track.14 霧島 摩利香の過去
深い闇に閉ざされた霧島 摩利香の過去……。
それを詮索するには、こちら側にも大きな覚悟が求められそうだった。
そんな僕の心配など無意味であるかのように、毘奈はずけずけと霧島に問い掛けるのだが……。
「マリリンの地元にも、小さな頃から仲のいい友達がいたの?」
「そうね……小さな頃、よく遊んでいた女の子がいたわ」
「へー! その子、今はどうしてるの?」
「分からないわ……もう、会うこともできないし……」
この後に及んでも、僕らは霧島のことについて知らないことばかりであった。
何故彼女はこの街に来て、こんな寂しすぎるくらい広いマンションで一人暮らしをしているのか?
それは僕たちと霧島が出会う遥か昔、この街にやって来る前の霧島 摩利香の物語だ。
――あなた可愛い、お名前何て言うの? 私、スズカ、一緒に遊びましょ。
――摩利香……マリちゃんだね。私のことはスズって呼んで!
――マリちゃん、今日も公園で遊ぼうよ! 私がブランコ教えてあげるから! きっと楽しいよ!
――私、マリちゃんと一緒で凄く楽しい、小学校に行っても、中学校に行っても、ずっと友達でいよーね!
少女と少女の遠い日の約束。彼女たちにとって未来は遥か先で、とても計り知れないものだった。
だが、彼女たちの終わりは、無情にもすぐそこに待っていたんだ。
――おいお前、大口の子供だろ? 父ちゃん言ってたぜ、あそこの子供は呪われてるってな! 気味悪いから、帰れよお前!
――マリちゃんは呪われてなんかないもん! マリちゃんに謝って!!
――なんだよ! そいつの味方すんなら、お前も出て行けよ!!
――痛い、やめてよ! 何でこんな酷いことするの!?
目の前で理不尽に、しかも自分のせいで傷付けられる親友を見て、彼女の中で何かが起こった。美しく精悍で、獰猛な何かが彼女の奥底で殻を破ったのだ。
――マリちゃん、もうやめて!! 私なら大丈夫だから! お願い!!
――一体どうなってんですか!? うちの子にこんな大怪我させて!!
――あんたんちの子おかしいよ! 大口様だかなんだか知らないけど、こんな危ない子、外に出さないでよ!!
――申し訳ございません。もう二度とこのようなことは……。
彼女は何も覚えていなかった。気が付けば、親友は近くで泣き崩れており、親友を傷付けたいじめっ子たちは、ボロボロになって地面に横たわっていたのだ。
そして、家に押し寄せるいじめっ子たちの親たち、頭を抱える父と母。彼女は何も分からないまま、両親の許可なく外へ出ることを禁じられた。
――ああ、普通の子だと思って忘れていたが、やっぱりもうダメか……。
――でも、この子のせいじゃないわ、大口様の怒りだもの。どうすることもできないわ……。
――ある程度理性が育つまで、勉強はうちで教えましょう。大丈夫よ、小学校なんか行かなくても、いい家庭教師がいるんだから!
――摩利香、レコードでもCDでも、好きな物は何でも買ってあげるよ。だから、お外で遊ぶのはもうやめよう。
日常はある日突然奪われ、彼女は籠の中の鳥となった。
そして、失意の彼女の元へ、親友だった少女が訪ねてきたのだ。
――マリちゃん、パパとママがもうここにはいられないって……だから、遠くに引っ越すことになっちゃった。
――ごめんね、マリちゃん、ずっと友達でいられなくて……。
こうして霧島は、本来小学生であった時期を孤独のうちに過ごし、中学校には行かせてもらえたものの、彼女の存在を知る地元ではもはや居場所などなかったのだ。
だから彼女は選んだのだ。一枚の切符を握りしめ、その列車に乗り込むことを。
縛られた土地から抜け出し、本当の自由を手に入れる為に……。
「両親は私に凄く優しかったけど、ずっと腫物を扱うようだったの……。だから、私が家を出たいと言った時、お父さんもお母さんも応援してくれたわ。きっと、凄く疲れていたのだと思う……」
霧島の両親が彼女にこんな立派な部屋を与えているのは、娘の気遣いに甘えて遠くに放り出したことへの贖罪なのかもしれない。
だから霧島は言っていたんだ。どんなに広くて豪華な家だったとしても、ここは彼女を閉じ込めておく為の犬小屋に過ぎないのだと。
まあ、予想はしていたつもりだが、結構ずしんとくるような重たい話だった。所々、よく分からないことはあるんだけどね。
さすがの毘奈も、こんな重たい話を聞かされちゃったら、さっきみたいにずけずけと軽口は叩けないだろう。
「……って、毘奈? ええ!?」
黙り込んでいた毘奈の顔をチラッと伺うと、彼女は顔面から出るだろう全ての液体を流さんがばかりに号泣していた。
「う……うわぁーん!! マリリン可哀想だよぉぉーー!!!」
「ちょ……ちょっと天城さん!? そんなに泣かなくても……って、苦しい! 抱き着くのはやめ……」
「大丈夫だよ!! ヒグッ! これからはね……ヒグッ! 私も吾妻も……光ちゃんも……ヒグッ……ずっと一緒に……うわぁーん!!」
「分かったわ、天城さん……ありがとう。でも……私のパーカーは、もうグチョグチョよ」
だいぶ大袈裟だけど、この反応は毘奈の本心なんだ。だいぶお節介ではあるが、前述した通り基本はいい奴だからね。
毘奈は一頻り泣いた後、今度はやけに真面目な顔をして語り出した。
「ごめんね……私、マリリンのこと全然ちゃんと見れてなかったよ。吾妻の言う通りだった……」
