track.29 ハニートラップ
一体全体、僕の悪運てやつはどうなっているんだ?
まさか、こんな短期間に二人の女の子の家にお呼ばれされるとか、一生分の女運を使い果たしたといっても過言ではないんじゃないか。
しかも、二人ともジャンルは違うがどえらく美人ときたもんだ。そして、二人とも別の意味でかなり危険を孕んでるっていうね……。
朝の通学する生徒たちとは逆行するように、僕はノエルに連れられるがまま彼女のマンションへと向かった。
ノエルは僕に服を汚されたのに、何故かやたらご機嫌で、聞いたこともない英語の鼻歌を口ずさんでいた。
「ここよ、さあ、私の部屋は三十階よ!」
「予想はしていたがやはり……」
ノエルの家は、霧島に負けず劣らずの大きなタワーマンションであった。
そりゃ、本国の実家には執事がいるみたいだから、相当の金持ちなんだろう。一体どんな悪いことをすれば、こんなとこに住めるんだよ?
慣れた様子でノエルはオートロックを解除し、僕を手招きしてエレベーターに乗った。
動き始めたエレベーターは一向に止まる気配がない。このまま天国にでも昇って行くんじゃないかとさえ思えた。
ノエルに導かれる僕は、こんな最先端の建造物の中にいるのに、まるで妖精の国に来たみたいだった。
「やっぱり、マンションって昇ったり下りたりが面倒ね。セキュリティはいいのだけど」
「うん……それは、こんなとこに住んでればね……」
僕は苦笑いしながら答える。考えたこともない金持ちの悩みだった。
そして、ようやく止まったエレベーターが開く。天国までとは言わないけど、おそらく宇宙ステーションくらいの高さまでは昇ってきた気分だ。
「アズマ、ウェルカム・トゥ・マイ・ホーム! あがってあがって!」
「あ……うん」
霧島の時に免疫ができていたから、そんなに緊張はしなかった。一人で住んでいるのは分かりきっていたしね。
ところがどうだ。玄関に入ったところで、僕は部屋中から漂ってくるノエルみたいな甘い匂いで、少し頭がおかしくなりそうだった。
別に匂いがきつくて耐えられないってことじゃない。何かこう、頭がボーっとしてフワフワした異様な気分にさせるんだ。
「アズマ、何してるの? こっちこっち!」
玄関を上がったところで立ち止まっている僕を、ノエルがリビングの方から急かした。
霧島の家とは違って、リビングには高そうなソファーが並び、100インチはあるんじゃないかってくらい巨大なテレビが置いてあった。そして、スクリーンみたいな窓ガラスからは、僕ら庶民の家がゴミくずみたいに小さく見えている。
「えーと……何だか凄い部屋だね……」
「そう? 意外と手狭なところだと思ったわ。日本の家は狭いと聞いていたけど」
「あはは……それもジョーク? まさかこの部屋を犬小屋みたいだとでも?」
「うふふ……アズマ、面白いこと言うのね。まるで誰かが同じことを言っていたみたい」
ノエルは僕の何てことない言葉に反応し、無邪気に笑いながら詰め寄ってくる。
しまった。彼女が霧島みたいなことを言うもんだから、うっかり口がすべってしまった。
「うん……そうそう! 前にドラマでそんなこと言ってたシーンがあったんだよ! あはは……」
「ふーん、そうなんだ」
危ない危ない。やっぱりノエルは油断ならない。しかも、ここはこの妖艶な魔女の牙城だ。些細なミスが命取りになりかねないぞ。
「えーと……僕は君が着替えてくるまで、ここで待機してればいいのかな?」
「何を言ってるの? 執事なんだから、主人の着替えを手伝ってちょうだい」
「は……はあー!?」
どうやら、これは彼女お得意のジョークではないらしい。何しろ、徐に来ているブラウスを脱ぎだしたんだから。
しかも、それだけでは終わらなかった。ノエルは全く汚れていなかったスカートまで床へ下ろし、あろうことか上下ブラックのセクシーな下着姿が露わになってしまったのだ。
「ののの、ノエル!? ななな……何で下まで!? じゃなくて、早く服着てよ!!」
「あら、女の子の裸を見るのは初めて? そんな可愛い反応してくれるなんて嬉しいわ」
決して大きくはないが、整った美しいバストに透き通るように白い肌、そして長くしなやかな足。そんな金髪白人美少女が、何故か下着姿で僕に歩み寄ってくる。
正直、女の子の裸といったら、この前不可抗力で霧島のを見たばかりだ。だからって、そんなもの見慣れるわけないじゃないか。
僕は女の子みたいに目を両手で覆ったが、指の間からは彼女の妖艶な裸体をしっかりと見ていた。仕方ないだろ、男の子だもの。
「うふ……まさか、着替えるだけの為にアズマを部屋に呼んだと思った?」
「ひ……ひえ!」
下着姿のノエルは、後ずさって壁際にもたれ掛かった僕の前まで来ると、左手を僕の顔の横へ突き出したんだ。
まさか、こんな綺麗な女の子に壁ドンされるなんてね。文字通り、彼女の妖艶な微笑みが僕の目と鼻の先にあったのだ。
「や……やめろよ、こんなことして一体……?」
「アズマがね、意外と頑固そうだからさ。ちょっとやり方を変えてみたの」
「や……やり方?」
「そうよ、どうすればアズマの心を早く私のものにできるのかなって……」
やっぱりそういうことか。よく分からないが、ノエルは僕を篭絡しようとしているんだ。
僕が抵抗する間もなく、彼女は僕の胸板を人差し指でぐりぐりと弄び始める。
「ひ……ひゃー! 本当にこういうのは勘弁……勘弁してください!」
「ダメよ。使用人は主人の言いつけをしっかりと守るものでしょ? さーて、いい子ちゃんのアズマはいつまで我慢できるのかしら?」
「え……え? ええー!?」
ノエルは僕の首筋を、不意に舌でぺろりと舐めた。体中に稲妻が走ったようだったよ。彼女から漂う甘い香りも相まって、どうにかなっちゃいそうだった。
「素直になってくれたら、私を好きなようにしていいのよ。男の子なんだもの……こういうの好きでしょ?」
やばいやばいやばい。これは間違いないぞ。僕には一生縁のないものだと思っていたが、これは絶対にハニートラップってやつだ!
金も権力も、地位も名誉もない僕が、どんな運命の悪戯か英国の美少女工作員からハニートラップを受けようとしていた。
これは今までにない、史上最大の大チャン……ピンチじゃないか!
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次回は1日明けて、1/1元旦更新予定となります。
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