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溺るるは慟哭のヴィクティム  作者: 神宅 真言
四章:祝いの宴と、剥く悪意
39/61

4-05


  *


 取り敢えずシュウコの身を清めて別の部屋に寝かせ、三人は牢のあった部屋を一通り片付けてから母屋へと引き上げた。


 全てを元通りにという訳にはいかなかったが、シュウコの私物や汚れた畳を外に出して床を水で流しただけでも幾分かましにはなった。しかしこれを機に、シュウコの生活環境を見直した方が良いのでは、とカナメは思う。あれはおよそ人間の住むような状況ではない。それとも他に何か理由があってのものだろうか──思考はぐるぐると巡る。


 匂いの染み付いた服を着替え、疲労の色濃い三人は茶と菓子で休憩を取る事に誰も異論を唱えなかった。ついでに作業をしてくれている女達にも茶と菓子を差し入れ、三人はようやく居間で人心地ついたのであった。


「すみませんが清水さん、先程見た物、体験した事は他言無用に願います。沢田さんには上手く誤魔化しておきますので、何か聞かれる事があってもそれとなく話を合わせて下さい」


 濃い目の緑茶を啜りながらカナメが釘を刺す。一気に老け込んだかのような印象の清水が、勿論です、と深く頷く。


「言いませんし、言えませんよ。まあ言ったところで誰もあんまり信じてはくれんやろうけど」


 シズクも清水も茶菓子を手作りする気力はもう尽きており、今日の茶請けは買い置きの袋菓子である。とは言え疲れた身体にチョコレートの甘さが染み渡るようで、これはこれで悪くないとカナメはまた茶を啜る。


 少し伏し目勝ちに菓子を食んでいたシズクが茶を一口嚥下すると、不安げな瞳をカナメに向けた。


「でもカナメ様、一体あれは何だったのでしょうか。かあさまにはあのような物に取り憑かれる謂れは無いように思うのですけれど」


 シズクの問いに、そうですね、とカナメは返す。


「シュウコさんを狙ってというよりは、恐らく婚儀の邪魔立てをしたい何物かが策を弄したのではないか、と自分は感じました。そうでないのならば自分達があそこを訪ねた丁度その時を狙う必要はありません」


「何物かっちゅう事は、誰かがやったっちゅうんです? イモリを使って? そんな事出来るもんなんですか?」


 清水が不思議そうに口を挟むが、カナメは緩やかに首を振った。


「それは分かりませんね。それに『誰か』ではないかも知れません。いずれにせよ、もう少し調べてみない事には……。とは言え、痕跡も残っていなさそうなので期待は出来ませんが。あの部屋は中から外へは出られませんが、逆は誰にでも、何にでも可能でしたし」


 何にせよ、とカナメは続ける。


「相手もそう立て続けには仕掛けては来ないでしょう。もし何かありましたら、どんな些細な事でも自分に言って下さい。自分が何とかします、頼って下さい。いいですね?」


 カナメの頼もしい言葉に二人の表情が幾分か和らぐ。分かりました、と揃って頷き、そして清水はぱんっとシズクの背中を軽く叩いた。


「シズク様、ほんま頼れる婿様で良かったですねえ! これならうちも安心して祝えるっちゅうもんです」


 顔を真っ赤にして視線を逸らすシズクを見遣りながら、清水は口許を綻ばせる。


「──うちはシュウコ様が結婚する前から静宮に務めて、シュウコ様がああなった後も、兄妹お二人の面倒を見て来ました。ミルクもやっておむつも替えて、乳母みたいな事までしとりました。おこがましいかもですが、気分は半分、母親代わりみたいなもんです。そんなシズクさんがこんな立派な婿様を貰うて……うち、感無量ですわ」


「清水さん……」


 まだ頬に赤みを残したまま、シズクが清水の言葉に瞳を潤ませる。


 聞けば、シュウコは出産の際に無理がたたり、脳内出血と子宮破裂を起こしたのだと言う。命は取り留めたものの、以降子供の産めない身体になり、痴呆めいた症状を呈するようになった。更に心労がシュウコをあのようにしてしまったのだと、清水は語った。


「病気で仕方無かったとは言え、手術して女の子として育てるとか……しかもそれが自分が寝込んでた間に勝手にやられていたとか、そらあ心を病んでもしょうないですよ。うちは口出し出来るような立場では無いけんね、怒る代わりに精一杯お世話させて貰うたんですわ」


