キスしないと死ぬ呪いにかかったけど、ギリギリ頼めるのがお隣さんのOLお姉さんくらいしか居ない。
ある日、俺は呪われてしまった。
中学2年生、春。新たな学年のスタートだと言うのに、俺の心は非常に落ち込んでいた。
理由は最初に言ったように、呪われてしまったからだ。
先に言っておくが中二病じゃないし、最近流行りの廻戦的なものに影響されたわけでもない。俺だってバカバカしいと思う、こんな呪い──キスをしないと死ぬ呪いだなんて。
誰にかけられたかって、そんなもの決まっている。
悪魔だ。そういう物の類だ。
一応誤解を招く前に説明すると、俺は別に宇宙人やら幽霊やらを信じるようなタイプではなかった。どちらかと言えばありえないと笑い飛ばす側の人間だった。
だがそうやって笑い飛ばせたのは、あの日ポストに入っていた呪いの手紙により、実際に我が身に起きた怪奇現象を目の当たりにするまでだ。それにはこう書かれていた。
『貴様にはキスをしなければ死ぬ呪いをかけた』
『呪いは次第に強まり、貴様を死に至らしめる』
『まず、朝登校中に貴様はカラスの大群に襲われる』
『その後は学校の売店で買う惣菜パンが腐っていて腹を壊す』
『体育の時間ではバレーボールが顔面に当たり鼻血が溢れみっともない姿を晒す』
『そしてようやく家に帰り着くも、突然本棚から本が落ちたり、鳩時計が13回鳴ったり、照明が突然切れたり窓ガラスが割れたりする』
『そして最終的に──死に至る』
途中から雑になる内容に「なんじゃこりゃ」と俺も特に気にはしていなかった。普通ならそうだ、こんなもの呪いでもなんでもない。
そう思っていたんだ。
手紙に書かれていたことが、本当に我が身に起きるまでは。
「はぁ……」
俺──間宮瑛太はまだ少し調子の悪い腹を擦りながら学校へ向かっていた。
本当なら、あんな手紙鼻で笑ってゴミ箱へ捨てられて終わりだったはずなのに。
手紙に書かれていた呪いは、昨日全てそのまま書いたまま、俺に降り注いだ。
何もしていないのにカラスに襲われ、購買で買ったコロッケパンで腹を下し、バレーボールではなかったが、なんならもっと硬いバスケットボールが顔面に当たり鼻血が止まらず、家に帰ってからも、記載されていたことは全て、だ。
いくらなんでも、ここまで来るとさすがに恐怖を覚えた。まさか本当に呪いがかけられて、俺は最終的に死ぬのではないかと。
もしもこの不幸が、あんな手紙無しで起きていたのならば、ついてないだの運のない日だのと、半ば無理やり納得はできるかもしれないが、今回に限ってはそうもいかない。
どこかの誰かが、いたずらで書き、そのうちのどれかがたまたま的中することもありえるかもしれない。
だがどれかが、どころではない。全部だ全部。しかも手紙の後半に限っては俺の部屋の中を知っていないと書けないようなこともあるんだ。
「死ぬんか俺は……?」
足が重く感じ、恐怖に支配されそうだった
そんな時、俺にとって悪魔とは正反対の──天使と思える人と出会えた。
「唯華さん」
「あっ、おはよう、瑛太くん」
篠原唯華さん──俺が小学生の頃に引っ越してきたお隣さん……24歳OLお姉さんだ。
唯華さんとは家絡みでの交流もあり、その始まりは肉じゃが作りすぎちゃってと、漫画でしか見たことのないようなことから。
それからは朝は出会うと多少の世間話もするし、たまに両親がどうしても家を開けなければならない、となった時「私で良ければ」と、唯華さんの部屋で何日か生活することもあった。
その時は俺も思春期特有の跳ねっ返りで一度は嫌がったが……なんだろう、あれは包容力とでも言うのだろうか。一緒に数日生活しただけで、俺は完全にそんな気を無くしてしまった。
「あれ、瑛太くん。ちょっと元気なさそうだけど……大丈夫?」
「あっ、いや……全然元気ですよ」
顔や様子には出していなかったつもりだったのだけれど、唯華さんにはお見通しらしい。少しの変化にも気付くあたり、唯華さんの観察力が高いのか、誤魔化せないほど俺は弱っているのか。
どちらにせよ、そこで元気ないんですよと素直に答えられるほど俺は会話が上手いわけじゃない。
それに、元気がない理由……そんなもの話せるはずもなかった。
「そうなの? でも、何か困った事や相談したい事があったら、何でも言ってね」
「……ありがとうございます」
唯華さんの大人びていない、まだ可愛らしいという印象の笑顔に思わず目をそらしてしまう。
直視するには、少し眩しすぎる。さながら太陽のようだった。
その後は会社に向かう唯華さんと一緒に駅まで行き、別々の電車を待つ。
「今日も一日、頑張ってね」
唯華さんが乗る電車が来て乗り込むその間際、そう言って手を軽く振ってくれた。
少しだけ気恥ずかしかったけど、俺も手を振り返して電車に乗り込んだ。
