79.夜、ふけて
夜、それも静まり返った深夜に、紫がかった黒髪を揺らして、商人隊の隊長、ノーベルトはグラスを2つ、手に取る。
商人としては割と筋肉質な彼が慎重にボトルを選ぶ様に、テーブルで待つ妻、レシーナは肘をついた手にもたれかかりながら目を細めた。
やがてお目当ての品が見つかったのか、ノーベルトはボトルとグラスを持って妻の隣に腰掛けた。
栓を抜かれ、ゆっくり傾けられたボトルが、暗くて澄んだ紅い酒をグラスに注ぐ。
2人はグラスをチン、と打ち鳴らして、同時にあおった。
ノーベルトは口の中を味わうように、ひどくゆったりと話し始めた。
「お前の故郷、東部には初めて行ったが…いやはや、主様には参った」
心底疲れた、という様子の亭主に、レシーナは優しく微笑む。
「主様…私は一度だけ見たわね」
「…どんな人なんだ?」
天井の木目を見るノーベルトに何気ない表情で呟かれた言葉は、レシーナをせかすものではない、そうレシーナは感じる。
だから、出来るだけ鮮明に、時間をかけて、記憶の片隅の方へと意識を向けてゆく。
「……とても、驚いたわ。本当にこの人なのか、って…」
「………………」
コポコポと、紅がグラスに満ちてゆく。
「でも、そうではない、なんて思いは浮かばなかった。…だから、確信したのよ。この水色の少女こそ、我らが仕えるべきお方だって。…確か私が2、3歳の頃よ」
コポ、と止まった音は、部屋に無機質に響く。
かといって、それが2人の間に何かをもたらすわけでもなかった。
「…そうか」
「ええ、そうよ」
どちらからともなく、再びグラスをあおる。
再びノーベルトは天井を見、しばらくして妻に軽く口づけした。
不意打ち気味な、しかし2人とっては予定していたようなそれは、久しぶりに杯を交わす2人を高ぶらせる。
「…今度は、中央北。今回はネルも連れて行くつもりだ」
「なら、数日かしら」
「…かもな」
柔らかな髪を手でとかしながら、ノーベルトは妻を抱き寄せる。
「今度は、どんなお土産かしら」
「そいつは俺にもわからんよ」
2人はそのまま席を立ち、寝室へと向かった。
「…あなた」
「何だ?」
「…早く帰らないと、漬け物が全部ネルにとられちゃうわ」
「そりゃ大変だ…」
ベッドに横になりながら、2人は見つめ合い、重なった。