「いいの、元はと言えば私の素行が原因だもの。どう見られても文句は言えないわ」
「吾妻ってね……偏見がないんだよ。だから、必ず自分の目で見てからものを判断するの。まあ、周りの空気読まなかったりするから、孤立しちゃったりもするんだけどね」
「ああ、もう、悪かったよ」
泣き止んだ毘奈が急に僕のことを持ち出すもんだから、僕はどう反応すればいいのか戸惑う。
毘奈は僕を窘めるように続けた。
「吾妻のこと褒めてるんだから、最後まで聞く! ……私もね、小学校の頃、ある女子のグループと対立しちゃってね。学校のウサギを逃がした犯人にされちゃってさ……」
確かにそんなことがあった。あの時は僕も毘奈と同じクラスで、その女子グループとの対立の原因は、単純に毘奈に対する妬みだったと思う。
今まで自分たちがカースト上位だと勝手に思い込み、他のクラスメイトを見下していた女子たちの前に、このハイスペック幼馴染が現れたってわけだ。
しかも、毘奈は自分がいくら優れていようとも、誰にでも分け隔てがなく、彼女たちの大好きな階級主義みたいなものには、一切興味がなかったんだ。
出る杭は打たれる。彼女たちは最初毘奈を仲間に加えようとしたが、毘奈が拒否した為に関係は一気に拗れた。
そこで彼女たちが目をつけたのが、当時飼育委員をしていた毘奈が可愛がっていたウサギだった。
彼女たちはウサギ小屋の扉をこっそり開き、ウサギを逃がして責任を毘奈に擦り付けたんだ。
「ただでさえウサギがいなくなって悲しいのにさ、その子たちは私が扉を閉め忘れたって言うし、状況的に先生も信じてくれなかったの。私さ……もう悔しくて、悲しくて、泣くことしかできなかった……」
ああ、よく覚えている。普段完璧すぎるくらいの幼馴染が、理不尽な目に合って泣き崩れる光景を。
別に僕は、根拠もなく毘奈を庇い立てする気なんてなかった。
ただ僕は知っていただけだ。このムカつくくらい優秀な幼馴染が、ウサギ小屋の扉を閉め忘れる可能性など、万に一つだってないということを。
「そしたらね……吾妻が先生に、『先生は、真実が何なのかを多数決で決めるんですか?』……って言ってくれたの。そしたら先生もバツが悪くなったみたいでさ、色々調べてみたら、ちゃんと目撃した子が見つかったんだ!」
毘奈は少し目を潤ませ、嬉しそうに微笑んでいた。
僕としては、普段何をやっても勝てないチート幼馴染に、一泡吹かせてやったくらいにしか思ってなかったんだけどね。実はこんなに感謝されていたとは……。
そして、それを横で聞いていた霧島は、毘奈に寄り添うようにして優しい口調で言った。
「そうね……私も那木君のそういうところ、最高にロックだと思う……」
僕には分かった。霧島のこの何気ない一言は、彼女にとって最大の賛辞の言葉だったんだ。
僕はそれを確かめるように彼女を見つめ、霧島は穏やかな微笑でそれに応えてくれた。
僕と霧島の間に異様な空気が生まれた。まるで時が止まったみたいだった。
その空気を読み取ったのか、毘奈は急に空元気な声を上げる。
「おーおー、お熱いお熱い! じゃ、後はお若い二人に任せて、お姉さんは帰りますか!」
「あー、もう遅いし、そろそろ俺も……」
「ダメダメ! ちょっと吾妻、こっち来なさい!」
「え……ええ!?」
僕が毘奈の帰りに便乗しようとすると、毘奈は都合の悪そうな顔をして僕をキッチンへと引っ張る。霧島は首を傾げた。
「あんた馬鹿? せっかくマリリンといい雰囲気なのに、ここで帰ってどうすんの! 空気読みなって!」
「いや……なんかお前、勘違いしてない?、俺と霧島は別に……」
「吾妻がそんなんでどうするの! 男なんだから、やるときはガツンと決めてきなさい! いーい?」
「あ……ああ、頑張るよ(よくわからんが……)」
そんなこんなで、毘奈は本当に帰ることとなり、僕と霧島は玄関で毘奈を見送る。
全く、こういうとこ、本当にお節介なんだよな。
「マリリン、今度また遊びに来てもいいかな? 次は光ちゃんも一緒にね!」
「ええ、歓迎するわ」
「吾妻、私が帰ったからって、マリリンに変なことしちゃダメだからね!」
「す、するかボケ! (殺されるわ)」
毘奈は相変わらず軽口を叩いて僕を揶揄うし、天真爛漫に振舞っている。傍から見る限り、彼女の笑顔には何の淀みもなかった。
天城 毘奈は誰にでも分け隔てがなくて、こいつといれば周りは皆幸せになる。霧島や赤石だって例外じゃない。
だけど、何でだろう? どうして当のお前自身が、そんなに寂しそうな顔をするんだよ……。
別れを告げて歩いて行く毘奈の背中を、僕は複雑な心境で見つめていた。幼馴染の勘ってやつだ、毘奈は心の奥に何か気持ちを隠している。
「……吾妻!」
「毘奈……?」
そんな僕の気持ちに呼応するように、毘奈はいつも見せないような切ない顔をして振返り、僕の元へと必死に走って来たんだ。
そう……今まで決して告げることのできなかった、彼女の本当の気持ちを僕へ伝える為に……。
「吾妻……さっきはああ言ったけど、チューまでだったら許してあげるからね!」
「早く帰れ!」
お読みいただき、ありがとうございます。
次回も明日更新予定となります。
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