少し邪気というか、そういうものを祓ってくれた気がする。今日は良い日になるといいな。
★★★
とはいえ、俺の悩みが解決したわけじゃない。
もっともシンプルな解決方法は、誰かとキスさえしてしまえば……というところなのだけど、それが簡単にできるのなら困っていない。
異性と限定されていないから、最悪男相手でもいいのかもしれないが、それはそれで社会的に死ぬ。
キスを頼めるような女の子がいるわけでもないから、何も行動を起こさなければ死あるのみ。
一人ずつ、なんとか頼めそうな人を考えてみる。
クラスメイトで、多少話したことのある文化部の女の子……ダメだ、本当に接点がその程度しかなくて、とてもじゃないけどキスなんて頼めない。泣かれるかもしれない。
他……これまたクラスメイトのギャルちゃん。彼女のノリの軽さや、貞操観念の低さ。これならもしかしたら、キスの一つや二つ……俺は何を失礼なことを考えているんだ。
そもそもギャルちゃんは彼氏持ちだ。そんな子にキスさせてくれだなんて、呪い殺される前に彼氏に殴り殺される。
なら担任の先生? 無理だ、まともに取り扱ってくれるわけがない。
先輩、後輩、親、祖母。
様々なパターンを考えたが、やはり思いつけなかった。
……いや、というよりも。
実行に移す、度胸がなかったのだ。
どうせ断られる、その後の取り返しのつかない空気を想像すると動き出せなかった。
どうしようもなく、打つ手なく意気消沈。
とぼとぼと歩く帰り道、俺は迫る今日という一日の終りに震える。
どうしたものか……そうやって、下ばかり向いて歩いていたから、人とぶつかってしまうんだ。
「わっ、す、すみません……あ、唯華さん……」
「あれ、瑛太くん。どうしたの、ぽけっーとしてたみたいだけど」
俺がぶつかってしまったのは唯華さんだった。片手にコンビニ袋を下げて、家に帰る途中だったのだろう。
「い、いえ……なんでも、ないです」
「……ほんとーに?」
目線を合わせて、疑う視線。
至近距離の唯華さんに、ちょっと驚き体温が高くなるのを感じた。
そんな俺の態度から何を察したのか、唯華さんは「よし!」と一言つぶやき、俺の手を取った。
「うちにおいで! さっきちょうどケーキ買ったんだ、コンビニのだけどね。一緒に食べよ!」
俺はそれを拒否することも出来ず、繋がれた手のひらの温度を実感しながら、唯華さんの部屋に上がり込むことしか出来なかった。
唯華さんの部屋に入るのは、初めてのことではない。
けれど何度入っても慣れるものじゃない。
大人の香り、ってやつか。部屋中から形容し難い、そう名付けることしか出来ない香りが漂う。
「よいしょ、と。あ、飲み物は何がいい? コーラとかもあるよ」
「え、ぁ……じゃあ、コーラ……」
飲み物とケーキを用意してくれて、唯華さんと向かい合って座る。
やっぱり、唯華さんは学校のクラスメイトや先生とは、まったく違う女性だ。俺はこの人の事を、上手く見ることが出来ない。長い時間直視することなんて出来ない。
理由は、シンプルにたった一つ。
唯華さんが、綺麗で、素敵で。
とてつもなく、魅力的な女性だから……。
「それで、瑛太くん。やっぱりなにか悩みがあるんじゃないの?」
「うっ……」
これ以上は誤魔化した方が唯華さんに失礼になる。
だけど、今俺が抱えているその悩みを言えば、また失礼かもしれない。
心配しているのに、なにをふざけたことを言い出すんだと。優しい唯華さんだからそこまでは思わないかもしれないけれど、間違いなく俺に対する意識は変わるだろう。
でも、そうだったとしても。
一縷の望みを賭けた末に、全てを失う事になるのなら。
俺は唯華さんがいい。
「唯華さん、俺……呪われているんです」
「呪われている?」
やはり、というべきか。唯華さんはキョトンとした顔をして、その呪いの内容を聞き出してきた。
呪われている、ということに関しては疑問を持たずに居てくれる事に感謝しつつ、俺は恐る恐る続きを話した。
「キスをしないと死ぬ呪いに、かかってまして……」
「ほう」
「それでそのっ、いや根拠もあって、根拠ってか証拠というか、いやほんと! 嘘とかじゃなくて……!」
「ふんふん……」
いざそんな馬鹿げた呪いにかかった、なんて口にするだけで胸のうちから熱いものがこみ上げてきた。それも冷や汗を伴う類の熱さだ。
「だからそのっ、え〜と……!」
「つまりはさ、瑛太くん」
唯華さんは、俺の唇に人差し指を当て、その動きを止めた。細く繊細な、柔らかい女の人の指。
「瑛太くんは、私とキスがしたいわけだ」
「えっ、いやっそれはその……」
「あれ、違った? だったらごめん、私の勘違い──」
「ではっ、ないです!!」
俺はもうなりふりかまっていられなかった。
ここまで来てしまったのなら、後はもう飛び込め!
