track.34 佐伯 誠司
日曜の朝は不思議と憂鬱ではなかった。
夕方にはノエルのところへ行かなくてはいけなかったが、その前に霧島に会えることで妙に胸が躍ったんだ。
だけど、完全に道が開かれたわけじゃない。霧島と話し合って、何とか打開策を考えなきゃいけないからな。
「それにしても、あいつの話って一体何なんだろうな?」
あいつから借りてるCDの返却予定は来週のはずだし、まさかそんな下らないことで僕を呼び出したりしないだろう。
これはもしや、霧島から愛の告白とか……?
「……って、そんなわけないか」
こんな切羽詰まってるときに、アホな妄想を膨らませている場合じゃない。
なんだかんだダラダラしているうちに、あっという間に時計は午後ニ時を回っていた。
一応、四時からノエルのとこに行かなきゃならないから、早めに出発しとかないとな。
容赦ない日差しが照り付ける夏の午後、僕は霧島のマンションへ向かって歩き始めていた。
霧島のマンションへは、歩いてもそんなに時間はかからない。しかし、この暑さだ。出だしは良かったものの、僕は大粒の汗を流していた。
そんなもんだから、できるだけ日陰を辿りながら通りを進んでいると、僕はある意味一番会いたくない奴に呼び止められる。
「よお、後輩! 奇遇だな。これから摩利香んとこ行くのか?」
「え……佐伯先輩?」
振り返ると、カーキのミリタリーシャツを羽織って、やはりサングラスをかけた佐伯先輩が立っていた。
何でもない住宅街だ。この辺で会ったこともないこの人と会うなんて、偶然にしちゃできすぎだった。
霧島のマンションの近くだし、待ち伏せでもされていたのではないかと思った。
「何ですか、こんなところで? 僕にご用でも?」
「おいおい、相変わらずご挨拶だな後輩。すっかり嫌われちまったのは、やっぱり摩利香のことが原因か?」
「別に、あなたには関係ないことです」
自分でも良くないとは思っていたけど、どうしてもこの人のことがあまり好きになれなかった。
「別にいいじゃねーか、ここは先輩の顔を立てると思って、ちょっくら話でもしねーか?」
「まあ、少しだけなら。できるだけ手短にお願いします……」
煩わしかったが、一応先輩なのでそこまで邪険にはできない。要件はきっと、霧島に関してのことだろう。僕らは近くにあった公園のベンチに腰掛けた。
僕の横には、学園一の変わり者との評判もあるサングラスの怪しい先輩。一体どんなシュチュエーションなんだよ?
「すまねーな。こういうときでもなけりゃ、お前と腹を割って話せないと思ってよ」
「そうですか? 別に僕は特に話したいことなんてありませんけど……」
僕が相変わらず悪態ばかり吐くもんだから、佐伯先輩はサングラスを取って高笑いした。
「ははは……まあ、変な御託を並べられるより、そっちのが分かりやすくていいかもな。単刀直入に言うぜ。お前、摩利香のことどう思ってる?」
「は……はい? どう思ってるって、あいつはその……友達ですかね?」
「そうじゃねーんだ。女としてどう見てるかってことを聞きてーんだ」
「ええ……?」
何なんだよこの人。こんなワイルドな形して、いきなり女の子みたいなコイバナかよ。付き合ってられない。
「女としてって言われても、あいつは友達ですよ。それ以上でも、それ以下でもありません」
「そうかそうか、なら話は早いってもんだ。つまり、俺が摩利香を自分の女にしても、何の問題もないってことだよな?」
「お……女って、そんなのいいわけ!」
僕は声を荒げて文句を言おうとしたが、さすがに自分の言ってることに整合性がなくて、言葉を飲み込んでしまう。
霧島は僕の彼女でも何でもないんだ。僕が否定できる権利なんて……。
「そ……そんなの、あいつがOKしてくれればの話でしょ? ずいぶんと自信満々なんですね?」
「へへ、どうだろうな。だが、こんなにビビッときた奴は初めてだ。是非俺の女にしたいねー」
さすがに、ガードの堅そうな霧島のことだから、そう簡単にたぶらかされることはないと思う。
だけど、なんだ? このどこからともなく湧いてくるような堪えようのない焦りは?
