術は、雷の他に存在しなかった。俺は『速離源力』の速度のまま折れた剣を叩き付けた。『凍事傷』のよる防御を行おうとした少年の目が驚愕で見開かれる。剣は柔肌に深く食い込んでいた。
沸点と融点は気圧によって変化する。高気圧化では分子の動きが押さえつけられ融点が低くなり、沸点が高くなる。低気圧化では逆の現象が起こる。
風属性中級『気散絶息圧 (キサゼイツ)』の術式が空気を周囲に吹き飛ばし、限定空間内の気圧を引き下げたのだ。低気圧化では充分な硬度を得られる分子結合が起こらずに鉄が皮膚を突き破った。ちなみに『気散絶息圧』は本来空気中の酸素量を減らし相手を窒息させるための術式だ。その意味では悪魔の強靭な細胞群の活動を鈍らせるには至らない。
「が、ぐっ」
くぐもった悲鳴を合図に周囲に形成されていた刃の瀑布が崩れる。鮮血を散らせながら落ちていく。あとは『気訃璃嶺流』を叩きつけて終わりだ! 術式を紡ぎながら落下。地面に激突――、「?!」 しなかった。本来整えられた土の道があるはずの通りの地面には、真っ黒い大穴が開いていた。現存する最大の魔物であるサーペントウエールの直径六メートルある大口を思わせる。
「うわああああ?!」
逆噴射で逃れようとするが、さっきまで全力で順噴射していたため簡単には止まらない。無理矢理止めようとすれば慣性が俺の体を押し潰す。
俺と悪魔の少年は黒い穴に呑まれた。