「ああ、……清水さん、私、私──」


 泣き崩れたシズクが清水に抱き付いた。割烹着に顔を埋めて嗚咽するシズクの背を頭を、清水の荒れた手がそっと撫で、優しく抱き締めた。


 母のぬくみを知らぬ、母の抱擁を知らぬシズクにもたらされた、清水の最初で最後の母らしき表情──シズクはきっと一生、それを忘れないだろう。


 カナメは目を伏せて、音を立てぬよう冷めた茶を啜ったのであった。


  *


 それからは何事も無く時は過ぎ、陽が落ちて清水も女達も帰って行った。


 カナメとシズクは二人で台所に立っていた。時間に余裕がある事もあり、手伝わせて欲しいとカナメが申し出たのだ。男が厨房に入るなんてと眉をしかめる者は多いが、カナメは頓着しない性分だ。何なら弟子としてアミダの元に居た際に料理のいろはを教え込まれ、腕に覚えすら有る程だった。


 とは言え、主の部分は清水がほぼ調理を済ませてくれている。後は仕上げの一手間を加えるだけという物が殆どだ。二人は話に花を咲かせながら料理を手際良く盛り付ける。と、煮物を取り分け追えたカナメの足許できゅう、と何かが鳴いた。


「おや、安田さん。何だか久し振りですね」

 お腹が空いてるんですか、とカナメが問うと安田さんはぺこぺこと何度も頭を下げた。シズクを呼ぼうと顔を上げたカナメの眼前に、ずい、と菓子鉢のような木の器が差し出される。


「これ、安田さんの御飯です。居間だと畳が汚れますので、そちらの隅、敷居のそちら側に置いてあげて下さいまし」


「あ、はい」


 シズクの用意の良さに呆気に取られつつ言われた場所に器を置くと、安田さんはぺこり頭を下げて器の中に顔を突っ込んだ。余程腹が減っていたのか、夢中になって食べている。


「カナメ様、それじゃ私達もお夕飯に致しましょう」


「分かりました。では運びますね」


 座卓に料理を並べ、最後におひつから御飯をよそって、いただきます、と二人は手を合わせた。向かい合って二人で食べる食事は少し照れ臭く、そして不思議な懐かしさを覚えてカナメは口許を綻ばせる。


 本日の夕飯はおでん風の煮物、酢牛蒡、ほうれん草の胡麻和え、そして白飯だ。品数が少ないのは煮物に入っている食材の種類が多いからである。大根、卵、蒟蒻に竹輪、厚揚げ、じゃがいも、そして鶏挽肉の肉団子だ。昨夜の鶏がらで取った出汁の残りに醤油などで味付けしたもので、好みで柚子味噌を付けても美味である。


 シズクはやはり食が細いようで先に食べ終えてしまう。席を立ったかと思うと、おもむろにカナメの隣に座り直した。


「今日はこの後、あにさまに報告しなければいけませんので……お酒はお預けです」


「そうですね。ならば本日は風呂を上がった後に軽く一杯、寝酒を頂く事にします」


「軽くで止めて下さいましね。二日酔いになってもいけませんし、何より酔って先に寝てしまわれたら私、寂しゅうございます」


「そうなったら諦めて、安田さんと一緒に寝ると良いと思いますよ」


「もう、カナメ様ったら!」


 二人で笑い合い、そして食事を終えると協力して片付けを終わらせる。鍋や容器にはまだ半分程の料理が残っているが、それはシグレとシュウコの分だ。シグレはいつもシュウコと二人で、シュウコの部屋で夕食を摂っているのだ。


 シグレにはシュウコの事も話さなければならない。少し気が重いが、避けては通れぬ事である。今は取り敢えず鍵の掛かる空き部屋に居て貰ってはいるが、今後をどうするかは早急に話し合う必要があるだろう。


 二人がエプロンと割烹着を脱いだその時、玄関の開く音がした。ただいま、と響く声は恐らく以前聞いたシグレの物だ。


 シグレが部屋へ戻るのを待って訪問する、そう二人で決めていた。


 二人は少し緊張しながらも、互いを確認するかのように頷き合うのだった。


  *


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