こんなところで日和るくらいなら、最初からこんな話を口にするな! 毒を食らわば皿までも、だろう!
「唯華さんっ、お願いします! どうか俺とキスをしてください!」
「……いいよ」
「えっ!? いいんですか!?」
それが目的だったくせに、いざ許可が降りても驚いてしまう。特攻をかけた瞬間にこれだったものだから、拍子抜けというか、そんなに簡単にOKしてもいいものなのか?
それとも、俺が子供なだけで、大人は……それくらい気軽にキスをするのだろうか。
唯華さんも24歳だ。恋愛の一つや二つ、してきているだろう。その中でキスだって、その先のことだって経験しているはずだ。
そう思うと、俺のような近所のガキとキスをすることなんて、唯華さんからすれば大したことがないのかもしれない。
だが俺にとっては本やテレビの世界の話なんだ。
「そっちにいくね」
「ぇっ、あ、はぃ……」
正面から回って、俺の隣に座る。
ふわりと唯華さんの香りが、俺の鼻をかすめる。
大人のお姉さん特有の、あの、上手いことは言えないが良い香りがする!
「呪いを解くため、だもんね?」
「ぅあ、は、はい……」
「じゃあ、助けてあげるね、瑛太くん……」
頬に手が添えられる。
それだけで俺の全身に力が入る。これから俺は、キスをされる。
徐々に唯華さんの顔が近付いてくる。唇から唇に。
俺は羞恥心から、強く瞳を閉じてしまった。
あれだけ。
あれだけ、朝からどうしようと困っていたキスの相手探し。
それが、今目の前に──
「ん……」
「っ!」
吐息が鼻に触れたかと思えば、唇に想像を超える瑞瑞しさを含んだ衝撃。
女の人の、唯華さんの唇が重なっていた。
ほのかの甘い気もするが、それ以上にこれがキスなのかと初めての体験に、俺の思考回路はショート寸前だった。
その唇は一体どれだけの間、触れ合っていたのだろうか。
この手の表現で、それはまるで一瞬にも感じたし、無限にも思えた……なんてよく聞くけれど、それが今はわかった気がする。
間違いなく、触れているのは一瞬だ。だけどそれを永遠に感じていたくて、その想いが自身の認識を変えているのだと。実際のところ俺はそうしていた、ずっとこのままならばいいのにと念じていたら、世界がスローになった錯覚に陥っていた。
そしてその世界も終わりを告げる。
唯華さんの唇が離れていき、俺もゆっくりと瞼を開く。
唯華さんは放心している俺を見て微笑んだかと思えば、俺の鼻先をツンと突いた。
「これで呪いは解けたのかな?」
「あ……はい……たぶん……」
「……また何かあったら、相談するんだよ? 瑛太くん」
俺の心は鷲掴みにされていた。
ぎゅっと両手で力いっぱい、そして弾けてしまった。
俺はもうすっかり、唯華さんの持つ大人の魅力に囚われてしまった……。
★★★
「くっ、ふふ、ふふふふ……!」
篠原唯華は笑っていた。
惚けた瑛太を玄関まで見届けるまではなんとか堪えていたが、ドアが閉まった時にそれも限界を迎えた。
「やった、やった! まさかこんなに上手くいくなんて……!」
唯華は新しい呪いの手紙を書きながら、緩む頬を押さえる。
「震えながらお願いしてくる瑛太くん可愛かったなぁ、ふふっ。次はデートしないと死んじゃうってことにしようかな!」
──瑛太に呪いの手紙を送った張本人。
唯華はあまりにも瑛太にゾッコンであった。
言ってしまえば食べてしまいたいくらいにはゾッコンであったのだが、10年の歳の差はその感情を圧し殺させた。
世間体、というものがある。24歳が14歳に迫っていい訳はどこにもなかった。だから唯華はなんとかして瑛太から迫ってきて、唯華はそれを大人として受け入れる……そんな状況を産み出したかった。
その結果が、あの呪いの手紙だ。
どれか一つかが当てはまればいい、数撃ちゃ当たるの精神だった。そしてキスの相手を指定しなかったのも、怪しまれないためだ。
しかし蓋を開けてみれば、よほど日頃の行いが良かったのか──瑛太には気の毒でしかないが──手紙の内容は現実に起こり、キスの相手に唯華を選んだ。
キスの相手、ここに関しては賭けだったが、思惑通り自身が選ばれた時、唯華の脳には多量のドーパミンが溢れていた。
「押し倒さなかっただけ褒めてほしいなぁ、キスだけで済ませたんだから……さて」
新たな手紙を書き終えた唯華は、うっとりとした顔で自身の唇に触れる。
瑛太の唇の感触を思い出すように。
「次はどんなことをしようか。ね? 瑛太くん」
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