7. 救出の後
レベッカは静かにシャルルを見据える。
――救って欲しいと願ったけど、マルティネス家の悪童に買われるのはどうなの?
スラム街でシャルルの噂を知らない者はいない。
これから、どんなことをされるのか……。
少なくともフォード男爵に買われるよりはマシだったと思いたい。
そして、通された部屋。
悪童の名に相応しい、悪趣味な部屋だった。
レベッカは無意識に後退りする。
それに気づいたシャルルが、
「うん、どうした? そんなに怖がられると傷つくな」
と、ニコニコした顔で言う。
「君の弟さんが――」
「――ニコルはどこ!?」
レベッカがシャルルの言葉に被せて言う。
「そう、焦らないでよ。大丈夫。ニコルは無事だ。彼に頼まれたから君を助けたんだ」
「……」
シャルルの言葉を鵜呑みできるほど、レベッカは単純ではない。
それも当たり前の話だ。
マルティネス家の悪童と呼ばれるシャルルが、何の利益もなしにレベッカを救うはずがない。
加えて、話を聞くところ、ニコルがシャルルを襲ったというではないか。
――自分を襲ってきた相手の頼み事を聞くなんて正気の沙汰じゃない。それも、こいつはマルティネス家の悪童よ。
どうみても不自然であり、裏があるはずだ。
と、レベッカは考え、思い当たる節があった。
それはシャルルがレベッカをただで譲り受けたことだ。
奴隷商を脅し、レベッカを得たシャルルは、大きな利益を得ている。
――私をただで手に入れることが、こいつの目的なの?
と、そう思った直後。
レベッカはシャルルの部屋の片隅を見てぎょっとした。
拷問をされている少女の絵画があったからだ。
「ひ、ひぃ……」
レベッカは絵画の少女と自分を重ねて、情けない声を出す。
「あ、ごめん。ごめん。これはちょっと手違いで」
シャルルが前世の記憶を思い出したのも、つい先ほどだ。
まだ部屋のリフォームが完了していない。
「て、て、て、手違いでこんなもの飾らないでしょう!」
思わず、レベッカは声を上げてしまった。
――この人も、フォード男爵と一緒だわ。私をいたぶって愉しむつもりなのね……。
助けを願い、そしてフォード男爵からは逃げられたが。
主人が違うだけで、結局は似たような運命を辿る。
レベッカはそう思い、自身の体を守るように両手を胸の前でクロスさせた。
「そんなに怯えないで。あ、そうだ。一緒に紅茶でも飲む?」
「こ、紅茶……?」
彼女はキョトンとした顔をする。
言っている意味がわからなかったからだ。
――否。
意味はわかるが、意図がわからなかった。
「緊張を和らげるには紅茶が良いらしいよ。それに仲を深めるためにも、一緒にお茶するのが良いのかなって」
「奴隷なんだから、好きなように扱えばいいじゃない」
と、レベッカは自暴自棄になりながら言う。
すると、シャルルが困ったように眉を曲げた。
「奴隷か……。そういう関係は好きじゃないんだけど」
「それなら、私を解放してくれるの?」
「ごめん、いますぐに解放ってのは無理だ。でも、手荒な真似はしないと約束する」
「……信用ならないわ」
「僕って、ほんとに信用ないんだね」
シャルルは深々と溜め息を吐いた。
ニコルにもレベッカにも「信用ならない」と言われ、肩を落とす。
「何度も言われると傷つくなぁ」
「…………」
レベッカは反応に困った。
そして、同時に、
――噂ほど悪い人じゃないのかも。
と、感じた。
レベッカはシャルルの奴隷である。
それなのに、彼女はシャルルに対して生意気なことを言ってしまっている。
シャルルが激高していてもおかしくない。
もし噂通りの悪童なら、すでにレベッカは鞭で打たれているだろう。
もしくは他の拷問を受けているはずだ。
しかし、シャルルが怒る気配もなければ、レベッカに罰を与える気配もない。
ただただシャルルは困った顔をするばかり。
レベッカのほうが困惑した。
「お茶はまた今度にするよ。その代わり、今から僕についてきて欲しい」
「……どうせ、私に選択権はないんでしょ」
「うーん。まあ、そうなるのかな? でも、君にとっても良いことだよ」
「私にとっても良いこと?」
「弟くんに会わせてあげる」
「ニコルは……無事なの?」
「もちろんだ。と言っても、今は暴れないように両手両足を縛っているけどね。拷問とかはしてないから、安心して」
レベッカの顔に微かな希望が宿る。
マルティネス家の悪童に楯突いて、体を拘束されているだけなら良いほうだ。
腕や足の一部がなくなっていても不思議ではない。
と、彼女は考えていた。
もしも、の話だ。
シャルルがニコルの頼み事を聞いて、レベッカを助けに来た……と、その話が本当だったとする。
そしてこれから、姉弟の再会を果せるなら。
それは、どれほど幸福なことだろうか。
もう、二度と弟に会えないかも、と思っていた。
そして、自分の暗い未来を想像していた。
もしも、シャルルの言う話が本当なら、
――いいえ、そんなのは幻想だわ。
と、レベッカは首を振った。
あまりにも都合が良く、現実離れした話だ。
今までの会話で『シャルルが善人かもしれない』と、彼女は思うようになっていた。
しかし、ふと思い直す。
本当に相手を絶望に落としたいなら、先に希望を持たせてやることが良いらしい。
――きっと、今。私は希望を持たされているんだ。その後の絶望を味合わせるために。もし弟の無惨な死骸を見せられても、私は絶対に泣いたりはしない。外道を喜ばせることだけは絶対にしないわ。
と、レベッカは密かに決意を固めた。