「悪かったな後輩、言いたかったのはそれだけだ。お前も摩利香に気があるってんなら、ライバルってことになると思ってな」
「ずいぶんと律儀なんですね。僕なんかに手の内を明かしたところで、自分が負けるはずがないとでも?」
「いやな、摩利香がずいぶんとお前のことばかり話すもんだからよー。どんな奴か喋ってみたくなったんだよ……」
「……え? 霧島が?」
「まあ、摩利香に心を惹かれる者同士、フェアにやろーじゃねーか。なあ、兄弟」
そう言って、佐伯先輩は僕の肩を強めにポンと叩いた。なんだなんだ? 馴れ馴れしいこっちゃ。
ノエルばかりに気を取られていたが、ここにもこんな危険人物がいたなんてな。
佐伯先輩を敵認定した僕だったが、霧島のことを抜きにすれば、変わってはいるがどうも憎めない人だった。
それだけに余計に質が悪い。霧島と趣味が合うのは事実なわけだし、万が一ってことも考えてしまう。
「じゃあ、俺は行くからよ。付き合ってくれてサンキューな!」
「……ええ」
意外に長く話し込んでしまった。僕は佐伯先輩と公園から出ると、急ぎ霧島のマンションへと向かおうとする。
しかし、もうマンションは目と鼻の先のはずなのに、どういうわけかスムーズにいかない。だって、公園を出た途端に……。
「あれ、お兄ちゃん?」
「へ……伊吹?」
何なんだよ、今日のこのエンカウント率の高さは。しかも、よりによって妹の伊吹だ。
おそらく僕一人であったら、適当にあしらってすぐに終わっただろう。だが、今はタイミング悪すぎだ。
「お? この子お前の妹か? 昨日一緒にいたポニテの子とそっくりじゃねーか」
「ポニテの子って……もしかして毘奈姉のことですか!? ねえねえ、お兄ちゃん、この人ってどなた?」
「ああ……軽音部の佐伯先輩って人だけど」
「すごーい! 軽音だからバンドとかやってるんですか!? かっこいい!!」
先輩に毘奈と似てるって言われてか、或いは先輩がイケメンだったからか、妹のテンションがうなぎ上りだ。
全く、我が妹ながら、女ってやつはイケメン相手だと露骨に態度が変わるのな。
「興味あんなら、文化祭のときにでも見に来いよ。最高のショーを見せてやるぜ!」
「はい! 絶対に行きます!」
(……うざ!)
こっちは急いでいるのに、妹は佐伯先輩にあれやこれと余計なことを聞きまくる。僕は完全に立ち去る機会を逸してしまった。
それにしても、霧島はいざ知らず、うちの腹黒くてドライな妹を完全に篭絡しやがって。
僕が思い出したかのように時計を見ると、時間は既に三時半を回っていた。霧島とは三時過ぎって約束だったが、これ以上遅れたらさすがに遅刻だ。
「あ……あの、そろそろ僕はこの辺で」
「お、おお! 悪かったな。約束があるんだったよな。俺もそろそろ……」
「えー、先輩ももう行っちゃうんですか?」
別れを渋る伊吹に対して、佐伯先輩は優しく宥めるように言った。
「わりーな伊吹、お前の兄貴も俺も、ちょっくら用事があるんだ。また今度な!」
「……はーい」
伊吹は少ししょんぼりしながら、家の方へと帰って行った。その後ろ姿を見ながら、佐伯先輩は少し感慨深そうに微笑んでいる。
僕も一応兄貴だから分かる。あれは女の子へというより、妹……家族へって感じの態度だった。
「あの、佐伯先輩ももしかして、妹いるんじゃないですか?」
「よくわかったな? 昔、俺にもあいつくらいの妹がいたよ。もう死んじまったがな……」
「いや……あの……すみません」
まさか、こんなに重い話だとは思うはずないだろ? 僕はすかさず謝るが、佐伯先輩は笑顔で流して去って行く。
「別に気にしてねーよ……可愛い妹じゃねーか、大事にしろよ後輩!」
全く、また一つ嫌いになれない要素が増えちゃったじゃないか。聞かなきゃ良かったよ。
……と、心の中でぼやく一方、僕は時計を見て脂汗を流した。時間は間もなく午後四時になるところだったのだ。
「全く、何なんだよあいつ!」
結局、あの先輩のせいで大遅刻もいいところだった。僕は駆け足で霧島のマンションへと急いだ。
正直、ノエルとの約束には間に合いそうもない。仕方ないけど、霧島と話すことが先決だ。
「はあ……はあ……やっと着いた」
時計の針は午後四時を回っていた。やっと霧島と真面に話せるってことに、僕は安堵しすぎていたのかもしれない。
僕はもう少し深刻に考えておくべきだったんだ。自分の置かれている状況が、この前の事件なんかよりずっと恐ろしくて、質の悪いものなんだとね。
――酷いじゃないアズマ、私との約束をすっぽかすなんてさ……」
霧島のマンションのエントランスに彼女の姿を見たような気がした。
というのも、その直後僕は地面に倒れこみ、どんどん意識が薄れていったんだ。
「……が……ノ……エル……?」
視界は徐々に狭くなり、マンションのエントランス扉がぐにゃぐにゃと歪んでいく。
そして、目の前には真っ黒いパンプスを履いた白くて綺麗な足が、コツコツと音をたてて僕に向かって来ていたんだ。
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次回は1/11更新予定となります。
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