お酒を摂取していないと死んでしまう体質の虹野さん
「梶くん。男性用トランクスが店頭に少ないから、倉庫から在庫持ってきて」
上司の桜子さんにそう言われ、デパートの店舗スペースの隅につけられた鉄の扉を開け、薄暗い階段を降り、倉庫に入ると、虹野さんがはっとした顔をして棚の陰に隠れた。
「……見えてるよ、虹野さん」
棚からはみ出てるそのお尻に話しかけた。
「何やってたの? サボり?」
いい度胸だと思った。紳士服売り場の販売員として入ってきたばかりなのに、もうこんな絶好のサボり場を見つけてるなんて、観察眼が鋭いな──とも。
すると虹野さんはコソコソと顔を覗かせた。見つかったのがよほど恥ずかしいのか、頬が赤い。
「あの……。梶先輩は知らなかったですよね」
泣きそうな目を棚のむこうから覗かせて、弱々しい声で言う。
「あたし……。2時間に一度、お酒を飲まないと死んじゃうんです。だから……」
「お酒を飲んでたの!? 仕事中だよ!?」
「だって……。死ぬので……」
「桜子さんは知ってるの?」
「はい……。面接の時に伝えてあります」
「うーん……」
俺は商品を取りに来たので、構わず倉庫の奥へ入った。
「何のお酒を飲んでたの?」
「あっ。ノッキーン・ヒルズ・ポチーンをストレートで」
「アルコール度数90%くらいあるよね、それ!?」
「よくご存知で」
尊敬するような目で見られた。
「これだと一口で発作が抑えられるので便利なんです」
見るとコンクリート剥き出しの床の上に黒いラベルの貼られた四角い瓶が置いてある。中の透明な液体は半分ぐらいだった。
「一緒に飲みます?」
「仕事中だよ! それにそんなのストレートで飲んだら死んじゃうよ!」
「弱いんですね……」
「ふつうだよ! っていうか見下すような笑いを浮かべるな!」
それにしても会社は何を考えているのだろう。
こんなふざけた体質の彼女を、それを知りながら雇うだなんて……。
「私……、こんなだから、車の免許も取れないし、何よりどこにも雇ってもらえなかったんです」
「当たり前だよ!」
「でも……。このデパートの支配人さんが、『差別なく働ける環境は必要だ』って言ってくれて……」
「差別必要だと思うよ! この場合はね! 車の免許が取れないのも当たり前!」
「私だって……人間なんです!」
「酔っ払って接客業やるのはまともな人間じゃないよ!」
「ひどい……! 私だって楽しみのために飲んでるんじゃないのに……」
「そこに置いてあるアーモンドはなんだよ!? しっかりおつまみも用意して楽しんでるじゃないか!」
「ツナピコもありますよ。ほらっ」
「ほらほらほら! 楽しんでるじゃないか!」
「缶ビールもありますよ。しっかり冷えてます。……飲みます?」
「誘うな! お酒は仕事が終わってから!」
「しいなここみだってお仕事中に飲んでるんですよ? この間なんて大型トラックの運転席でハンドルに足あげてハイボール作って飲んでました」
「トラックの中で寝るからだろ! 寝酒だよ!」
「仕事中のおちゃけは寝酒じゃありませんっ! お楽しみです!」
「知るかよ!」
「どうして高速道路のサービスエリアではビールを売ってないの!?」
「当たり前だろ!」
「寝る前に飲むとかなら飲酒運転にならないのに!」
「飲酒運転するバカがいるからだよ!」
虹野さんの言葉が止まった。
見るとコンクリート剥き出しの床にうつ伏せに倒れて、苦しんでいる。
……まさか、俺と喋ってるうちにもう2時間経ったのか?
大変だ! 2時間おきに酒を摂取しないと彼女は死んでしまうんだ! 早く飲ませなければ!
抱き起こし、ノッキーン・ヒルズ・ポチーンの瓶を持つと、俺は彼女の口に当てた。傾けるが、酒は彼女の閉じた歯に阻まれ、中まで入っていかない。
仕方なく俺は自分の口に酒を入れた。
口移しで飲ませようとしたが、やはり歯が固く閉じていて、中へ流れ込んでいかない。
俺は、使った、舌を。
舌で彼女の上の歯茎をくすぐると、歯が開いた。その隙間を狙って酒を流し込んだ。
「セクハラです」
目を開けると、彼女も目を開けて俺を睨んでいた。
「セクハラ以上です。支配人に報告します」
「待て! 俺はおまえを助けようとしてだな……」
「なんちゃって」
虹野さんがにこっと笑った。
「お酒が入ってるから大丈夫です。無礼講、無礼講! あーっはっは!」
相手が酔っ払いで助かった。
「とりあえずお仕事に戻りましょう。早く商品を持って戻らないと梶さんも桜子さんに叱られますよっ」
うーん……。
2時間に一度、酒飲んでるわりにはこの娘、接客態度は評判いいんだよな。あかるくてわかりやすいって。
堅苦しい社会生活の中、これぐらいのはずし方はあってもいいのかな?